見出し画像

中学生になった

私の通っていた小学校は私立で、エスカレーター式に中学校もありました。

内部試験がありますが、余程成績が悪くない限りは受かるだろうという形式的なもので、そもそも受からなそうな生徒はやんわりと別の中学受験や、地域の公立校に行くことを薦められる状況でした。

地域の公立校へは妹たちが通っていましたがあまり治安が良いとは言えず、また私の通っていた私立小学校と仲が悪く、そこから編入しようものならいじめに遭うことは目に見えていました。

これと言って公立に移りたいとの希望もなく、 ほとんどのクラスメイトは同じ中学に上がる中、私もそうなるのだと疑ってもいなかった私に、母から衝撃の申し出がありました。

「学費が高いから公立に行ってくれない?」

耳を疑いました。前述の通り、この状況で公立に移ればいじめのターゲットになる確率は非常に高く、友人たち全員と離れ、今更公立校へ。

そもそも小学校受験の時点で特に私から受けたいと言ったわけでもなかったのに、あなたの見栄で受験して、通ってのこの状況で。本当に今更。それなら最初から公立小学校へ行かせて欲しかった。保育園の友人は概ねそこへ行ったのに。

今となっては経済的に無理なものは無理だし、恥をしのんでの母の言葉をもう少し汲んでも良かったのかもしれませんが、12歳の私には無理でした。

「絶対にイヤ」

私はそのまま私立中学に上がることを選びました。母は不満気ではありましたが、数回のいさかいの後、折れてくれました。

私が通った中学校は私立としては授業料が安く、制服代などの費用面で差額があったのだと知るのは大人になってからです。

『うちにはお金がないのだ』

それを知り始めた時期でした。

そんな風に軽く揉めつつ始まった中学校生活ですが、家庭内がどうだったかあまり記憶にありません。

私は中学生特有の自意識を拗らせ、友人関係、片想い、先輩との上下関係に悩み、また拗らせ、更に本の虫になり、それだけでいっぱいいっぱいになっていました。

妹は楽しく学校生活を送り、眼鏡で地味な姉はいないものとされていました(本当にこの頃の妹の友人は私の存在を知らないらしいです)。

弟は相変わらず学校へは行ったり行かなかったりだったようです。

私自身、兄弟に関して非常に無関心でした。

母からは変わらず勉強をせっつかれていましたが、成績はやはり平均的なものでした。

給食ではなかった為、毎日お弁当をつくってくれたことはいま考えるとありがたかったです。

父は小学生時代からあまり生活時間帯が合わず、顔を合わせることが少なかったので印象が薄いです。転職を繰り返したり、仕事とアルバイトを掛け持ちしていたり、無職の時期があったりしたようです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?