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毒多
2021年10月25日 11:09
「傾聴」をやりだしてから、精神的な病の人の話を聴くことが増えた。というか以前は全くか、ほぼ聴いたことがない。友人のなかで鬱と診断された人と話したことがあるが、かなり改善してからなので普通の会話だった。ああ、思い出した。若いときに鬱のどん底の知人と会った。以前の元気なときを知る年下の女性だったのだけど、疾患してから会った瞬間に愕然とした覚えがある。なんだこの表情は、、、なんだこのやつれ方は
2021年10月17日 11:44
どうも、なんだろう。多くの人が普通に感動するだろうと思われる講演だった。そのように多くの人は素直にいい話だったね、と感動した。うん、そうだよね、優しさと愛しさで溢れているよね。うん、人の心はきれいだよね。いのちはビューティフルだよね。でもほんの少し人が、うがった目で見てちゃちゃを入れた。でもさ、キレイすぎないか?人のいのちってのはそんなに綺麗事ではないだろう。ドロドロと苦しんでい
2021年10月7日 09:52
傾聴とはただひたすら聴くことです。語ることはなく、ただひたすら聴くことです。これがなぜ出来ない。アタマは制御しようとするけど、どうしても語ってしまう。なぜ?実感がほしいからだ。ここまで得た知識と重ねた思索と討論の実感が。自分の言葉が他者に何かをなしえようとしている実感が。つまり自分がここに存在するという承認が。自ら語り承認されること。たとえ他者を利用にしようとも。