佳菜子

毒親という程でもないけれどなかなかだったなぁという実家からの脱出記。 過去を思い出しつ…

佳菜子

毒親という程でもないけれどなかなかだったなぁという実家からの脱出記。 過去を思い出しつつ書くので時系列前後&身バレ防止のためフェイクありです。

最近の記事

ごめんね、妹

先日のやりとりを思い出すにつけ、妹に背負わせているものの重みを考えます。 辛いだろうに二年も言わずに抱えていたんだな。 私に言ったら取り乱すと思って言えなかったんだな。 彼女はまだ独身で、私は既婚でこどもが居て。 母に何かがあったら自分が…と、ある程度覚悟を決めている節があります。 もちろん全て背負わせる気は無いけれど。 なので先日の会話では笑い飛ばすしかなかったです。 そこで怒ったりわめき散らした日には、彼女は私にもう二度と相談できなくなるでしょう。 なので飲み込み、こ

    • 妹から聞いた母の話

      急に思い出し、ここへ戻ってきたのには理由があります。 最近久しぶりに、離れて暮らす妹と会う機会がありました。 お互い近況をおおむね話し終えると、話題にのぼるのは家族の話です。 「……あのさ、もう時効だと思うから言うけどさ。今から話すことに怒ったり動揺したりしないで欲しいんだけど」 ふと妹が遠い目をし、口火を切りました。 いやな予感がしつつも、促します。 「二年…くらい前にさ、○○社から通知が来てさ。借金の督促だったんだよね。もちろん私には覚えの無い」 いやな予感的中

      • お久しぶりです。

        だいぶ長らく放置していました。 過去から遡って書いていくととても追いつかず、記憶もどんどんあやふやになっていきます。 いま私は、もとの家族とは離れ、別の家庭を持って暮らしています。 毎日育児に追われ、忙しい日々です。 曲がりなりにも幸せです。 実家を脱出し、結婚、出産するまでの過程は追々書いていければと思っています。 ちなみに実家とは縁は切れていません。 今くらいの距離がちょうど良いのかな。 誰かが病気をしたり、亡くなったりしたら一気に崩れそうですが。 ぽつぽつと備忘録

        • 光熱費、家賃が滞納し始める

          三人で暮らしはじめてしばらくは平穏な日々でした。毎月5万円を家に入れ、それぞれの負担分で家賃、光熱費、日用品などを賄っていました。いると思っていました。 ある日、母から告げられました。何日までに電気代を振り込まなければ電気が止まる。 何を言ってるの?と思いました。 学生が引き落としできなくて携帯が止まるのとはわけがちがいます。実家の、親が、うちが、電気代払ってなかったの? しかももう止まるって、何ヵ月払ってなかったの? いま思えば、『大人』や『親』というものに私が過

        ごめんね、妹

          今更、両親の離婚

          仕事に慣れた頃、両親が離婚する話が出ました。今更です。 大人になり、働かない父にもう耐えきれなくなったのでしょう。母は当時正社員で、私と妹も働いており、末弟もアルバイトをしており、生活費の見通しも立ちました。立地の良い公団に空きが出て、私たち兄弟は母と一緒に引っ越すことに。 当時の部屋は3DKで9万円弱。公団だからといってすごく安いわけではありませんが、敷金分割が出来たのが決め手でした。 当日は引っ越し費用をケチり、知人に軽トラを借りて自分たちで引っ越しをしました。ファ

          今更、両親の離婚

          手取り11万生活の内訳

          そんなわけで手取り11万にて生活がスタートしたわけですが、内訳はこんなかんじでした。 ・実家…3万円 ・奨学金…2万3千円 ・携帯料金…1万円 ・貯金…2万7千円 ・残額…交際、衣服、美容その他諸々おこづかい…2万円 どう計算してもこうなりますね…よくやっていけてたと思います…いや、でもおこづかい2万円って充分なのか? 毎月お給料が出ると奨学金が落ちる口座へ5万円移していたので、こつこつ貯金が出来ていったのは良かったと思っています。(数十万たまったところで旅行に

          手取り11万生活の内訳

          手取り11万OL生活、始まる

          手取り◯万、しばしば話題になりますよね。 大学卒業後に入社した会社で、私の場合は手取り9~14万円くらいのOL生活が始まりました。残業も少なかったし住民税はじまってからは11~12がほとんどかな。ようやれた。実家だからやってけたんだと思います。 結局新卒カードを切ることもなく無い内定のまま大学を卒業した私は、4月に入りハローワークで職を探し始めます。ハローワークて。まさか転職でもないのにハローワークに行くことになるとは思ってもいませんでした。就活は真面目にしなくちゃいけま

          手取り11万OL生活、始まる

          自己肯定感が低いので就活でもつまづきまくる

          親にも誰にも愛されない…誰からも必要とされない…そんな風にくよくようじうじ悩みつつ大学四年生を迎え、就活本番の時期となりました。 とはいうもののあとはゼミだけ、卒論だけ、というような余裕の同窓生と違い、ギリギリの単位数を攻めていた(必修すらも残っていた)私は四年生になっても週五で大学へ行っており、アルバイトも続けており、そんなに就活モードには入れていませんでした。 友人の中には遠征費用やちょっといいスーツ代を就活用に貯めておいた子もいれば、お母さんとスーツを選びに行ったと

          自己肯定感が低いので就活でもつまづきまくる

          愛されたかった人生だった

          人生でいちばん泣いていたのは大学生~20代前半…後半…30くらい…いや長いな!おそらく20歳前後だったかと思います。基本的にメンタルが弱いのでよく泣いていました。 何が辛くて泣いていたかって、愛されたことがないのが辛かったんですね。この先一生誰にも愛されず生きていくのが怖かったんですね。夜な夜な泣いていました。声殺して号泣してました。 人間の根本にあるのって親からの愛情だと思うんですよ。特に母親からの愛情だと思うんですよ。当時はそう思っていました。 その母親にさえ愛して

          愛されたかった人生だった

          奨学金があるのになぜ学費が払えない!

          大学生活は概ね楽しいものでした。 一年生の頃は真面目に通い、単位をとり、アルバイトに勤しみ、忙しく過ごしていました。ゼミに入り、アルバイトもあったことから、結局サークルの類いには入らず終いでした。 奨学金は親が管理していたため、教科書、運動シューズ代などはバイト代から出すこととなり、なかなかの痛い出費でした。ジャージは買うと高いので高校のジャージを着てスポーツの授業を受けたのを覚えています。 アルバイト代は月に5、6万程稼いでいたように思います。大学生の頃はたまに料金を

          奨学金があるのになぜ学費が払えない!

          奨学金の保証人は年金暮らしの祖母だった

          いま思い返すと極道な話ですね。 大学へ入学しましたが、奨学金を借りないと学費は払っていけません。資料配付が始まると、当然申し込むことになりました。 給付型ではなく返済型でした。もっとがっつり色んな方法を調べるべきでしたが19歳の私は考えなしでした。 保証人は当然親…かと思いきや、別家計が要件でした。そらそうか。親も自分も払えないから奨学金借りるんだもんな。 (追記:連帯保証人が父母、保証人が4親等以内の成人親族でした) 仕方なく、隣の県に暮らす祖母へ電話で打診しまし

          奨学金の保証人は年金暮らしの祖母だった

          地味子が大学デビューというより大学入ってからデビュー

          さて、なんとかこぎつけた大学生活です。 入学式は慣れないお化粧をして、母のスーツを借りて参列しました。全くひどいものでした。大惨事でした。 浪人時代まで私服を買う習慣がなかったので、基本的にネルシャツ、ジーパン、スニーカーで生きていました。ニットとスカートを入れて三パターンくらいで着回していた気がします。 大学に通う為に服を買わねばならない!安いお洋服の店を探して、トップスは1,000円まで、ボトムスは2,000円までの予算で数着購入しました。いまはGUなど安価で可愛い

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          一年間の自宅浪人

          高校を卒業して、わたしは自宅浪人、通称『宅浪』となりました。 そもそも入学金を払えないから浪人しているわけで、予備校代など払えるわけもありません。 ちなみに余談ですが、塾は小学5、6年生の頃、中学2、3年生の頃、通っていたように思います。もはやうろ覚えですが。 勉強は本人のやる気がある時のみ伸びるもので、強制されても、塾に通わせてもやる気がなければあまり意味がないな…というのが塾を経験しての持論です。 ただ、学校や塾でいい先生に当たったり、友人が出来て刺激になったりを

          一年間の自宅浪人

          高校受験、高校生活、転校騒ぎからの大学受験

          高校は受験をしました。当然公立校志望でしたが、さすがに高校浪人はまずいと思ったのか、学校からのプレッシャーがあったのか私立も滑り止めに受けることができました。受験にかかる費用、合格したとして入学費用がかさむのが痛いところです。 私立も公立も、受けたのは当時の偏差値順位でいうと、校区で二番目くらいの学校でした。両方とも合格圏内だったように思います。 結果は私立は合格、公立は不合格でした。公立の不合格結果を電話で伝え、帰宅すると母は泣いていました。そこまでのショックを受けると

          高校受験、高校生活、転校騒ぎからの大学受験

          中学生になった

          私の通っていた小学校は私立で、エスカレーター式に中学校もありました。 内部試験がありますが、余程成績が悪くない限りは受かるだろうという形式的なもので、そもそも受からなそうな生徒はやんわりと別の中学受験や、地域の公立校に行くことを薦められる状況でした。 地域の公立校へは妹たちが通っていましたがあまり治安が良いとは言えず、また私の通っていた私立小学校と仲が悪く、そこから編入しようものならいじめに遭うことは目に見えていました。 これと言って公立に移りたいとの希望もなく、 ほと

          中学生になった

          小学生の頃

          幼少期からバレエを習っていました。 小学二年生の頃、経済的に厳しくなり辞めることとなりました。バレエは楽しく通っていたのでとても残念でした。 平行してピアノも習っていました。こちらは先生が厳しく、あまり好きではありませんでしたが、結局中学二年生まで通いました。 習い始めの頃は電子ピアノだったのですが、ある時アップライトを買ってもらいました。幼い頃の記憶なので曖昧ですが、40万ほどだったようです。中古だとしても、それだけの金額をポンと出せたということは、その頃はまだ困窮し

          小学生の頃