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高校受験、高校生活、転校騒ぎからの大学受験

高校は受験をしました。当然公立校志望でしたが、さすがに高校浪人はまずいと思ったのか、学校からのプレッシャーがあったのか私立も滑り止めに受けることができました。受験にかかる費用、合格したとして入学費用がかさむのが痛いところです。

私立も公立も、受けたのは当時の偏差値順位でいうと、校区で二番目くらいの学校でした。両方とも合格圏内だったように思います。

結果は私立は合格、公立は不合格でした。公立の不合格結果を電話で伝え、帰宅すると母は泣いていました。そこまでのショックを受けるとは思っていなかったため驚きました。

かくして私立高校への入学が決定しました。

高校はそこそこの進学校だったためか私の観測範囲か、割りとのんびりした学友に囲まれ楽しく過ごせていました。

貧困エピソードとしては指定のカーディガンが誰かのお下がりだったのが切なかったくらいです。なんでだったんでしょう。というか誰のだったんでしょう。

高校でも奨学金を受けていたようです。額や期間については不明です。これに関しては後に親(どうやら父)が返済してくれたようです。

時期が判然としないのですが転校話が出たことがありました。可能性としては二年生頃だった…でしょうか。

理由はやはり経済的困窮でした。学費が払えないため、別の定時制高校(単位制、通常四年制で、フルでとればおそらく昼間の三年間でも卒業できる)に移ろうかという話でした。

学内見学まで行きましたが、結局転校話は立ち消えとなりました。何がどう解決したのかもわからないままでしたが、説明はありませんでしたし、多感な高校生としては知りたくもないのが本音でした。もしかするとその時期から奨学金を受け始めたのかもしれません。

どちらにせよ「学費が払えないから転校するかも」なんてクラスメイトには言えたものではありませんでした。当時は家が貧しいことを恥ずかしいと思い、友人には伏せていました。

大学受験は何校受ける、卒業したら春休みに免許をとる、卒業祝いがもらえる、クラスメイトの華やかな話題からは距離を置いて聞いていました。春休みに入ってからはアルバイトをして自分で携帯料金を払うように言われていました。おこづかい制度も終了です。

大学を選ぶ基準は国公立であること、家から通える範囲であること、それのみでした。それでもこの家庭で大学に行けることは恵まれた話でした。

本の虫だったこともあり国語が得意で、なんとなく文学部を選びました。女子大でした。

受験費用が馬鹿にならないため受けたのは一校だけでしたが、無理のないレベルを選んだので合格することができました。入学金は70万程だったようです。家にはそんな貯金はありませんでした。

借金しないと入学できない。打ちのめされました。なら何故受けさせたのか。やはり見栄のためか。

全てが情けなくなり、入学辞退することにしました。浪人の決定です。

一年間勉強して、地域でトップレベルの大学を目指すと啖呵を切りました。無計画でしたが、そうでも言わないとわざわざ他人のお金を借りてまで特に興味のない大学にいくことになる。学部も選び直すことにしました。


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