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学校はサボってもいい場所

タイトルが結構な感じなので、釣られたと思う人もいるかもしれませんが、本音です。真剣にこう思ってます。

松井博さんのTweetにこういうのがありまして...

割と頭の固い人っているもんで「学校にはいくものだ」とか「学校を休むことは悪いことだ」とか「学校をサボるなんて許されない」とか思う人っていると思うんです。

別にそういう人はそういう人でいいと思うんですけど、そういう人にも考えて欲しいことがありまして、こんな記事を書こうと思い至ってるわけです。


あなたは体調が崩れた、もしくは体調がすぐれない時に学校を休みましたか?休んだというのであれば、これから僕の書くことを読んでもらいたい。そして、少しでもこっち側の意見を聞いてもらいたいので、その機会にしてください。

"体調がすぐれない、体調を崩している状態"というのは、風邪を引いたとか、熱が出ているからとか、何かしらウィルス性の病原菌にやられているのかもしれないですし、他の要因かもしれません。

何れにしても、免疫体力が落ちているからこそ、"体調を崩している"とか"体調がすぐれない"と考えているわけですよね。

そしたら"気分が乗らないから学校に行きたくない"というのはどうですか?

一見すると、ただ面倒だから行きたくない、みたいに聞こえるかもしれませんね。そんなのワガママなんだから学校に行け!とでも言いますか?

ちょっと待ってくださいね。なぜ、本人の話を聞かないんですか?

例えば、体調が悪い...と申し出る人に対して、「どうした?」とか「どこが悪い?」といった具合に聞きますよね。

「気分が...」といったところで、即、感情的に相手の話も聞かずに自分の思うことだけを押し付けるという行為はとても褒められるものではありません。

自分が逆の立場だったらどう思いますか?

別に学校でなくてもいいです。気分が乗らない会合とか集会とか何かしら他の人もいくであろう場所に自分がいくことを想定してみてください。

そこに気分が乗らないから行きたくない、と親しい間柄の人間(親族でも友人でも構いません、その人)に伝えた際に、脊髄反射的に「ふざけるな!」とか言われたら、その人との付き合い、考えませんか。

ましてや、その理由が『自分も我慢するんだからお前も我慢しろ』って言い分なら、もう二度と付き合う必要がないようにも思います。

何がいいたいのかといえば、気分が乗らないってことは、勉強にしても、仕事にしても成果をあげることには繋がりにくいってことです。

でね、お聞きしたいのは、学校を休まない方がいいっていうのは、あなたが考えて出した答えですか?もしかして"世間一般ではそう考えられてるって信じてるだけ"じゃなくて?

気分が乗らないのにも理由があるはずです。

体調が悪い時に「なんか調子悪いんだよな〜」ってことありますよね。その時には何かしらの反応を体が起こしてるから、そう感じるのであって、理由が存在するはずですよ。

精神状態にだって、健康状態と非健康状態ってありますよ。

会社で働いていて、精神衛生状態が崩れてしまった場合、それでも会社を休むべきではなく、無理を通してでもいくべき場所ですか?それほどまでに会社に属すということを大切にしなければいけませんか?

僕の考えはそうではありません。
逃げたいと思った時にはすぐにでも逃げるべきです。


ちょっと話を変えますが、単位取得が最低ラインでもクリアしている人と最高ラインまで頑張って通い続ける人、どちらが賢いでしょう。

成績が同じだった場合、最低ラインでもクリアしている方が効率がいいに決まっています。多分、その時間、自分が興味を持ち、楽しいと思えることに費やしているはずです。

要は、人は楽しいと思える場所、モノ、時間が最も生産性が高く、成果につながりやすいということで、そんなのは誰だって体感しているはずです。

そもそも学校に行くことは苦行ですか?

会社に行くことは苦行ですか?

苦行なのだから、苦しい思いをするのは当然ですか?

なぜ、そんな思いをしに、わざわざ自分の時間を使い、無駄な時間を過ごすべきだと思うのですか?

苦しい思いをすれば必ず報われると思っていませんか?

会社に属すことは苦行の対価として金銭を得ることを目的とする人も中にはいるかもしれませんね。

ただ、その人は「会社は辛いものだ」という認識よりも、同じ時間を働くのであれば、より金銭の高い方がいいと思っているからそうしてるのではないでしょうか。

目的が明確なのであれば、あとは手段として何を選ぶのかという違いで、上に書いた人は、より高い金額の報酬を得るためにしんどい仕事を選んだ、ということです。

これは、ただただ、会社に行くというのはシンドいことだという前提認識を持っている人とは全く異なる思想です。

なぜなら、彼はそれを能動的に選択しているから。あえて自分で選んでいるということです。ここには大きな差があって、仕方なしに辛いな、と思い働く人と、割り切っている人との間には、圧倒的なまでに目的意識に差が生じます。

さて、給与が同じだとしたら、どちらが賢いですか?


僕は過去、記事にもしていますが、属すことに失敗したこともある人間です。僕は当時の教員を許さないでしょうし、許せないでしょうね。
これは感情的な面もありますが、そもそも教員の立場に立つ人の事を考えると許すべきではない、と思い至っています。

教員という職業を担う人たちの中には素敵な人たちがたくさんいることを、僕は知っています。多くの先生方と話をしてきて魅力のある方がいることは重々承知の上で、許さない、といっています。

なぜなら、立場でマウントするだけ、つまり格好だけの教員もいるということを僕は中学生の頃に身を以て体験しましたから、その本質は、今回の日大の件と全く変わりません。

あなたは学校で"属す"ことに失敗し、登校拒否をしたことがありますか?

仕事に翻弄され、できないことを実感し、打ちのめされ、精神的に追い詰められた末に退職をしたことがありますか?

そんな人間を目の前にした時、あなたはどんな声をかけますか?

そもそも、なんで学校に行くべきなんですか?そうするのが当然だから、というのは答えではありません。それはあなたの考えていることではなく、周りに同調しているだけです。

当時の僕に、あなたはどんな声をかけてくれますか?

自分の大切な人が絶望に伏せた顔をしていたとして、
明らかに疲労した様子で日々を過ごしていたとして、
それでも「行け」といえるでしょうか。

そのきっかけになるかもしれないのが「気分が乗らない」という発言です。

だから、僕は一緒に生活する子どもたちに対し、別に学校には行かなくても(サボっても)いいという事を伝えていくつもりです。

その本質は、きちんと話をする/される関係を構築すること

先生のいうことなんて聞き流すことも必要です。僕にはそれができませんでした。先生たちは僕の人生に対して何の責任もありません。
これは嫌味を言っているのではなく、事実としての実感値です。

そもそも、生徒が学校を卒業する際に「先生のおかげで...」と生徒にいわれ、満足そうな顔をしている教員を僕は信用できません

それは、生徒から「あなたがいないとできません」といわれているようなものであり、依存関係を構築したとも言いかえる事ができるから。卒業できてないじゃん。

学校みたいに閉じられた環境にいつまでも閉じこもってる必要なんてどこにもありません。だから、いつでも外の人と関係を持つようにすべきなんです。

魅力的な人間って世の中にたくさんいます。すぐにつながることができるのが現代のいいところなんだから、無理して、擦り減らしてまで行くべきところではないのが学校だ、ということをお伝えし、終わりにします。

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