見出し画像

いまさらでも噛み締めるー読書感想「昭和史1926-1945」(半藤一利さん)

半藤一利さんの訃報に接して「昭和史1926-1945」を読みました。こんなにも面白い本をなぜ今まで読まなかったのだろう。本当であれば生前に拝読し、出版社や著者ご本人に「素晴らしい本をありがとうございます」と伝えたかったし、伝えるべきだった。それでも、いまさらでも残された言葉を噛み締めたいと思う。「歴史は決して学ばなければ教えてくれない」(p507)のだから。(平凡社ライブラリー、2009年6月11日初版)


学ばなかった者の歴史

半藤さんの語る昭和史は愚者の歴史だ。何が愚かなのか。さまざまな事件で指導者たちが学ばなかったからだ。

本章と追加の「こぼればなし」で例に挙げられるのが昭和14年(1939年)の「ノモンハン事件」。当時の満州国とソ連国境で起きた武力衝突で、死傷者ではソ連側の方が多くなったものの、国境線はソ連側の主張が通った。ソ連の方が兵器の近代性や技術力で上回っていたが、日本陸軍の総括は次のようなものだった。

 「ノモンハン事件の最大の教訓は、国軍伝統の精神威力をますます拡充するとともに、低水準にある火力戦能力を速やかに向上せしむるにあり」(p522)

課題は技術力であるはずなのに、「精神威力」なる全く意味のない教訓に結びつけている。これこそが「学ばない」という姿勢だ。

裏返して整理すれば、学ぶとは率直に学ぶことを言う。技術力に差があったならば、技術力に差があったと認め、技術力を伸ばさなければならない。それを恥ずかしがって精神論に逃げたり、「たまたま負けただけだ」と取り繕ったり、「次は勝てるかもしれない」と楽観論を信じたりすることは、学ぶには入らない。このことを半藤さんは「正しく、きちんと学ぶ」と表現する。

 よく「歴史に学べ」といわれます。たしかに、きちんと読めば、歴史は将来にたいへんな大きな教訓を投げかけてくれます。反省の材料を提供してくれるし、あるいは日本人の精神構造の欠点もまたしっかりと示してくれます。同じような過ちを繰り返させまいということが学べるわけです。ただしそれは、私たちが「それを正しく、きちんと学べば」、という条件のもとです。その意志がなければ、歴史はほとんど何も語ってくれません。(p503)

歴史は客観的な史料に見える。しかし、実はそれを謙虚に率直に学ぼうとしなければ、何も語ってはくれない。そう考えると、歴史修正主義者が「ねじ曲げて学ぶ意志」を持って歴史を見た時、違ったことを聞き取ってしまうリスクも見えてくる。だから私たちは歴史を不断に「正しくきちんと」学ぶべきなんだ。


失敗の下絵は描かれている

歴史に学んだ人の目は、現在と未来に潜む「失敗の再来」を見抜いているのではないか。半藤さんの語りから歴史を学ぶ効能が見えてくる。

日独伊の三国同盟の構築が議論された昭和15年(1940年)ごろ。論点にされたのは、米国の存在だった。もし三国同盟を結んだ場合、ヨーロッパの戦争に米国が参戦した場合、日本も自動的に米国と戦争することになるのではないか。このとき松岡洋右外相は「自動的に参戦ではなく自主的決定に委ねると書けばいいのだ」と主張した。この紹介の後に半藤さんはさっと、単行本出版当時の2003年現在に言及するのだった。

今日、テレビで国会の予算委員会を見ていましたら、イラクへの自衛隊派遣について小泉首相が「それはその時の情勢をみて自主的に決める」と答えていましたが、これと同じなんですね。つまり軍事同盟といっても”自主的”という条件付きなのだから安心という説明を、不思議なくらい海軍は信じてしまうんです。(p289)

三国同盟の歴史を知らなければ、小泉首相が発した「自主的に決める」の意味は読み解けない。そして半藤さんはきっと「自主的」というのが楽観論に過ぎ、米国との戦争に突入したようにイラク派遣が不可避であると見抜いたのだろう。

歴史を正しくきちんと学べば、現在すでに描かれている「失敗の下絵」を透視することができる。学ばなければ結局失敗をなぞってしまう。

このことは日本の歴史的性質であると警鐘がならされている。「むすびの章」から引いてみる。

(中略)物事は自分の希望するように動くと考えるのです。ソ連が満州に攻め込んでくることが目に見えていたにもかかわらず、攻め込まれたくない、今こられると困る、と思うことが「いや、攻めてこない」「大丈夫、ソ連は最後まで中立を守ってくれる」というふうな思い込みになるのです。情勢をきちんと見れば、ソ連が国境線に兵力を集中し、さらにシベリア鉄道を使ってどんどん兵力を送り込んできていることはわかったはずです。なのに、攻めてこられると困るから来ないのだ、と自分の望ましいほうに考えをもっていって動くのです。(p505)

歴史は「こうなってほしい」方向には決して言っていない。夢想ではなく現実に基づいて決まる。過去に描かれた下絵をなぞるように、未来も失敗する。だからこそ歴史は繰り返すのだ。にもかかわらず、根拠のない思い込みを信じるのは、やはり「愚か」以外の言葉が見当たらない。

愚かなのは歴史上の人物だけではない。私たちも同じように愚かだし、だからこそ半藤さんの言葉に立ち返りたい。歴史は正しくきちんと学ぶ者に語りかけるのだ。


次におすすめする本は

ダロン・アセモグルさん、ジェイムズ・A・ロビンソンさんの「自由の命運 上下巻」(早川書房)です。ギリシャからナイジェリアまで、広大な歴史を俯瞰して自由と民主主義の条件を引き出す。「昭和史」を上回るページ数なのにまったく飽きない。面白い歴史書はいつまでも読めるんだなと教えてくれる大作です。


この記事が参加している募集

#読書感想文

187,064件

#最近の学び

181,025件

万が一いただけたサポートは、本や本屋さんの収益に回るように活用したいと思います。