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「趣味・友達は配偶者・恋人の代替にはならない」増田はそういった

枕にかえて

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

増田って誰だよって思った方もいるだろう。度々、登場してもらっているのだが、増田とは...なんて説明を以下に記載するので、それにより溜飲を下げてほしい。

株式会社はてな運営するサービスのひとつ「はてな匿名ダイアリー」およびその利用者の俗称。当初は「アノニマスダ」「アノニ増田」などと称されていたが、現在ではさらに省略した「増田」が一般的であるようだ。Anonymous Diary(アノニ**マスダ**イアリー)に由来する。利用者の一部には、匿名であることを悪用する者もいる(はてなに限ったことではないが)。書き込みにははてなアカウントが必要。

そう、匿名のユーザーのことだ。誰でもない。まったく知らないひとかもしれないし、既知の人かもしれない。下手したら僕の古い友人かもしれないし、まったく人でもないBotの可能性だってある。

いずれにしても日本のネット環境に投下されたエントリー『趣味・友達は配偶者・恋人の代替にはならない』を読み、独居老人な未来が想像できただけでなく下手したら自分自身もこの増田になっていた可能性があることを危惧しだした。

運よく、家族との生活を手中に収めることができてはいるものの、一寸先は闇だということばもあるぐらいだから注意しておかなければならないだろう。

僕はたまたま運がよかっただけだ。どうしようもないぐらいに上記エントリー主の増田の心情みたいなものを理解できる。

別に誰に頼まれたわけでもないが、ネット上の友人として彼に向けた手紙を書こうと思う。

▶︎ 趣味や友だちが配偶者や恋人の代替にはならない件

まったく持ってその通りだと思う。

僕は運よく妻さんと共に暮らすことができただけでなく結婚まですることができた上に子ども3名にも恵まれた。この点を踏まえれば「お前は勝ち組じゃないか」と思われるだろうし、実際にそうなんだろうとも思う。

つまり、僕は否定する気持ちを抱かないし、実際に否定することもない。ただ、僕も同様の人生を歩んでいた可能性も否定できない。たまたま、この世界線では勝ち組的な人生を歩むことができているものの、同じような世界線は2度と歩めないのだろうと考えている。

だからこそ、**僕は家族を大事にしたいと考えているし、実際にそうすることが自己満足になっていると認識している。**実際にそのように受け止められているようなコメントをもらうことが物理的な関係値において相応にある。

常に不安なのだ。

僕は家族と過ごすことができているとしても、いつ失われてもおかしくないほどどうしようもない人間だと自覚しているし、いまの状態がとてももったいないものであるとすら思っている。

趣味や友だちは家族や恋人の代替にはならない。それが失われる可能性や危険性を認知しているからこそ、それは手に汗にぎるほどの実感値として常に携え抱え込んでいるのだ。

▷ いつまでも厨二病であり続ける自分

僕はたまにどころか毎日自分のことを嫌悪してしまいたくなる。

なぜなら、未だに中学校の時に気になっていた女子生徒が隣の席に座っていた際に声をかけてくれるか否かの機会に席を立ってしまい、彼女が「...あ」と口を開ける様子を目の当たりにした光景が忘れられなかったりする。

その時、彼女がなにを話しかけようとしたのか。そこからどんな展開になっていたのか。それによって僕の人生は豊かになっていったのだろうか。

おそらく大したことのない話だったに違いない。その後、彼女と話す機会は決して多くはなかったものの、幾度か話した際、その話が出ることはついぞなかった。

わかるだろうか、この気持ち悪さが。

僕は過去に抱いた自分自身の感情を肯定しているのだ。20年以上も経過し、まったくその時の感情とは無関係の人生を歩んでいるにもかかわらず、僕はその当時の感情を肯定し、何なら後生大事に心の奥底にしまっているのである。

なんと気持ちの悪いことだろう。

この話は別に隠すようなものでもないし、隠したところで誰かに話してきたことだから特に恥ずかしくもなければ笑い話になるのなら、それでも構わない。

結局、僕は当時から何にも変わっていないのだろうことを自覚する思い出である。

▷ 社会的資本を豊かにしろと橘玲はいう

言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書) 」などで知られる橘玲は『幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』の中で幸福になるためには三つの資本が重要であると説いている。

その三つの資本は職業や年齢、性別などの属性に関わらず、みなに共通しているものであり、誰もが参考になるものだ。

なぜ資本で説明するのかというと、そもそも幸福の条件が (1)自由 (2)自己実現 (3)共同体=絆に集約されるからであり、これらに対応するのが(1) 金融資本 (2)人的資本 (3)社会資本を得ることによって満たされると説明しており、この説明に僕は存分に納得しているのである。

書籍内では、それを軸に人生パターンを分類しながら説明しているため、参考にしたい人はぜひ読んでもらいたい。

橘は書籍内で、なにを得るのかやどう生きるのかを意識せずに設計している人たちがいることを丁寧に分析しており、超高齢化社会での老後の金融資本問題『老後の2,000万問題』の解決方法は「老後を短くすること」であるなど、具体的にそれぞれの資本について解説している。

中でも社会資本については以下のような文章を書いており、僕も極めんと必死になっている。

「幸福」は社会資本からしか生まれない

『幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』

要は友だちの存在が幸福をつくるのだと説明している。

友だちは家族や恋人の代替とはなり得ないが、同時に、家族や恋人は友だちの代替にはなり得ないのである。

金融的な資本形成も、人的な能力開発においても、結局は自分自身だけで多くを得ることは難しい。家族や恋人であったとしても母数自体がn=1の世界なのだから大きく伸ばそうと思っても限度がある。

つまり、友だちの数を自身が属する層をいくつかに分けることにより、その数だけ関係性を育むことが可能になり、社会的な資本が形成されていくのだ。

▷ 代替ではなく開拓と醸造を

家族や恋人は永続なものであるとはいい難い。

関係性に思考・行動・表現などが型にはまり、新鮮さや独創性がなくなることをmannerismという。カタカナにすればマンネリだ。

家族や恋人でmannerismが生じてしまうと、一気に関係性が乏しくなり、破綻してしまう可能性すらある。

たとえば、子どもとの生活は日々めまぐるしい。我が家の場合は三名もの子どもたちとの生活を送っていることもあり、毎日がけたゝましく過ぎていく。

夫婦で共働きをしているからこそなのか、子どもたちがいるからなのかといえば、子どもたちが三名いることによって二人だけで生活をしている時とは比較にならないほどに時間的な余白がない。

常に何色かに着色され続けているような濃密な時間を過ごすことになっているわけだが、これがあるからこそ僕と妻さんはmannerismに陥っていないとも考えることができる。

仮に彼らがまったくいなくなった世界線を想像すると、そこには何の会話をするのかわからない高齢者二名の存在があるだけで、会話に中身などないのではないかと恐怖感すら覚える。

否定的な意味ではない。それだけ子どもとの時間は濃密であると言いたいだけだ。

しかし、社会的な資本である交友関係を増幅させることは着実に自らの境界線を延伸し拡張することになる。どこまで行っても会話の中身がダブるようなこともなければ幾度となく同じ話が繰り返されるような事態には陥らない。

新たな環境に晒されれば、その分だけ適応する必要もあるし貢献する必要も生じてくる。その度に自分を試験することが可能になるのだ。

悲観することはない。友だちがいることは誇れるべきことであり、共通の話題やそれらの進捗を共有できる関係値のある人間がいること自体は喜ばしいことだ。

そんなわけで、僕の友だちになってくれる人はドンドンと絡んでほしい。以上である。

ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

友だちと会えないさみしさは。

友だちとは物理的に近しい距離関係にある人だけを指すのではない。心理的な距離感が近しいと思える人や近しくなることを期待できるような人のことを指す。その人の前だからこそ出る自分は分人主義といった考えがあるが、それについてはまた別の機会にしよう。

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

岸田奈美さんの文章は、いつ読んでも、どこで読んでも岸田さんの文章だ。全く知らない人だけど、僕は勝手に岸田さんをいい人認定している。それは書く文章がステキだからであり、写真に写っている岸田さんや家族がステキだからだ。もう、友だちでもいいんだろうと思ってる。

友だちは人脈じゃない:Anizine(無料記事)

僕もビジネス的な用語としての人脈とやらが苦手である。根本的にポンコツな僕は自分の果たせると思える責任にしか負えない。それ以上の、ビジネス用語でいうとストレッチ目標みたいなものはしないようにしている。それをできるというのは無責任な人間のすることだ。

▷ 本noteに関連する紹介したい書籍

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

文中でも紹介したが、分人の説明はこの書籍がしてくれている。平野啓一郎が書いたものだが、あまりにもしっくりときたため、読み終えた当初は周りに言い聞かせてばかりいたのを思い出す。本当の自分なんていない。いるのは誰かに引き出されていた感情を持っている自分しかいないのだ。

▷ 著者のTwitterアカウント

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