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私の結婚観 ~結婚はインフラ整備~

なんで急に結婚観について書こうと思ったんだろう?
下書きを作ったのはそれほど前ではないのに、すでにきっかけが思い出せなくなっているのですが、もしかしたら最近見ているドラマの影響かもしれません。

『持続可能な恋ですか?』です。
内容がおもしろいのもありますが、主演の上野樹里さんに良いイメージがあるとか、松重豊さんの笑顔がめちゃくちゃかわいいとか、役者さんのおかげもある気がします。

上野樹里さんは、同じ作品を短期間に複数回観ることのない私が、珍しく3回くらい劇場に観に行った作品、『陽だまりの彼女』でも主演をされていました。チャーミングな人です。


社会現象? にまでなった逃げ恥(ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』)もそうですが、近年は良い意味で結婚観を揺さぶってくる作品が増えていて、なかなかおもしろいですよね。

私はわりと世間一般と違う考え方をしている事柄が多く、また周りと少し違うことが自信だったりアイデンティティに繋がっている人間なのですが、
結婚観についても同年代と比較して珍しいタイプなのかなと思うので、ちょっと書いてみます。


私の結婚観はこれです

イラストで比較する

まずはわかりやすく、視覚的に比較してみます。

学校でも職場でもよく目にするいらすとやのイラスト。
何でもかんでもAmazonのリンクを貼りたがる世の風潮に抗うのと同様、いらすとやにも抗いたかったのですが、やはり便利だということで今回はALLいらすとやでお送りしております。
みふねたかしさん(いらすとやを運営しているイラストレーター)、ありがとうございます。

※世間一般の結婚イメージについては、私の独断と偏見に基づいて作成しております。


城の向こう側はお花畑。その城の手前で一緒に城門をくぐる人を探してゴールインする図
私が思い浮かべる世間一般の結婚イメージ

こちらは、イラストの中の城が「結婚」を象徴しています。

手をつなぐペンギンとくねくね続く道。道の周囲にいくつもの危険と、危険から身を守ってくれるアイテムの図
私個人が抱く結婚イメージ

一方こちらは、道の脇にある車やアーケードやブロック塀やコンクリートポンプ車(道を舗装するイメージ、今さらだけどミキサー車にすればよかった…)が、「結婚」を示しています。

下のイラストはなんでペンギンなの?と思われたかもしれませんが、男女が手を繋いでいるイラストはなんか古いなと思ったので、従来型の価値観と差別化を図るためにも今回は動物で好感度を上げにいきました。ご容赦ください。


イラストを見ていただければなんとなくピンとくるかなとは思うのですが、世間一般と私個人の結婚観のおもな差異はこれです。

  1. 結婚が先にくるか ⇔ 人が先にくるか

  2. 結婚によって ‘向こう側’ に行くのか ⇔ 道をより良く変えていくのか


1. 結婚が先にくるか ⇔ 人が先にくるか

世間一般のイメージでは、いまだに「結婚」はライフステージの中に最初から設定(プリセット)されていて、人生を歩む上で基本的に避けては通れない感覚があると思います。
さきほどのイラストで横一列に城を配置し、城の向こう側のお花畑と城門をくぐる手前を対比させたのは、そういう意図です。

つまり、20~30代のうちにくぐり抜ける ‘べき’ 通過ポイントかつ重大ミッションであり、城門を一緒にくぐり抜けてくれる人を一生懸命駆け回りながら探しているイメージです。
結婚することが絶対条件として先にあり、そのために相手を探すという順番です。


一方で私の場合は、あくまでも相手ありきです。
この先一緒に寄り添って生きていきたいねと互いに思える相手に出会った状態を、手を繋いだペンギンで表しています。
2人(2頭?)の前にはこれから歩んでいく道がくねくねと伸びているわけですが、その道を進んでいくやり方の1つとして「結婚」があるというイメージです。

そのため、私には(具体的な相手が想定されていない状態での)結婚願望というものがほとんどありません。
こう言うと「結婚したくないんだ」ととられるかもしれませんが、
“結婚しない/できないのはろくな人間じゃない”・“何歳までに結婚しなきゃ”・ “結婚しないと幸せになれない” みたいな強迫観念や焦りがないだけで、別に結婚することを拒否しているわけではないのです。

※子どもが欲しいという強い願望がない、子どもを産む能力が元々体に備わっていない、というのも大きいかもしれません。
出産・育児と結婚は強く結びついているので、この2つの条件が違っていたら、私の価値観や結論も変わっていたことでしょう。


もちろん結婚というのは、「いいね!じゃあ結婚しよう」という双方の合意だけでは簡単にできないこともままあります。
周囲の理解を得たり、住む場所を決めて共同生活したり、将来に向けての貯蓄をしたり、子どもが欲しいか話し合ったり、年齢が影響したり、、

相手に出会うまで結婚のことを何も考えてこなかった人よりは、少しでも結婚について考えたり具体的な準備をしてきた人の方が、スムーズに結婚を迎えてベターな結婚生活を送っていける可能性は高まると思います。
ただそれでも、人が先にくるという感覚は私の中で変わりません。今のところ。


2. ‘向こう側’ に行くのか ⇔ 道をより良く変えていくのか

もう1つの違いが、‘向こう側’ に行く感覚の有無です。
先ほども触れたように、「結婚」という城の ‘向こう側’ に行く・城に入ることが幸せであり、それでこそ一人前だという風潮がまだまだ世間にはあります。

私の場合、結婚前後で大きく景色が変わる(城の ‘向こう側’ に行く)という感覚はあまりなく、どちらかというと結婚は、
2人でこの先歩んでいく道をアスファルトで舗装するのか/塀を作るのか/屋根をつけるのか/車に乗るのかといった、道(人生)を整備していくツールの1つに過ぎないと考えています。

タイトルで「結婚はインフラ整備」と表現したのもそういう意味です。
法律婚は、2人で歩む道を整備していくときのインフラであり、1つのテンプレートでしかありません。


以前、本屋のイベントで聞いた水谷さるころさんの言葉が印象に残っています。

結婚生活に私たちを当てはめるのではなく、私たちの幸せに合うように結婚の形を変えていく

この観点からいくと、民法に規定されている婚姻がベストだと言い切ることはできなくなるでしょう。

当然ですが、100組のカップルがいれば100通りの幸せの形がありますから、常に誰にでもピッタリしっくりくるものではないのは明らかです。
だから、いつ何時も法律婚が唯一解だと私は思っていなくて、事実婚・契約結婚・ゆるい恋人関係など、その人たちごとにベターな選択は異なってくるだろうと考えています。

もちろん法律婚は、法的・社会的に強力なバックアップが付いていて、また余計な説明を加える必要もなくわかりやすく祝福されるので、かなり魅力的なテンプレートであることは疑いようがありません。
でも、法律婚に囚われすぎて本当の自分の幸せを見失うようなことだけは嫌だなと思っています。


余談ですが、逃げ恥で話題になった契約結婚っておもしろいですよね。
法律婚では財産や結婚生活、姓などに関してすでにルールが決まっているので、ある程度それに合わせることになりますが、契約結婚の場合一から自分たちで組み上げていくことが可能です。

※実際の枠組みや拘束力・有効性までは私も勉強できていないので、実現可能性についてはいったん脇に置いた状態で書いています。

たとえば、法律婚したいけど財産管理や相続の点で家族や親類から強い懸念が上がっているようなとき、
押し切って結婚するか? ⇔ 断念するか? のゼロか百かではなく、「法律婚と並行して契約書を作り自分たちの&周囲の不安を払拭する」というハイブリッドな選択肢を私は加えたいと思います。
この先2人がより幸せに寄り添っていけるのであれば、目先の弁護士相談費用の数十万円くらい喜んで払いますよ。


恋愛の延長線上に結婚がある・・?

最近聴き始めたポッドキャスト番組で、おもしろい話題がありました。

(私とおそらく年代も近いし親近感のある雰囲気の2人なので、リスペクトを込めてあえて敬称略でいきます)

このエピソード18で、ルナとお琴が恋愛観について対照的な意見を言っています。
ざっくりとこんな感じです。


【ルナの恋愛観】

  • これまで結婚をゴールにして異性と付き合ったことがない。

  • 恋愛と結婚では求めるもの(ベクトル)が違う。今現在は結婚のベクトルで彼氏を探している。
     

【お琴の恋愛観】

  • 毎回「この人と結婚したい」と思って付き合う。結婚に至らないだろうな(いつか別れるだろう)と思いながら付き合うのは無意味・無駄だと感じる。

  • 恋愛と結婚は分けられない、イコールの概念。結婚できる人とじゃないと付き合わない。


本題に入る前にまず、これだけ率直に自己開示できて話し合える関係性めちゃくちゃいいな、羨ましいなと思いました笑

私は2人の話を聞いて、(ありがちな捉え方ではありますが)ルナはリアリスト、お琴はロマンチストだと感じました。
私自身は、ルナの考え方に近いです。


世の中一般的には、おそらくお琴的価値観がマジョリティーで、しかも恋愛結婚が主流になっていることもあり、恋愛が最終的に結婚に至るというシナリオが語られがちです。

でも私はルナと同様、恋愛と結婚では目的/互いに求める要素/距離感/時間軸の長さ等が異なっていると思います。
だから、“ベクトルが違う” はまさにドンピシャの言い回しで、けっこう共感しました。


ではなぜ、恋愛と結婚は地続きだと捉えられがちなのか?
共通しているポイントといえば、『一緒にいたい・そばにいたい』という気持ちや『お互いに大切な相手だと認識している』部分でしょうか。
逆に言えば、それ以外は違っているような気もします。

『好き』という感情も共通してない?と言われそうですが、私は恋愛には当てはまっても結婚には当てはまらないと考えます。
結婚では好きかどうかよりも、一緒にいて安心できるか/ちゃんと向き合えるか/腹をくくれるかという点が中心にくるイメージがあります。
恋愛は「好きだから一緒にいる」だけで成立しますが、結婚はそれとは別物ではないでしょうか。


お見合い結婚や恋愛をすっ飛ばした電撃結婚が、必ずしも恋愛結婚に劣ると言えないように、

“恋愛の最終ゴールには「結婚」があるんだ、地続きなんだ”
“結婚に至らなかった恋愛は全部失敗なんだ”

という価値観はすごく凝り固まっていて発想として貧しいし、もっと豊かに柔軟に崩していってもいいんじゃないかなと私は思います。
もちろん、恋愛から結婚にシフトしていく関係性構築も素敵だしあっていいけど、それだけが正解じゃないはずです。


結婚と幸せの関係性

結婚して幸せになる

は定番のフレーズです。
このように、「結婚」は幸せと強固に結びついたイメージが一人歩きしていますが、その幻想に安易に乗っかるのは危ういと私は思っています。

もちろん結婚を経て実際に幸せになっている人たちはいるし、小さい頃から結婚は素晴らしいと言い聞かせられて育ってきたので少なからず憧れは抱くでしょうし、ロマンチックな気分になること自体は否定しません。

ただ、
「結婚したら自動的に ‘幸せ’ もついてくる、なんてことはない」
これだけは肝に銘じたい。
もし絶対に幸せになれると信じ込んでいるのであれば、それはもはや宗教です。やめた方がいいです。
※断っておきますが、両親もそれなりに円満にやっていますし、身近でものすごいトラウマがあるという事実はないですのでご心配なく。

クレジットカード契約時についてくる保険でいうところの、自動付帯ではなく利用付帯だと例えることもできるでしょうか。
クレジットカード作った (結婚した)!これで保険 (幸せ) もついてくる、わーい!ではなく、作ったクレジットカードを利用して行動しないと保険 (幸せ) は適用されませんよ、的な。
わかりづらいか笑


たしかに、結婚は良くも悪くも「逃げづらくなる(向き合わざるを得なくなる)」ので、心情的に何かしらの変化はあるでしょう。
とはいえ、結婚したからといって急に深い愛が生まれたり、急に2人の関係性が良好になる(短期的なウェディング・ハイ* の期間を除く)ことはないはずです。

私は、結婚前後で2人の関係性や心情に決定的な差は生まれないと考えています。
(先に “こうなりたいな/ありたいな” という思いがあって、結婚がその後押しをしてくれることならあっても、「結婚した」という事実だけが主要因となって関係性に大きな変化を及ぼすことはないという考え方です)

*「クライマーズ・ハイ」になぞらえた造語です。映画とは関係ありません。


結婚しようがしまいが、結婚する前だろうがした後だろうが、日々の幸せに気づく・拾う・集める・話し合う作業は、ずっと必要なんだろうなという気がしています。


ちょっと引っ掛かる結婚ゼリフ

少し横道にそれますが、結婚のときによく耳にする言葉についてです。


僕にください?

ドラマでも(おそらく現実世界でも)よくあるセリフ。

娘さんを僕にください

私はたぶんこういう挨拶はしないと思います。

もちろん所有欲や人を所有する感覚というのは、それが親しい間柄であればあるほど生じがちなものだし、当然私の中にも内在化された ‘所有’ 感覚が存在していると思います。
でも、大切な人のことを口にする大切なタイミングで、自分だったらこの言葉を選ぶだろうか?と。

結婚相手の名前が仮に田中花子だとします。
花子は夫のものでも父親のものでも母親のものでも田中家のものでもありません。花子は花子でしかなく、彼女のことは最終的に彼女自身が決めます。
誰のものでもない一人の人間なので。


許してください?

あと、「結婚を許してください」というのもあんまりしっくりこないですね。結婚は許してもらってすることじゃないから。

もちろん両親とはいがみ合うより、良いコミュニケーション関係を築いていきたい。
ただ、許してもらううんぬんというよりは、
「結婚はする意向です。だから見守ってください。あといいコミュニケーション関係を築いていきたいのでよろしくお願いします。」
みたいなスタンスなのかな。
現実問題、なかなか難しいのかもしれないけど。


幸せにします?

「幸せにします」もやや違和感があります。
人は他人を(直接的に)幸せにはできないし、そんな力はありません。
幸せだと感じるのは常にその人自身だし、何が幸せかを決めるのも本人です。

「幸せにします」はそれなりの決意表明・覚悟表明ではあるし、王道な言い回しでドキッとするかもしれません。
でもやっぱり、他人の人生を幸せにできるだなんておこがましくない?とも思っちゃいます。
自分だったらなんて言うだろうなあ・・・


そんなことを考えていたら、直近のOVER THE SUN Ep.87(ポッドキャスト番組)で似たようなことが話題に上がっていました。

「(その女の人を)好きかどうかじゃなくて、自分が幸せにできるかどうかなんです。男の人は相手を自分の能力では幸せにできないと思ったらその人を好きにならないんです。」
という情報を知って驚愕したとスーさんが話しています。

私も、これはわりと重要なポイントな気がします。
その習性?自体の良い悪いはわからないけれど、少なくとも “自分の力でちゃんと女の子を幸せにしなきゃいけない” みたいな強烈な何かを、世の多くの男性たちが無自覚に背負っていることだけは間違いなく言えると思います。


あと、これまたOVER THE SUNのEp.72
女性にありがちな傾向として「私って今幸せなのかな?」と常に自分に問いがちというのがあって、それは絵本を初めとした幼少期に触れてきたコンテンツの「幸せになりました。めでたしめでたし」の刷り込みが影響しているのではないか?
という話です。

私も幸せについて考えなくはないですが、「幸せ」というワードにことさら着目して強く意識したことはあまりない気がするので、新しい視点を知れておもしろかったですね。
7分くらいで聞ける興味深い内容なので、ぜひ聞いてみてください。


こうやって考えていくと、私たちの「幸せ」観念って案外凝り固まっているのかもしれません。
以上、結婚と幸せの話でした。


'22/06/18 最終更新

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