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現代に生きる全員に必要すぎる本が出た...『デュアルキャリア・カップル』

まずこれを言いたい。

シングルもカップルも
老いも若きも
全員読め!


本のタイトルは
『デュアルキャリア・カップル 仕事と人生の3つの転換期を対話で乗り越える』

デュアルキャリアという聞き馴染みのない言葉に気後れしてしまうかもしれないが、まあ待ってほしい。
私もこの本に出会うまで、そんなシャレた言葉は知らなかったのだから。


※以降、本書から引用したものは書籍タイトルを省略し、「本文 p.11」の形式で出典表記する。


全体を通しての感想

普遍的で本質的で現実的

キャリアに関するアドバイスの大半は個人を対象としたもので、個人としてのわたしたちが単独飛行していることを前提に
 (中略)
主な決断を論じている。
 さらに、カップルへのアドバイスのほとんどが二人の関係に焦点を合わせたものであり、各人の職業人としての夢を考慮したものになっていない。

本文 p.20,21

第1章の冒頭で、著者はこのように語る。

私もキャリアやカップルへのアドバイスに詳しいわけではないが、言いたいことはなんとなくわかる。


著者はさらに、「投げつけてくる」という表現も時折用いて、巷の既存の ‘アドバイス’ の類いを揶揄している。
最後まで読んでみて、私はより深くなるほどと感じた。

分担しましょう、話し合いましょう、思いやりましょう程度の表面的なメソッドでは、カップルの行く末に立ちはだかる難題には立ち向かえない。

そんな多くのカップルが見舞われるであろう荒波を、個人的な論評やエッセイとは一線を画す本質的でアカデミックな内容としてまとめたのが本書である。


しかも、全編を通して2人の関係性と互いのキャリアに同じくらい重きを置いた姿勢が貫かれている(というかそもそも甲乙つけられるようなものではないのかもしれない)。

学術的・研究的手法と分析
113組もの多様なカップルの事例収集
関連文献の読み込み
明らかになった事実を元にした調査手法の微調整
、、など


5年にわたるデータの収集、分析、理論構築、執筆の結果が本書である。

本文 p.338

著者も巻末でこのように記しているように、一読者の私からしてもとても深淵な内容だった。

本質的で普遍的で、それでいて調査に協力した数々のカップルの事例をたくさん織り混ぜているので、ただの机上の空論に終わらない。
うまく表現できないが、‘地に足の着いた’ 普遍性が感じられる。


そうだよな、2人で生きるってこれくらいダイナミックなんだよ

本書のタイトルにもあるように、3つの転換期をキーに話は展開していく。

だが、とにかくそれ以前に、全編を通してお互いに粘り強く何度も話し合っていくことの大切さ、あるいはそれを実践しているカップルがたくさんいることがとても印象的だった。
こんなにも深く根気強く話し合って、やっと転換点を越えていけるのか、という衝撃があった。


逆に言うと、赤の他人同士が人生を共にするんだから、それくらいしないとうまくいかないのは当たり前のことか。。

たしかによくよく考えればそうではあるが、私たちはやっぱり未だに、良い相手に巡り会いさえすればその後の人生もうまくいくはずと信じがちなところがある。

そこに、これだけの分量と深淵さでデュアルキャリア・カップルについて書かれると、一見うちひしがれて絶望してしまいそうな気もする。

ただ、私はそこまで絶望を感じなかった。


まず、苦しみながらも数々の転換期を乗り越え幸せを感じているカップルたちの実例があるから。
しかもそれをまとめた本書には、困難に立ち向かうための材料がしっかりと書かれている。


次に、これほど本気で悩み対話し向き合える相手に出会えたら幸せだろうなと思えたから。

長年の親友や恋人でも難しいことだ。
人生で数えるほどかもしれないし、もしかするとたった1人かもしれない。


最後に、何度も迫り来る困難な道のりにクラクラすると同時に、生きることや人生へのダイナミズムを感じたから。

生きている!と感じるのは、なにも楽しいとき・幸せなとき・うまいもんを食ったときだけではない。
苦悩したり悲しんだり絶望したり、そんな営みでさえ、すべて生きているからこそだ。

心や体のアップダウンは、それすなわち『生』である。


カップルもシングルも関係ない、
いいから読んでくれ

本書は著者の研究結果をまとめた内容のため、分析の対象とするカップルももちろん定義されている。

※詳しくは巻末の『付録 ── 研究設計の全体像』を参照してほしい。


ざっくりまとめると、本書に出てくるカップルは以下の条件を満たしている。

  • 全員が学士号を持っている(本文 p.44)

  • パートナーの双方がキャリアと2人の関係に同じくらい重きを置いている(本文 p.44)

  • 2人がともにキャリア(連続性のある専門的な仕事/経営に関する仕事で、積極的な関与を必要とし、なんらかの形で発展していくことが見込まれるもの)を持っている(本文 p.44,45)


これを見て

大学を卒業してそこそこ良い企業に就職して仕事のできる人、あるいはエリートと呼ばれるようなレベルのカップルの話でしょ・・私には関係ない。参考にならんわ

と思わないでほしい。


もちろん、読んだカップルたちにはハイレベルな仕事をしている人たちも出てくる。

どのカップルもそこそこ以上に仕事ができていて ‘しっかり’ 働いている印象はあるけれど、
だからといって大学を出ていない人には参考にならないとか、よくある会社員やフリーランスではない変わった生活をしているから参考にならない、ということはない。


なぜか?

人間なんてみんな似たり寄ったりだからだ。


スーパースターや著名人の悩みや素顔、知られざる一面を知って
「ああ、あれだけ素晴らしい雲の上のような存在の人も、一般人の私と同じようなことで悩んだりしているんだ。」
と自らが感じた、あるいは他人が感じたという話を聞いたことのある人は多いと思う。


でもそれって、実は当たり前のことなのだ。
人はどうしても相手の優れているところ、羨ましいところ、きらびやかなところばかりに目が行く。
表面的なところばかり見て遠い存在だと思い込む。

とはいえ、所詮は同じ人間。
実は多くの人が、人生を通して思った以上に似たような悩みや壁にぶち当たっているのである。


著者も第10章でこの点に触れている。

リーとメイの例が1つの本質を突いていると思うのは──これはわたしが彼らの話を本章で紹介したいと思った理由でもあるのだが──いわゆる「パワーカップル」の神話を粉砕する助けになるからだ。
 (中略)
彼らはすべて整理されコントロールされた人生を送り、すべてを手にしているのだと信じそうになる。だがリーとメイの例が示すとおり、ちょっと表面をこすり落としてみれば、パワーカップルの人生もじつはわたしたちの人生と大差ないとわかる。

本文 p.316,317


読んでみるとわかるが、本書は研究対象となったようなキャリア志向のカップルに留まらず、すべてのカップルの参考になる。

大卒でなくても、どちらかが家事・育児に専念するカップルでも、20代でも50代でも、
2人の人生に複数の転換点が訪れる(訪れてきた)ことは間違いない。
本書が、その試練を乗り越えるための有用なバイブルとなってくれる予感が私はしている。


加えて、私と同じように現在シングル、あるいはこれから先がシングルの人でも、興味深い示唆が得られるはずだ。

今後の人生でカップルとなることがあるかもしれないし、周囲のカップルたちが直面する困難に対する解像度が上がるかもしれない。

何よりシングルの人生にも何らかの転換点は必ず訪れるはずで、そういった揺らぎに直面した際に ‘内省と探求’(これについては第5章で触れられている)を行うための手助けとなる。

普遍的かつ現実的な内容だけあって、他のことにも応用がきくのである。


苦々しいエピソードを思い出した

書いていて思い出したというよりは、ずっともやもやしていて無意識のうちに懺悔する機会を探していたという方が正確なのだが、、


大学生の頃、知り合いの学生が就活の話をしていた。

女は結婚して途中で仕事辞めるから気楽でいいけど、男は定年までずっと働かなきゃいけないから就活の会社選びで一生が大きく左右される。ほんと大変だよ。

ちなみに、○○戦でお馴染みの某有名私大生だった。


今の私なら、零コンマ何秒で「お前いつの時代生きとんねん!」と心の中で(たぶん口にするまでの勇気はない…)大ツッコミするだろう。

ただ当時、就活に奔走する周囲とは対照的に大学を中退する自分に対して自信が持てず、劣等感がすごかった。
それもあって、そうか大変なんやなあ・・という受け止めしかできなかった。


同じ日、別の知り合い(女子)にこの話をして
「そうか、男の就活は大変なんやなあ・・と思った」
という(今考えれば超不甲斐なくステレオを通り越したズデレヴォダイブな)自分の感想を伝えた。

彼女は「ん~そうじゃない人もいると思うよ (苦笑)」みたいな感じの反応をしていたけど、たぶん内心ドン引いてたんだろうな。。


2人ともバリバリ働くのが唯一解で、それ以外がすべて不平等で不幸せなんていう過激なことを言いたいわけではない。

ただ、『女はこういうもの。んでそれが女にとっての幸せ』という決めつけが、どれほど多くの可能性や幸せや野心や未来を狂わせ崩壊に導いてきたか? 想像もしたくない。
そしてもちろん、男にとっても似たようなことは言える。


こういった外的規範を私たちは少なからず内面化しているので事はそう簡単ではないが、
それらも含めて2人で腹を割って話し合えるか/共有できるかが、‘ポジティブサム’ (本文 p.198) なカップルになるためには大切だ。

※ポジティブサム:ゼロサムとは対照的なもう1つの思考タイプとして、著者が挙げている。


具体シーンに触れて

経験や年齢で感じ方が変わる

noteのプロフィールにもあるように、私は20代だ。

一応『制約のない逸材』ではあるが、その制約のなさを存分に生かしているとはまだ言いがたい状況にある。
誰かとカップルになり、数年・数十年単位で人生を共にするとすればこれからだ。

※住宅ローン・育児・介護といった時間と場所が縛られるような個人的責任や制限をほとんど持たず、20代のあいだ完全にキャリアに打ち込める人々を、著者は『制約のない逸材』(本文 p.54)と表現する。
めちゃくちゃ的確に言い表していて巧みすぎる。いわゆる ‘わかりみが深い’ というやつだ。


本書は3つの転換期を軸に内容が展開されている。
(第一:20~30代、第二:40代頃、第三:50代頃)

個人的には、第一と第二の転換期は比較的身近な感じがした。(そしておそらく第二の転換期が一番手強い)
当然といえば当然だが、第三の転換期は少し遠い感覚がある。
ただ、役割の変化とともに喪失感やアイデンティティの揺らぎがあるという内容には、なるほどと思えた。

たぶん長い人生の中、折に触れて本書を読み直せば、感じ方も人生への影響も毎回違ってくるんだろうなと。


ジャンピエロすごくね・・?

著者もまた、1組のデュアルキャリア・カップルとして生きながら、この研究・執筆を行っている。

2010年のある朝、育児との両立に疲労困憊しキャリアを諦める決心をした著者に、パートナーであるジャンピエロは(形ばかりの表面的な反応ではなく)本気で反対した。

夢を諦めるなんてとんでもない、とくにいまは駄目だ

本文 p.29


(博士課程での勉強がどれほど自分にとって大事かを以前に聞かされていたとしても)
2人ともがパツパツになっている中、そこに確実に余裕をもたらしてくれるであろうパートナーの決断を、ホッとしながら受け止めずにいられるだろうか。

それはきっと、深い次元で互いのことを知って語り合ってきたからこそとれる行動だなと。

特に男性が働き女性が家庭を切り盛りするという分担が歓迎されがちな社会において、このリアクションがとれるかというと、決して簡単ではない。


家事分担のメソッド

とても興味深い家事分担の方法論が第3章に掲載されている。

著者は、2人の対話や重要な決断において互いの価値観・アイデンティティへの影響を軽視すべきではないと度々述べている。


詳しくはここでは触れないが、この方法論に則って分担を決めていけば、
経済的な判断基準に頼りすぎたり(p.82 第一の罠)
すべてこなそうとしたり(p.97 第四の罠)
することを最大限避けながら、満足度と実効性の高い分担が決められそうだ。

しかも想像以上に考えることはシンプルだ。


もちろん読むなら最低でも第3章の初めからにしてほしいが、
この数ページの家事分担の方法論を読むだけでも、カップルで生きていくことへの勇気と希望がふつふつと湧いてくる。


親のキャリアと子どもへの影響

短い言及ではあるが、子どもに関する非常に重要な情報を著者は提示している。


第4章で子育ての3つのモデルを紹介するにあたり、子どもと一緒にいられないことに罪悪感を覚える親が非常に多いと紹介する。

自分が子育てに専念できないせいで子供に何かしら害が及んだり、心理的、または社会的な機能障害が起きたり、学校の成績が悪くなったり、子供が見捨てられたように感じたりといった、いろいろな問題が起こるのではないかと心配していた。

本文 p.127,128

ところが、著者は既存の調査研究を例に出した上で、
『こうした不安には根拠がない。子の発達や幸福が親と一緒にいる時間に比例するような事実はない。』
とバッサリ言い切っている。


実は私も以前から似たようなことを思っていたので、それを補強してくれるような力強いことが本書に書かれていて、非常に嬉しかった。

※『ああ、子育て』や『組織とは人である ~まりりんとオウミから考える~』で親子について書いている。

社会や一人一人の人生に多大な弊害をもたらしている “共働き家庭の子どもはかわいそう” 的価値観とは、ちゃんと闘っていきたい。


余談だが、イギリスやアメリカではよく耳にするこの悩みも、フランスではめったに聞かない、という著者の経験談はとても興味深い。

『ああ、子育て』でも書いたように、フランスでは長いバカンス期間を親と子がバラバラに過ごすという話もある。
以前から関心を寄せていた国だったが、本書を読んでますます興味が湧いてきたのだった。


時間が掛かることをよしとする大切さ

時間が掛かるものを受け入れる、あるいは意識的にきちんと時間を掛けることの大切さにも、本書では触れられている。


私の感覚を信じるとすると、現代においては『全方面コスパ・効率主義』が確実に勢力圏を広げている。

先月、男女共同参画白書のデータが話題になった折、もし人間関係をコスパだけで判断しようとする潮流が強まっていたら…という思いが一瞬頭をよぎった。


コスパという考え方はあってもいい。あってもいいが、当然その考え方と相性の悪いものはあるし、コスパ思考を持ち込むと非常に危険になるものもある。

人間関係だってそうだと思う。人間関係は元々面倒くさいもので、時間も掛かる。
だから「コスパが悪い」と切り捨てるんじゃなくて、むしろ時間が掛かること/ちゃんと時間を掛けることを楽しむくらいがちょうどよいのではないだろうか。
コスパUPあるいは生産性UPで浮いた時間を、人付き合いのために遣うくらいでよい。


著者はまず76ページで、多くのカップルに「相手の話に集中すること」が不足気味であると述べている。

研究発表の会場で、参加カップルに対し練習課題としてパートナーの話を3分間ひたすら集中して熱心に耳を傾けてもらうだけで、絶大な心理的効果が得られる、とも。


人間関係においてオープンなコミュニケーションが大事なのはわかりきったことだ──常識といってもいい。しかしカップルの研究をしていると、最小限の話し合いしかせずに優先順位のモデルを決めたり変更したりするカップルがいかに多いかを実感するのだ。

本文 p.124

キャリアの優先順位モデルの解説部分で触れた上記の実感に加え、
第三の転換期について書かれた第8章でも、パートナーと理想的な関係性を築くには長い時間と手間が掛かることに言及している。


先日、結婚観の記事
“恋愛と違って結婚では、好きかどうかよりもちゃんと向き合えるか・腹を括れるかという点が大切だ”
と書いたが、その感覚は間違っていないと言われた気がして少し嬉しかった。

しごく当たり前のことではあるのだが、人間は都合の良い生き物で、度々これらのことを忘れてしまう。
この先2人の関係性構築のためたくさん時間を掛けていくことに対し、前向きに腹を括れたなら、それ以上のものはないというのに。


もう1つ興味深いのが、第二の転換期に触れた第5章の記述だ。

いまはスピードと生産性が高く評価される時代だが、境界リミナリティに関するかぎりそういうやり方はできない。胎児が健康な赤ん坊へと成長するために子宮での10カ月を必要とするように、人が健全な個性化を進めるためには境界リミナリティで長期間過ごすことが必要なのだ。

本文 p.162


前出の章で第二の転換期が一番手強いだろうと私の感想を述べたが、
著者が研究で知り合ったカップルの多くも、第二の転換期が最も困難な時期だったと語っているそうだ。

生じた疑念に向き合い、自分の内面を深堀り、過去を振り返り、本当に求めているものを見つける、、

独立していた2本の道を1本の共同の道へ再編成していく第一の転換期や、アイデンティティの空白を伴う第三の転換期は比較的想定しやすいのに対し、
第二の転換期は ‘不意を突かれる’ 感が強い。


そして、著者が第5章の中の小タイトルの1つにしているように、非常に高度な『内省と探求』が求められる。

時間がないからと表面的な目線で面倒くささを回避したり、
今までこの方法でやってこれたのだからたいしたことはないと言い聞かせたり、
2人の関係性を継続的に見直しよりよくしていく姿勢を放棄してしまっていると、
自分の内側から湧き上がってくる疑念に蓋をし、ひどい座礁やひどい焦げ付きに発展してしまうであろうことは容易に想像できる。


固定観念から脱し、技術を身につける

愛について、パートナーとの関係性について考える上で、自覚的になっておくべき事柄がある。


多くの人々が幼いころから運命の出会いの物語を聞かされて育つ。親が読み聞かせるおとぎ話も、人気の映画も、雑誌の記事も、たいてい「唯一無二の伴侶」を見つけるための探求として愛を描く。
 (中略)
固定型マインドセットでは、二人の関係に困難があったとき、「この人がふさわしい相手ではなかったからだ」と解釈するようになる。
 (中略)
困難や対立が持ちあがると、固定型マインドセットの人はパートナーから身を引き、サポートをやめてしまうことが多い。
 (中略)
第一に、おとぎ話のような「唯一無二の伴侶」のイメージを捨てること。よい関係を保っているカップルは、お互い相手のために時間や労力をかけているからその状態なのであって、キューピッドの矢に打たれたからではない。

本文 p.174,175


この刷り込みは、本当に私たちに大きな影響を与えていると思う。
著者はさらに324ページで、愛について書かれた一番好きな本としてエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を紹介している。

私はドキッとした。

というのも、私が好きでよく聴いているラジオ番組「生活は踊る」やポッドキャスト番組「Over The Sun」でパーソナリティーを務めるジェーン・スーさんも、最近この本に感銘を受けたと語っていたからだ。


『愛するということ』では、愛はそこにあって自然に湧き出てくるものというよりも、‘愛する’ 技術だと論じているようである。

それを受け、著者(ジェニファー・ペトリリエリ)もこのように書いている。

うまくいくカップルは、デュアルキャリア・カップルでいることを技術として捉えている。

本文 p.326


著者はまた、本文全体を通して(キャリアや子育てのモデル選択を含めたカップルの数々の決断に関して)
“「何を」するか/選ぶかではなく、「どう」するか/決めるか”
“選択結果ではなく、プロセス”
が重要だと繰り返し述べている。

言い換えればそれは、
“運命の相手と出会えたか/を選べたかではなく、本気で向き合えたか/話し合って決めたか”
に目を向けるべきだということになる。


謝辞にクスッとした

本を開いて日本語版序文に入る前の1枚の白いページに、こうある。

わたしの着想の源であるジャンピエロ

わたしたちの人生を喜びと驚きでいっぱいにしてくれる、ピエトロとアリアンナへ

本文 p.1

ジャンピエロは、著者の夫。
ピエトロとアリアンナは、2人の子どもだ。


巻末の謝辞でもこう書いている。

こんにちのわたしがあるのは、大部分においてジャンピエロのおかげである。本書はわたしがいままでに書いたなかで最も長いラブレターだ。そしてこれが最後ではない。

本文 p.339(太字加工は私が追加)

思わずニヤッとしてしまったが、本当にその通りだと思う。

この300ページ超の厚い本は、感銘を禁じ得ない研究成果の集大成であり、同時に全体を通して壮大なラブレターでもあった。


  • 彼(ジャンピエロ)の発言・行動について、随所で直接的に言及している

  • 様々なカップルの事例と分析結果を通して、自分たちが乗り越えてきた転換点を改めて振り返っている

  • 何より今こうやって自分のやりたいことに本気で取り組めていること事態が、2人で生み出した(デュアルキャリア・カップルとしての)大きな成果である


このあたりが、ラブレター感を感じる部分だろうか。

付け加えると、ところどころのろけっぽい箇所もあるのだが、それは著者がのろけようと思って書いたというよりも、良いエピソードすぎて読者側が勝手にのろけを感じてしまっただけな気もする。


いずれにせよ ‘ラブレター’ は、とても愛とウィットに富んだ表現だ。間違いない。


本文が一部公開されているので紹介

出版元である英治出版の公式noteで、第1章の一部や日本語版序文が読めるので貼っておく。
気になる人は読んでみるといいかもしれない。



ああ、こんなにも色々書いてしまうくらいこの本は内容が濃かった。感銘を受けた。

売ったりして処分せず、人生のバイブルの1つとしてこの先も手元に置いておきたいと思う。


'22/07/23 最終更新


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