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イラつく夫婦

我が家の嫁との会話から

先日、 #我が家の嫁 と話をしていて、こんな会話になった。

嫁(以下、よ)「あなたはなぜ、そんなにも余裕があるように見えるのか」

僕(以下、ぼ)「別に余裕なんてない」

よ「いや、確かに余裕はある。私なんかよりも余程。」

ぼ「だとしたら自分に期待してないからじゃないか」

よ「んぁ〜。。うん、なるほど。」

随分と簡略化されてはいるものの、概ねの流れはこんなものだった。

どういうことかといえば、家事だとか子どもとの接する時間だとかについついイライラしてしまうことがある、と。それは別に僕もわからないでもないのだけれど、その際どこにイライラしているのか、という点が違うという趣旨。

彼女いわく、イラついているときは「自らの設定した基準、もしくはゴールに到達できていない状況」に対してイラつくということだった。ただ、これには問題があって、その設定したゴールをパートナーである僕と共有していない。

つまり、自分だけの中でゴールを設定しているにも関わらず、それに対して協力してきてくれない僕に対してイライラが募る、というのだ。

そんな理不尽な話があるか...と非常に嘆かわしい気持ちにもなったのだけれど、彼女との生活も短くはないので、その状況はよくわかるし、彼女自身でもそれが嫌だという気持ちを抱えて過ごしてきた過去があるのも知ってる。

逆に僕がイラつく場面があるとしたら、彼女がやったことに対するほんの小さな点、洗濯物の干し方とか洗い物の水の切り方、みたいな手法の違いに対するこだわりでしかない。

それは別にお互いのやり方、目的に対する手法の違いでしかないので、特段強くいうものでもないし、そういうものだと思っていれば別にどうってこともない。

だが彼女の方はそうもいってられなかったし、彼女自身の深刻な悩みでもあった。

確かにそのこと(理不尽な高い要求)を自覚してから(僕が散々訴えてきたこともあるし、自身で振り返りながら必死に向き合ってきた末)の彼女は「どうしたい」ということを共有してくれるようになった。

「依頼」という障壁

大きな点は「依頼」できるようになったという点だと二人の間で落ち着いたのだが、逆に僕はどうかというと、別にゴールなどはないし、設けたことも意識したこともない。

何も考えてない、といえば確かにその通りなのかもしれないけど、洗濯を干す際には全ての洗濯物を仕分けた上で干しやすい状態にしてから干すし、洗い物だってできるだけ下に来るのはコップ類にして水が切れやすい状態に...など、都度、自分の中での規則を設けて取り組んではいる。

その際に、自分にできることはしようとは思うが、ちょっと許容度を越えようとする課題が降りかかってきた際には躊躇なくお願いすることにしている。

例えば、僕は手が荒れやすいので風呂掃除や洗い物など水を扱う際にはゴム手袋をはめて取り組むのだけれど、そうなると子どもたちが歯を磨く、もしくは歯を磨いたものを仕上げるという段になるとゴム手袋をどうするのか悩む。

正直どうでもいいような悩みだが、洗い物がすごく中途半端な状態でゴム手袋を外すのはちょっと避けたい。その際には、2階で別な事をしている彼女に対して「依頼」し、その状況を回避するように試みるようにはしている。

ただ、この「依頼」というのは割と障壁が高いものなのかもしれない、と最近は思うようになってきた。

彼女は上でも書いてきたように、自らの設定する割と高い基準や水準のゴールに苦しむことが多かった。そして、そのゴール設定に対して「空気を読むこと」と「必達」を要求することがあり、その基準がわからない僕が満たすことができなかった場合には自らが解決しようとする。

過去の彼女はお願いをする、という選択肢を持てていなかった。

僕は今でこそ、こんな風に書いているが、確かに僕の態度が彼女のお願いを受け入れられるものではなかったのかもしれないし、お願いしたいと思えるほどの家事スキルを身につけられていなかったのかもしれない。

けど、今、我が家では長男と次男と三男も一緒に生活をするという家族構成になっており、大人の手は多ければ多いほどに救われ、助かることは事実。

とはいえ、核家族を絶賛実施中であるため、大人は僕と彼女の二人だけだ。となれば仕事の残業など、している余裕など僕にはないし、彼女にもない。家族の生活以上に大切な仕事など存在しない。

ただ、過去の僕は帰宅する時間が遅くとも「仕事なんだから仕方ない」みたいな態度をとっていたことがあるのは事実で、余裕がないにも関わらず、子どもたちのお世話に入ることができない人間に期待し、依頼することなど出来ようもないだろう。

だから彼女は自分でやるしかなかったし、その基準を満たせない僕に対してイライラを募らせるのは至極もっともな話なのかもしれない。

そう考えると、「依頼」する側もされる側も自らの態度や振る舞いをきちんと整理し、受け入れる体制を整えることが必要なんだということがわかった。これはシンプルだけど重要なことだ。

できることの繰り返し

いま、我が家では家事分担などというのは(そもそもあってもなかったようなものだけど)存在しない。

できるときにタイミングの合う方が取り組むというスタンスで臨んでいるというのはあるが、お互いに頼めるところは頼むようにし、できることを繰り返すようにしているからだ。

いくら背伸びしたって、時間が増えるようなことはないし、お互いに圧倒的なスキルが高まって、仕事が抜群にできるようになったりしない。

時間はいつだって平等に進んでいくし、仕事はいつまでたっても同じように積み重なっていく。

家族だってそうだ。

子どもたちは日々の中で成長を遂げ、大きくなり、言語数も増え、表現できることも変わり、服や靴のサイズが大きくなっていき、上の子が身につけていたものを下の子が身につけるようになり、微笑ましくそれを見る。

常に余裕があるわけではないけれど、イラついたからといっても解決するわけでもない。だけど、そのイラつく原因というのはお互いにあって、どちらかに偏った問題があるわけではない。

態度や振る舞いが悪い方があれば、それに対して困っているということを発信しない方もいるし、その信号を受け取って振り返ろうとしなければ、かといって一度だけで諦めてしまう方もいる。

そのうちに相手に対しての期待はいつしか失望から絶望になっていき、ついには陰口という形で発現され始めていく。

お互いに歩み寄れ、というのではなく、お互いにできることをやればいいだけで、自分ができないことを相手に押し付けるのではなく、依頼すればいい。

今、自分がどういう状況で困っているから、この部分を助けて欲しいと素直に言えればいい。

慣れ親しんだ関係になればなるほどに言いづらい部分が生じてくるのかもしれないけど、その部分が割とコアな部分であり、本質的な課題でもある。

相手のことを過小評価もしなければ過大評価もしない。

それは自分にも言えることで、高望みしすぎたり、へり下ったりしない。

できることを繰り返すだけでいいのだと思う。

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