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優しい人は生きづらい

(※作中に登場する人物はどれも私ではないです)

前々から書いてるが私は優しさというものを正当化して良いのかと、よく考える。

HSP気質で相手の変化によく気がつき、相手を思いやれる素晴らしい人格を持った人間を1人知っている。Aと呼ぶことにする。

Aはその優しさのせいで、生き辛さを抱え疲弊している。

Aには彼女がいた。Aは彼女をとても大事にしていたが、社会人になったタイミングで他に好きな人ができた、と振られた。

正直振った女は馬鹿だと思った。こんなに素晴らしい人格者、そんなに簡単に見つけられるものじゃない。
”優しさ”を持った人間が、この世の中においてどれだけ希少価値が高いのかをなぜ理解できないのか?

その女はその後、新しい人とくっつくがすぐに振られた。
蓋を開けてみればいわゆる「ヤリチン」の男ですぐに上手くいかなくなったらしい。

優しい男よりも、明るく面白い・危なっかしい男が良い、みたいなよくいるタイプのおめでたい頭の女だと思った。

その後、その彼女はまたAに連絡を取り会って呑まないか?と提案した。
元カレにわざわざ連絡を取る。復縁を望んでいる以外にあり得ない話だろう。さすがのAもそこには気づいており、この二人が復縁することはなかった。

ヤリチンを好きになって恋人を振っけど、振られたから復縁したい。

まともな神経をしている人間なら嫌に決まっている。
そんな条件を飲める人間は優しいのではない。ただ自分が無いだけだ。

私は思った。
「あぁ、Aなら優しい性格だから、ワンチャン復縁できると舐められていたんだろうな、と」

Aは優しい。
だから人から相談事、というか愚痴?のようなものを受けることが多かったようだ。

例えば知り合いから「彼氏に振られたんだけど」、みたいな愚痴のLINEが届いたりしたことがあったらしい。

Aはそれに対して冗談交じりでいじりを入れたら、「LINEを送る相手を間違えたわ」とキレ気味に帰ってきてやりとりが途切れたらしい。

何の脈絡もないAに、彼氏に振られたんだけど、なんて送ってどう返して欲しかったんだろう?
Aなら優しいから、愚痴を好きに吐ける相手として丁度良いと思っていたんだろう。
意識していたのか、無意識のうちにAをそういう対象として見ていたかは知る由はないが。

優しい人間だから、甘えても大丈夫だろう。
優しいから、とりあえず困ったら頼ろう。

で、自分がスッキリしたら何事も無かったかのように日常に帰っていく。

Aはあくまでも一例だ。
優しい人間が使い潰されていく現実を目の当たりにした。

だから私は「優しさ」に懐疑的になるようになった。

優しい人間は、結局自分勝手なやつらに好き放題やられてお終いなのか?
優しい性格は本当に正当化されるものなのか? 
優しく無い人間に産まれることのほうが正義なのか? と。





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