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組織とは人である ~まりりんとオウミから考える~

『悪女(わる)~働くのがカッコ悪いなんて誰が言った?~』の第9話。
色々考えさせられたので、感想ついでに書いてみます。


JK5(女性の管理職五割計画)

このオウミの一大プロジェクトを巡って様々な軋轢が生まれています。
組織を変えるとは何か、そして組織とは何か。


余計なものを拾いに行ってしまう人は仕事ができない

私はどちらかというと、細かいところまできっちりしたり親切にしたり自分の興味で動いてしまったりするところが多い人間です。
立場や目線で言うと、まりりん寄りです。

「単に頭がいい・処理能力が高い」と「仕事ができる」が違うように、「優しい・面倒見がいい」と「仕事ができる」も違います。


スーさん(ジェーン・スー)が

組織には正しさとか合理性とはまた別の ‘組織の論理’ がある。

とラジオで語っていたように、人としてできているかどうかと、組織の中で成果を出していけるかはまったくの別物です。


マイケル・ポーター氏が著書で

戦略の本質とは、何をやらないかを選択することだ。

※前職の社内スライドでの引用を参照しているため、
厳密には言い回しが違っているかもしれません。

と述べたように、成果に繋がらない枝葉の部分にエネルギーを使わない、やらない勇気を持つことが重要だと思います。


だから、まりりんのように目先のことに囚われすぎて全部打ち返しに行ってしまうのが、実はプロジェクト成功に繋がらないというのは往々にしてあります。
多少の軋轢を生んででも結果に向けて強力にコミットしていく峰岸さんやT.Oさんの姿勢は、非情には見えるけれどわりと必要な態度なのかもしれないと思いました。


組織は ‘人’ である

ただ一方で、峰岸さんの出世百箇条? にもありましたが、組織は最終的に『人』です。

人が集まって力を合わせるからこそ組織が成立するのであって、そこで働く人がいきいきしていない組織は、多少の時間稼ぎやごまかしができたとしても、中長期的には必ず沈んでいきます。
(少なくとも私はそう信じています)


JK5の例で言えば、

  • 本腰を入れた中長期的な改革のためには、一時的な軋轢も仕方がない。許容範囲だ。と考える

  • どうやったって軋轢は生じるが、今発生している軋轢はオウミという会社を空中分解させかねない、組織の存続すら危ぶまれるレベルだ。と考える

という2つの見方があります。


プロジェクトのビジョンは何か、そのビジョンと会社のビジョン・社員1人1人の個人のビジョンの接点は何か、どれくらいのコンセンサス(合意形成)を保ちながら進めていくべきか。

このあたりも大事になってくるでしょう。


子育てしながら働けないのって…

女性管理職を増やす意義については、(私の中でまだ整理しきれていないというのもありますが)書き始めるとかなり奥深く広範になるため、本記事ではいったん触れません。

その代わり、子育てをしながら働くことについて、今回は思うところを書いてみます。


組織で働くメリット

組織のメリットってなんでしょうか?
まず言えるのは、

  1. 個人では難易度が高すぎて難しいことを成し遂げられる

  2. 個人では時間が掛かりすぎることを実現できる

  3. 1人1人のでこぼこ(長所・短所)を補い合える

  4. メンバー間で化学反応が起こせる

ことでしょうか。

そうなんです。
人は1人1人違う。
組織で、チームで働くと、そのでこぼこを補い合い・助け合いやすいんです。


間宮さんの事例は ‘組織の敗北’

だから、小さな子どもがいる間宮さんが「時短や急な早退で迷惑を掛けるから」という理由で企画開発部から異動せざるを得ない状況に追い込まれる。これはナンセンスです。
なぜなら、彼女は組織(チーム)で働くメリットを最大限享受できていないからです。

仮に個人事業主であれば基本的に自分しかやる人がいないですから、そもそもの受注量をグっとセーブするか、歯を食いしばって無理して乗り切るかしか方法がないかもしれません。

でも組織は、そこにもっと柔軟性を持たせた運用ができる。
補い合えるから様々な変化や不測の事態や困難な壁にも立ち向かいやすいし、パワーを何倍にも増幅できます。
大きな強みの1つなんです。


子育ての事情で急な早退がある、くらいでその人が身を引かなければいけないなんて、、
現実と理想に乖離があることは当然わかっていますが、これは本質的には組織の敗北です。
あなたたちは個人事業主なんですか?その人1人で立てなくなったら去らなくてはいけないんですか?何のためにチームでいるんですか?と。

私たちはもっと真剣に知恵を寄せ合って「補い合える」という組織のメリットを最大化すべきですし、メンバーの一員である彼女は組織で働くメリットを最大限享受して然るべきです。
“仕方がない” そんな言葉1つで、大切でエキサイティングな仲間を失うのは悔しすぎます。


※組織の特徴をわかりやすく捉えるための対比として、個人事業主を例で出しています。決して個人事業主が劣っているとか、個人事業主はすべて自己責任でやれというような意図はありませんので、ご承知おきください。


子育てを想定していない会社(社会)はクソ

今回の間宮さんの例のように、子育てと聞くとどうしても女性の話題、女性側の悩みという見方が強いです。
でもよく考えてみれば、子育てって男女関係なく訪れる可能性のあるライフイベントで、当然男性で子育てに多くの時間を割いている人もいます。


つまり分解していくと、

  • そもそも子育て中の人が働くことを想定していない
    ⇒ 子育てに多くの労力を割くのは女性側が多い社会であるため、一見女性だけの問題として捉えられやすい

  • うまく働き続けられるのは仕事に全リソースを割き続けられる社畜人間だけ
    ⇒ 元々体力面でアドバンテージがある/ホモソーシャルな環境に馴染みやすい/子育てを女性側に丸投げした男性側がその社畜枠に入ることが多い

のような捉え方ができます。


子育てや家族・友人との時間、趣味を持ちながら働く「普通の人間」を想定してこなかった。
ただひたすら仕事だけに打ち込み続けられる「社畜人間」のみを想定した労働環境と制度とカルチャーが残り続けているんだと思います。


映画『総理の夫』で、総理夫婦の母親である相馬崇子がこぼした言葉が印象に残っています。

この国はまだ妊娠ごときで大騒ぎするんだねえ

※どうしても正確な言い回しが思い出せない
ため、あくまでもニュアンスとなります。

これは別に妊娠・出産がたいしたことではないと言っているわけではなく、
どんなに能力や適性がある人でも、妊娠・出産・育児というようなごくごく一般的なライフイベントが起こるだけでその座を退かざるを得なくなり、結果、体力も精神力も時間もすべて仕事だけに注ぎ込める ‘タフ’ な人でないと職務を遂行できないような旧態依然とした現状
を痛烈に皮肉ったセリフだと、私は感じました。

※実際のところは原田マハさんや監督・脚本家に聞いてみないとわかりませんが。


攻めのバックオフィス

日本はすでに人口減少が始まっており、生産年齢人口も当然減少の一途をたどります。
あくまでも私の肌感ですが、コロナ禍で雇用状況が悪化したと言われる中でも、オフィスワークやIT系の仕事は常に人手不測の感があります。

当然、「社畜人間」しか想定していないような古い体質の会社には、どんどん人が集まらなくなるでしょう。
人が集まらない、集まってもいきいきと働けない。これはすなわち会社としての競争力低下に繋がり、いずれ淘汰されていきます。


“補い合ってパワーを何倍にも増幅する” という組織の強みを最大化するには、環境・制度・カルチャーの整備が欠かせません。
そこで大事なのがバックオフィスです。

総務・経理・人事・労務といったバックオフィス系の仕事は一見地味に見えたり、淡々と定常業務をこなす印象があると思います。
(*定常的な業務を毎月きっちりこなすのも重要な仕事です)
もちろんそういった面もあるのですが、実はそれだけではありません。

私は以前、バックオフィス向けのクラウドサービスを提供する会社に勤めていて体感として学んだのですが、バックオフィスも ‘攻め’ られます。
『攻めのバックオフィス』は実在するんです。


経理であれば、手間の少ない効率的な経費精算・決裁システムを導入したり、より正確・スピーディーに現状数値の把握ができるよう仕組みを整えたり、先々の資金調達・上場を視野に入れて戦略的に進めたり、会社の事業・経営戦略に沿った財務体質管理を行います。
(どちらかというと後者は財務になるのかな?)

総務であれば、リモートワークが普及した中でオフィスの役割や環境を見直したり、遠隔でも関係性が築けるコミュニケーションの仕掛けや仕組みを打ち出します。

人事であれば、自分に合った働き方を見つけやすい制度構造にしたり、多様なメンバーが補い合いながらチーム力を増幅する流れを促すようなインセンティブ設計を考えます。


バックオフィスはいくらでも攻められるし、バックオフィスが攻めている・挑戦している会社は、
働く人がよりいきいきし ⇒ それを見てさらに人が集まり ⇒ 組織の力もメリットも最大化される、というような魅力的なスパイラルが発生する気がします。


子どもがかわいそうという価値観

ドラマの中で、間宮さんが平日子供に多くの時間を割けないこと・割かないことを、周囲の人が悪意なく「かわいそう」と表現するシーンが何回かあります。
この価値観も、子育て中の就労を阻んでいる陰の影響要因ではないでしょうか。


以前、2017年開催の日本財団ソーシャルイノベーションフォーラムの分科会『障害者と性』で、今も印象に残っている話があります。

結婚すると押し付けられる「ケアは家族がするもんだ」という規範、についてです。
世の中の共通認識として、結婚や共同生活の相手に何かしらのサポートが必要であれば、パートナーがそれを担うのが当たり前、というのがあると思います。


たしかこのとき登壇されたのは、どちらかあるいは双方に身体障害のある夫婦だったと思うんですが、この2人は

排泄も含めた日常的な介助を相方にやってもらうとすると、そこにはしんどさや恥ずかしさや申し訳なさが必ず介在し、これまでの私たちの関係性ではいられなくなる。
パートナーとしてお互いに尊重し合える良い関係性を続けていくために、私たちは介助を外注することにしました。

と話していたのです。

正直、目から鱗、カルチャーショックでした。
でも同時に納得感も強く、視野がバキバキッと広がっていく音すら感じました。


成人同士の話と親子の話は違うという声も聞こえてきそうですが、
「子ども(に構ってあげられないあなた)がかわいそう」という価値観が、今のところひどく一方的で画一的であることにも目を向けなければいけないと思います。

実際、親と子が毎日24時間一緒にいるというのは想像以上にしんどいですし、長く一緒にいればいるほど幸せかというと決してそうは言えないでしょう。
親には家の外の社会と触れる時間、子には親以外の大人や子どもに触れる時間が必要です。
親には親の時間、子には子の時間、そして両者が重なる時間。それぞれがちゃんとあって然るべきです。


子育てがテーマのいいドキュメンタリー映画があるので、記事を貼っておきますね。


私が常々思っていることがあります。

  • 子がいきいきと毎日を生きていることが、最大の親孝行

  • 親がいきいきしている姿は、子にとてもいい影響を与える

親も子もいきいきできることがすごく大切だし、愛情は親子が一緒にいる時間の長さに、単純に比例するようなものではありません。
家族それぞれで最適な形は違ってくるので、もうちょっと柔軟な捉え方が増えてきてもいいのになと思ったりします。


会社でバックアップする方法はないの?

前掲の『ああ、子育て』の記事でも書きましたが、‘親だけ’ の子育てからはいち早く脱却すべきです。
社会全体で子育てをバックアップしていく一環として、会社がもっと積極的に子育てサポートに回る仕組みを用意してもいいのではないでしょうか。


ドラマ中にまりりんが間宮さんの子どもを迎えに行くシーンがありますが、この流れをそもそも社内制度として構築できないのか。

子育てをしていると、子どもが体調を崩して迎えに行かないといけないなんてことはしょっちゅうあります。
身元保証の仕組み/会社と社員の情報共有・信頼関係/緊急時の責任所在/保育所との連携などクリアする課題は多いかもしれませんが、決して不可能ではありません。


発達心理学や幼児教育に詳しいわけではないので、もしかすると小さいうちはできるだけ親と接する時間を確保した方がいいのかもしれません。
でも、ゼロから百までありとあらゆる事態にすべて ‘親’ が対応すべきとするのは、「子育ては母親でなきゃ」と同じくらい凝り固まった悪しき思い込みです。

もちろん最終的には親が引き取ってケアすることではありますが、周辺の枝葉の部分や初動対応くらい、もっと会社含めた社会全体でバックアップしていってもいいんじゃないかなあ?
というか、そうしないと世の子育てワーカーはつぶれちゃうし、組織は敗北し続け誰も幸せにならないよ、と思います。


最近ビジネス系のドラマが増えている?

私がテレビドラマを積極的に見始めたのがコロナ禍のここ数年なので、ドラマトレンドにはそれほど詳しくないのですが、最近なんか多いのかなあという印象があります。
少し前だと『SUPER RICH』なんてのもあって、毎週見ていました。

特に今見ている悪女(わる)に関して言うと、私も「働くっておもしろい」、いや「仕事はおもしろがれる」と固く信じている人間の一人です。
そして、「働くっておもしろい」の感覚に飢えている(=今それが実現できていない)からこそ、強く共感できるのかもしれません。


次で最終回なのが寂しいですねえ。


'22/06/13 最終更新

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