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人は死を迎えるということ。

私が死を意識し始めたのは3歳になるか、ならないかくらいの事だった。

あれから、40年以上も時は流れているのに、鮮明にあの日の出来事が脳裏に浮かぶ。


祖父の従兄弟が亡くなった。

その連絡を受け、家族で誰がその親戚の家に行くか話し合いを始めていた。

我が家は商売を昼夜していたので、全員で行く訳にもいかず、まして私より1歳半下の妹まで、連れて出かけるのはどんなものだろう。と家族会議が始まった。

父は
「親父とお袋は店に出てた方がいいから、オレとみぃちゃん(私の母)で行った方がいいよな。あと、孝江は長女だし、線香あげるのに連れていった方がいいべ。」と。

孝江とは私の事。

母は、何も口出しせずに話を聞いている。
妹はまだ、殆ど寝てばかりの赤ん坊だし、子供を2人置いて出かけるよりは、私を連れていった方が無難だろうという、父の考えだったのかもしれない。

私は父の話しぶりから、知らぬおじさんのところに連れていかれる、そして「そのおじさんは死んでいる」ということに不安を感じた。

死とは何か、分からなかったものの、そんなところに子供の私を連れていくのはどうかという疑問を3歳ながらに感じた。

ましてや、私は車が苦手で、そんなことを知りながら連れていこうとする両親はクレイジーだと、思った。

いや、当時の私はクレイジーなどという言葉は知らなかったが、それに近い感情をいだいたのだった。

私は、確か父親に抱かれて、その家の階段を上がり、ドアを開けると、一人のおじいさんが、布団の中で腕を組んで寝ていた。

手は縛られていた。

ドアを開けた瞬間に、それを目の当たりにした私は、恐怖を感じた。

とてつもない、部屋に違和感がある。
それを感じとった。

おじさんは動かない。だけど、誰かの気配を感じた。
そう、形のない気配を感じてしまった。

死んでいる。というおじさんの姿に怖さを感じ、姿のない気配に怖さを感じた。

そして、人はいつか、このおじさんのように「死ぬ」「動かなくなる」ということを知ってしまった。

その日を境に私は、生きている祖父母を不思議に思うようになったり、また、生きている自分自身、両親の存在すら、不思議であり、本当は架空の存在であって、見えているけど、実在しないものでは無いかと、とても不思議な思いが止まらなくなった。


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