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愛されたかった人生だった

人生でいちばん泣いていたのは大学生~20代前半…後半…30くらい…いや長いな!おそらく20歳前後だったかと思います。基本的にメンタルが弱いのでよく泣いていました。

何が辛くて泣いていたかって、愛されたことがないのが辛かったんですね。この先一生誰にも愛されず生きていくのが怖かったんですね。夜な夜な泣いていました。声殺して号泣してました。

人間の根本にあるのって親からの愛情だと思うんですよ。特に母親からの愛情だと思うんですよ。当時はそう思っていました。

その母親にさえ愛してもらえなかったら、一体誰が愛してくれるっていうのか、マジで一生誰にも愛されずに死んでいくんだと絶望していましたね。母の愛情は全て弟へ向かっているのを知っていましたし。

恋人が出来たこともなかったし、誰にも抱かれないのに毎月月経が来ることさえ無駄に思えて悲しかったです。

大学に入れば彼氏が出来るかと期待していたんですが、案の定出来ませんし、家庭内はごたついているし、お金はないし、今夜も私は一人だと、不幸な自分にどっぷり浸かっていました。

大学はボロボロの二年生を終え、三年生からようやく真面目に単位をとることを再開します。

留年⇒奨学金打ち切り⇒退学⇒無駄な借金背負って高卒ですからね。不真面目な大学生とはいえ四年で卒業することは確定事項でした。

あらゆるノートを貸してくれた友人、あらゆるノートを借りてくれた友人、一限の必修の為に毎週モーニングコールをしてくれた友人、彼ら彼女らがいなければ卒業できなかったことは確実です。感謝してもし足りません。

被害者面が得意な私でしたが、自分自身だって割りとちゃらんぽらんに生きていました。時間にルーズで、おおざっぱ。

アルバイトはしこたまシフトを入れていたため滞在時間が長く、自然と知人友人が増えていきました。パートのおばちゃん層、就職氷河期のお姉さん層、学生層と人数が多く、ほとんどが女性だった為か優しいひとばかりで居心地が良かったです。

二年生の頃掛け持ちで働いていた居酒屋バイトは期間限定で終わっていました。他に掛け持ちを探したものの時間が合わず、尚且つ学業が忙しいことに気づいたため元のアルバイト一本になっていました。春休みや夏休みは手取りで12~3万程稼げていました。地方OL並だなと思っていました。

大学とアルバイト先の人間関係が安定することで、その頃の私はバランスを保てていました。家庭内や異性から得られない愛情を、友人関係から接種していました。承認欲求の塊で、全ての誘いを断らなかったため飲み会の連続となり、常に金欠でした。

我が家の経済状況を知る友人の言った、「育ってきた環境の割には、佳菜ちゃんは節約体質じゃないね」という台詞は私の本質を突いていました。

彼女からは「人に嫌われたくない病だね」と言われたこともあるので、なかなかに見抜かれていたと言えます。

いま思い返すと歪な面もありますが、概ね楽しく過ごした大学生活後半でした。

夜な夜なの孤独感さえなければ…

この孤独感に関しては30歳前後まで生々しく続きますし、形を変えて存在するので完全に無くなることは生涯ないのではないかと思っています。

取り急ぎ私が前向きに楽しくやれるようになったのは

「どうして愛されないのか」

「どうやったら愛されるか」

を考えすぎるのをやめて、

「誰にも愛されなくても割りと幸せに生きていけるんじゃないか」

と気づいたことがきっかけでした。

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