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SDGsについて語りたい人は2022年の活動前に『機動戦士ガンダム』をみるべきだ

 どうも納得というか腹落ち感がない。SDGsに向けて取り組んでいることを表明することは必要なのか。SDGsの思想や活動を否定するわけでもないが、バズワードやファッションとして使われている気がしてならない。それはSDGsウォッシングなのではないですか、と問われて本気で否定できるような事業者はどれほどいるのか。

 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。SDGsを語りたいのであれば1979年から題材として扱っていた機動戦士ガンダムを試聴してからにしてもらいたいというのが本noteで書きたいことだ。

▶︎ 本質的には持続・継続できること

▷ 対外向けに「指標として公表することができない」のでは

 冒頭でSDGsウオッシングと書いたが、その説明から。上記で紹介した記事内の文言を以下に抜粋する。

そもそもウオッシングとは
英語のWhitewash(体裁を繕う、欠点を隠す)になぞらえ、うわべだけ環境保護に取り組んでいるようにみせることを「グリーンウオッシング」、うわべだけSDGsに取り組んでいるようにみせることを「SDGsウオッシング」と呼ぶ。

ウオッシング批判を「正しく恐れる」
https://project.nikkeibp.co.jp/ESG/atcl/column/00012/092100016/

 そう、上辺だけであったり体裁として体外に向けて発信をするため"だけ"のいわば「ポーズ」や「ファッション」として利用していることを指してSDGsウオッシングと呼称する。

 ただただ周りの雰囲気や潮流に流され、何の意識もせずにSDGsを掲げたうえに無理くりゴール設定をした結果、体外的に公表できるだけの指標も用意できずに取り組んでいるような体を取るだけになってしまうことだ。

 これはかなり由々しき問題ではないか。

 環境問題のように「誰がやっても成功と呼べるものにたどり着けない」課題について手を上げることは、一見するとすばらしいことに取り組んでいるような気がする。

 だがその実、成果を経済的な成長と照らし合わせつつ公表できるだけの指標を設けられないのであれば「継続や持続すること」ができない、ただの張りぼてである。

 おそらく、大抵は上記したように「取り組んでいることを表明することはポーズやファッションとして美しくみえる」ため、そこまで経営と照らし合わせるような熟考せずに表明してしまうからこそ起こってしまうことだろう。

▷ 指標として公表することができるか

 「いやいや、そんなことを言ってもSDGsのようなものを経営と照らし合わせて指標化なんてできるのか」と言った声が聞こえてきそうなものだが、エーザイは間接的ではあるが、ESG投資を意識した経営方針をすでに指標化してる上に公表も行っている。

ESGとは「環境(Environment)」「社会(Social)」「企業統治(Governance)」の頭文字をとったもので、欧州や米国では投資家視点で「それらに積極的に取り組んでいる企業の方が中長期的に成長すること」が期待できるとされることから重視されているものだ。

 エーザイがESGを指標化した価値創造レポート2021(旧・統合報告書)がネット上で話題になったのだが、よくよく読んでみて気付かされるのがSDGsを企業単体で取り組もうとすることは「声の上げ方として正しいのか」という疑問だ。

|価値創造レポート2021(旧・統合報告書)

ESGデータおよび第三者保証 
https://www.eisai.co.jp/sustainability/management/pdf/esg_index.pdf

SDGsの項目を見れば分かる通り、業界や職域によって「手が出せる項目」が限られる。しかし、SDGsの定めている各種項目のゴールは17個も存在し、それはあまりにも広範にわたるうえ一企業が取り組むには手が足りない。それらを掛け合わせて考えると国や自治体、行政といった公平性と平等を合わせて取り組まなければならない組織が掲げるものだろう。

 そうなると前提が変わる。企業が取り組むものはSDGsではなくCSR(Corporate Social Responsibility: 企業の社会的責任)だということだ。

 単一の企業が抱える責任を自らの事業によって解消することを標榜しつつ、それらを明確に指標化することを目指すと投資家目線でのESGに力を入れることによって、それらの法人を抱える自治体や国がSDGsを達成する。この流れであれば納得がいく。

 上記しているエーザイの価値創造レポート2021はその観点で見ても(日本では)先見的な取り組みであり、これらの指標自体を模倣して指標とすることも推奨できるものだろう。

 自らの企業価値を高めるためには長期的な視点での事業活動が不可欠であり、それらを突き詰めていくと「環境(Environment)」「社会(Social)」「企業統治(Governance)」の3つを経営情報と照らし合わせて相関を探っていく必要が出てくる。

 「投資家なんて存在は地方に生きる我々みたいな中小企業は関係ないよ」とすることは容易だが、10年後20年後30年後まで継続して事業活動をしていくことを踏まえると、日本だけでやっていくことは容易ではない。

 人がいなくなるのだ。 

▷ 機動戦士ガンダムの先見性と見るべき理由

 5年で94万人も人口が減少する国である。単純に計算して10年後には180万人も減少する。そして、その大半は老人である。そんな人口構造の中、法人として事業活動を継続するためには海外での展開も含めて取り組まなければならない。

 海外での展開はアジアなのか北米なのか南米なのか欧州なのかアフリカなのかは知らないが、自己資本だけでは難しいだろう。よほどの大きな資本を抱えている事業者であえればまだしも、今後は良くも悪くも中小企業が海外での展開をやらざるを得ないことを踏まえると投資を受けなければやっていけない。

広く、地球規模で見た際にSDGsという取り組み自体は必要なのかもしれないが、一つの事業単位で見た際には「それで事業を行うわけにはいかない」だろう。しかし、事業を取り組むことで「継続できる可能性」を閉ざす要因である「カネ」の面をクリアできる可能性が高まるのであれば事業構築をそれを基に組み上げていくことも必要だ。

そもそも我々はなぜ、地球の環境問題に関心を持たねばならぬのか。そのヒントはすでに富野由悠季が機動戦士ガンダムで提示してくれている。

 機動戦士ガンダムで描かれる世界は地球で人口が増えすぎた結果、宇宙への移民をすることで環境破壊を避けることを目指し、そこから半世紀以上も経過したところから「宇宙vs地球」による差別を是正すべく宇宙で生まれ育った人たちがテロを起こしたことから始まる物語だ。

人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀。地球の周りには巨大なスペース・コロニーが数百基浮かび、人々はその円筒の内壁を人口の大地とした。その人類の第二の故郷で、人々は子を産み、育て、そして死んでいった。宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いで、ジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々は自らの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、8ヶ月あまりが過ぎた。

『機動戦士ガンダム』より

 これを永井一郎(サザエさんの父親である波平役やトイ・ストーリーのスリンキー役であればわかるだろうか)の声で再生される。このナレーションから、この物語はただのロボットアニメではなく、環境問題を一つのテーマに掲げた「人類の問題」を提起するものだとわかる。

 また、機動戦士ガンダムで扱うのは勧善懲悪ではない。どちらが悪でどちらが正義なのかといったわかりやすい図式で描かれるものではなく、清濁併せ吞む形で落とし所を模索して着地しようとする「大人たちの事情」を描くものの、結局は人間同士の醜い欲求のぶつけ合いの愚かさを描く群像劇だ。

 特権階級に位置する人間もいれば、それに従属する人間もおり、はたまた地球で過ごすことを余儀なくされている人たちは「地球の引力に魂を縛られた人々」などと表現されることすらある。つまりは差別が往々にして起こっており、平等な持続可能な社会には程遠い世界がガンダムの中で露出している。それは我々にまったく関係のない世界ではなく、どこかフィジカルな延長線上にあるのだろうと想起させる。

 たしかに脚色されて大袈裟に表現されていることはあるが、決してかけ離れた虚像としてだけ捉えるのは、あまりにも杜撰な思考だといえる。

 そもそも機動戦士ガンダムは初期製作においては、あまりにも人気がなく放映が打切りとなった番組である。しかし、1979年からすでに40年以上経過して尚、続編や関連作品ができあがってくる点からみえるのは、その物語に「共感」が数多く内包されていることがわかる。

共感が継続するからこそ物語はつくられる。

 機動戦士ガンダムには共感を継続され続けても「消費されるだけ」に留まることなく再生産されるに至っている点を見ると、作品それ自体がエコであることを如実に表している。

そう、機動戦士ガンダムはエコなのだ。

 あの落合陽一もガンプラはエコだって述べている。

 作品自体だけでなく派生する製品までエコでSDGsなのだとすると、そもそもSDGsなどに関心を持っている方々は機動戦士ガンダムをみてから語るべきであると言わざるを得ない。

 …反論は認めない。

 ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 参考になる紹介したいnote

 文中に出しているSDGsやESG、CSRといった文言について丁寧に説明してくれる説明してくれるnote。これらの関係性についても僕の文章なんかよりよっぽど丁寧に解説してくれているのでオススメ。

「SDGsになんか疲れた」。この一言が2022年には沸々とわいてきて、2023年には主流派になっている可能性もある。なぜなら、SDGsはあまりにも広範にわたるうえに深い問題だからだ。それでもがんばってる小平さんは偉い。

 竹下さんは以前から勝手に応援しているのだが、SDGsを「考え方の革命」とする点はさすがというかなんというかだ。そして、ほとばしるサブカル的な雰囲気が僕は好きなのである。

 我々はニュータイプには慣れないオールドタイプで魂を地球の引力に縛られている側の人間なのだが、それを言えてしまう富野由悠季は明らかにおかしい。明らかに変な人だ。それでもこうやって人を惹きつける。

▷ 参考書籍の紹介

 SDGsは地球の継続権を得るための行動であり、ESGやCSRは企業や法人が継続権を得るための行動だ。それらはそもそも「sustainable」であることが必要で、持続可能な状態であることを目指すべきなのだ。なんてことをトクトクと説明してくれる本。

 おそらく、今回のnoteを読んで富野由悠季に興味が湧いた人もいるだろうからオススメしておく。

▷ 著者のTwitterアカウント紹介

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