note×standfm ある読書家の詩作/愛すること/愛の匂い/愛のかたち/詩について
皆さま、如何お過ごしでしょうか?
2023年も終わりを告げるタイミングに入って参りました~
今日は皆さまは、どんな書籍をお手に取っておりますでしょうか?
ここ数日は今年の活動を振り返っておりました。
活動の中で大きな変化は「詩」のようなものを書いたり、音声配信し始めたことです。先日「夕星」という詩で11作目になりました~
今回もstandfmでLive配信した「愛すること」という詩について文字お越し+αで記事を投稿してみたいと思います✍️
直近2年程ですが、詩集をたくさん読み込んで参りました。
そして、ある時、自分でも書いてみたいという「内的宇宙の小爆発」が幾重にも起こり、今回も「愛すること」という詩のようなものを綴るに至りました。
これはフランスの哲学者、夭折の人、シモーヌ・ヴェーユの言葉ですが、パンは生命を繋ぐためには確かに、必要不可欠だと私も思います。
一方でパンだけを求めると精神は弾力性を失い、情緒の根はやせ細り、酷い場合には死に至る病を発病しかねませんが、そんな時に「詩」というものがどれほど、人を勇気づけることか?と考えておりました。
詩という、魂のエクリチュールは読む人の閉ざされた世界を開いてくれるような運動そのものの様に思えて参ります。
真理は運動の只中にあり、アランも言うように「詩」は常にポエジーであるんだろうと思います。
★★★
──── ある読書家の詩作/愛するとは/愛の匂い/愛のかたち
▼第1540回目 愛することLive☟
▼第1535回 朗読/愛すること
今回の配信の音源はスタエフで仲良くさせて頂いております、Hearty soundさんよりお借りしてお届けを致しましたさらに今回のLiveではゲストスピーカーとして登場頂いております。
【Hearty soundさん番組URL】
新番組 Hearty sound boxさん番組URL ☟
Heartyさんnote URL☟
そして、いつもの様にスピーカーは山ガールzさん、原田龍一さんをお迎えてしてお届けを致しました。
──── 愛するとは?
今回の詩は「愛すること」とタイトルをつけてみました。
「愛」というものは決して名前を付与して「愛とは〇〇である」と・・・
限定的に捉えることができない、大いなる何かであるように思います。
「愛」にもさまざまなものがある様に思います。
自分への「愛」や、この不確かな私を私であると、確定せしめる他者への「愛」もあるでしょうし、その射程は人間を超えて人間以外の生や、非生物にまで遠く及ぶ「愛」もあると思います。
「汝の隣人を愛せ」「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」という言葉も想起させられますが、「愛」には言語で規定する「愛」の概念を大きく超えていくような印象がございます。
分裂してしまったものの合一を果たす統合への欲望が「愛」するという渇望である様に思えて参りました。
私が想像する「愛」というものは、形はまるく、匂いは香ばしく芳しいものでした。私が感じた、「愛」というものは、「結合体」であり、接合や統合という「合わせる」、はぐれてしまった、離れ離れになっていたものを再び円を描いて結合するというものの様に考えております。
この人間砂漠を誰しも歩いている中で、時として「愛」に迷い、「愛」を求めて、「愛」に傷つきながら、「愛」と呼ばれるものが一体なんであるかを探し続ける。持続的な純粋意識を続けることが「愛する」という行為なんだと思います。
小説家、福永武彦が「愛の試み」という小説を書いております。
人間が生きる本質的な基盤として、孤独があり、愛とは運命によってその孤独が試みられることに対する人間の抵抗である・・・・としてございます。
我々は忘却の河に流される定めではございますが、ナイルの河の一滴に戻る前のこの抵抗こそが、人間の生を躍動させ、人間を人間たらしめているようにも思います。
──── 愛するということ
エーリッヒ・フロムの名著に「愛するということ」がございます。
この名著には次のような一節がございます。
如何でしょうか?
競争原理の引力があまりにも強すぎる中で物質至上主義に傾いて来た帰結が現代の風景である様に思いますが、真理は地位や名誉、権力、金にはないということに気づいている方も昨今、多くなってきた様に思います。
一方でこの様な構造にあっては「汝の隣人を愛せ」という黄金の言葉も虚しく響くだけの様に思います。
人はどこかで統合欲望に気づいており、分裂状態での不安には堪えられないのだと思います。広やかにすべてが元々は一つであったという太古の記憶や野蛮性への回帰あるいは、社会構造はゆるやかなゲマインシャフト化が必要な側面もあるように思います。
ヘルマン・ヘッセの研究の権威、フォルカー・ミヒェルスが編集した書籍「愛することができる人は幸せだ」の中には次の一節がございます。
福永武彦、エーリッヒ・フロム、ヘルマン・ヘッセを経由して思うのが、大切なのことは、目には見えず、触れることもできないということです。
そして、全てには「愛」が遍満しており、それは人間だけでなく・・・山川草木、神羅万象・・・あらゆるものに仏性が充満しているということでございます。
この「愛」によって結合された状況こそが、人が執着から解放された光る地平に立つということだろうと思います。
トルストイ、そして、レバノンの詩人、ハリール ・ジブラーンの言葉をお伝えして今回の投稿を閉じたいと思います。
シモーヌ・ヴェーユも言うように、現代を生きる人にとっては、パンではなく、詩が必要なんだろうと思います。詩というのは比喩的に捉えても、それは決して、地位や名誉、権力、金ではないということですね。
人々が求めているのは心の乾きを癒しの様に思います。
それは、音楽や詩、絵画など、人の内発が創造した宇宙にこそ製作者の孤独が埋め込まれていて、見た者、触れた者の琴線に共振し、本当に大切なものに気づかせてくれるきっかけの様に思います。
人と出会いや、芸術作品の根源に触れたときに改めて人間の人間性に潤いや領土の復権への道が開けてくるように思います。
ここまでお読み頂きまして、有難うございました。
★★★
──── ここからは毎度の宣伝でございます。
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