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「言語関係人口」が未来を決める時代|僕たちは日本語だけで生きていけるのか?

英語、中国語、日本語。世界にはさまざまな言語が存在する。

「いつか英語を話したいな!」「中国語って今やるといいかも!」的な話はよくあるが、自分も含めた日本人(=日本語を母国語とする人)が近い将来、結構苦労する状況になるのではないか、と思い始めた。

あくまで仮説ではあるが、今後私達の経済や社会、未来を決定づけるのは「言語関係人口」ではないか?という話である。

世界における言語別のパワーバランス

なんだそれ、「言語関係人口」?は?

安心してください。これは筆者の造語である。定義はこうだ。

「言語関係人口」とは、該当の言語を母国語とする人口に加え、その言語に関わる人口を含めた総量を指す造語。地域関係人口の定義を”言語”に置き換えたもの。
▼地域関係人口
https://www.soumu.go.jp/kankeijinkou/

私はいま、必死こいて英語を話せるように学んでいる。ある程度のレベルまでは来たが、やっぱり言語を学ぶことは難しい。生半可ではやっぱり難しい。私には、留学経験も海外在住経験もない。

ほぼ毎日2-3時間のYouTube,Netflix,Podcastのシャドーイングと独り言スピーチを1年位やって、なんとか話せるようになってきた。

なぜガチで学び始めたのか?実は結構、サバイバル的な発想である。

コロナの中で未来を考えていくと、日本語だけで生きていくってやばいなと思ったのだ。

今はいいかもしれない、自分の10年、20年後先を考えるとやばいと思った。そして、コロナによって急速にやばい未来が近づいたと思った。

これは世界のメインの言語のパワーバランスを書いている記事。さまざまな項目別に、言語におけるパワーバランスを紹介している。

日本語は、この記事の掲載時点(2016年)では8位である。

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なんだ、結構上じゃん!と思うけれど、色々項目を見ると、

・Geography(地理) 27位
・Economy(経済) 4位
・Communication(コミュニケーション) 22位
・Knowledge&media(知識&メディア) 6位
・Diplomacy(外交) 7位

おそらく、現在時点での経済、外交面での奮闘で順位が上がっているが、コミュニケーションにいたっては、22位でグラフの全言語中一番低い。

これは過去、奇跡の復興をとげた日本のレガシーによる地位がもたらしたものであり、決して現在時点での優位性を示すものではないと思う。

すぐに想像できるけれど、日本国内以外でほとんど日本語は話していないし使わない。アニメ・漫画のコンテンツは流通しているけれど、趣味・趣向の範囲での話である。

そして、2050年に推定されるランキングはこれ

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ああー、10位になりました。

・Geography(地理) 27位 → 30位
・Economy(経済) 4位 → 6位
・Communication(コミュニケーション) 22位 → 17位
・Knowledge&media(知識&メディア) 6位 → 7位
・Diplomacy(外交) 7位 → 8位

ここでコミュニケーションが上がっているが、他の項目は落ちていることがわかる。

コミュニケーションの算定の項目内訳は、

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ネイティブスピーカー
L2スピーカー(第二言語話者)
ファミリーサイズ
旅行者(出国者)

コミュニケーション母数の算定はコロナ前だとすると、以下の下方修正予想ができる。

ネイティブスピーカー:日本人の出生率低下で減少?
L2スピーカー(第二言語話者):アニメ・漫画カルチャーの普及で増加?でも、経済的メリットを考えると中国語にながれそう?
ファミリーサイズ:人口がそもそも減少
旅行者(出国者):コロナで出国ほぼなし、激減?

【仮説】コミュニケーションのランキングは下方修正で考えたほうがいいかも

上記のように想定される。2050年になったとき、もっと順位が下がっていてもおかしくない。

なぜ”言語”が重要?

インターネットに情報があふれる時代。なんでもGoogle, YouTubeを調べればでてくるし、SNSはみんな使っている。

そんな情報が溢れている状況で、インターネット内のコンテンツに占める各国言語の割合のデータがこれだ。

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日本語でも困らない。認識しておくべきことは、日本語の割合はたったの2.6%なのである。

日本にいると全然気づかないが、僕たちは圧倒的にマイノリティの世界の中で生きているのである。

コロナの今、物理的に移動・交流できなくなった。私達はどうしても”内向き”にならざるを得ない。

超高齢化社会で人口が減る日本。内需が徐々に失われ、インバウンド観光需要が激減した今、私達の未来はどうなるのだろうか。

残酷な”母数”の原理

アフリカの国々では、英語を学ぶこと=収入を増やすこと、将来の自分にとってのパスポートのような意味をなすらしい。

将来英語に関わる仕事のバリエーションが増えることにつながり、結果安定した未来が掴み取れる可能性が高まるということだ。

インターネットが当たり前になり、スマホで何でも調べられる時代に「言語関係人口」は圧倒的な差をもたらす。

それは、インターネット上の総情報量と深度である。

実際、私は映像制作を学んだとき、はじめは日本語の情報でなんとかなっていた。でも、あるレベルを境に英語の情報にアクセスしなければいけなくなった。

知りたいことがニッチになればなるほど、情報の希少性が増すほど、「言語関係人口」の多い世界に行かないと情報が取得できない。

情報を発信する側は、何らかのメリットがなければ情報を生成しない。メリットの多くは、情報がいかに多くの人に見られるか、という点に収斂する。

フォロワー数が多くなる、ページビューが多くなる→知名度があがる、広告収入が入る、自己承認欲求を満たす

実にシンプルである。”届かない情報を届ける意味はない”のである。

インターネットがインフラ化した現在、その情報をどう扱うか?どう活用していくか?というスキルが最も重要なのではないかと思う。

人口が減り「言語関係人口」が縮小していく言語に対して、果たして価値のある情報は発信されるのだろうか?

翻訳されることのない、放置される情報がどんどんと増えていくと思う。この残酷な母数の原理によって、日本語への風当たりはどんどん強くなるのではないか。

今やモノをつくってただ売ればいい、という時代ではなくなった。モノもインターネットとつながる。コミュニケーションは切っても切り離せないものになる。

「言語関係人口」が少ない言語しか喋ることのできない場合、この先の未来に待っているのはなんだろう?

英会話の外国人は「プロ」

なぜ私が英語をガチでやろうと思ったか。それは別に日本人であることを辞めようとかいう話ではない。むしろ逆のベクトルである。

よくオンライン英会話で「結構話せる!」だとか「単語をいえば伝わる!」というが、相手はプロである。金をもらってこっちの拙い英語を聞いてくれるサービス提供者だ。

何を話そうとしているか汲み取ってくれるし、話したいことを聞いてくれたりもする。だって仕事だから。

どこに住んでるの?何をしているの?と聞いてくれる。仕事だから。

それはリアルな”外国人”の人々ではない。その関係はあくまでサービスの提供者/受益者の関係である。

だからこそ、私は思った。あ、マジで英語話せないとまずい。どんどん「言語関係人口」の多い世界に置いていかれるような気がした。

言語的マイノリティの自覚

海外に一人旅をしたとき、同じような経験をした。大して英語は喋れなかった。怖くて輪にも入れない。

日本人は自分一人で、白人・黒人・アジア人が英語で楽しそうに話しているのを見て思った。

「めちゃめちゃ、狭い世界で生きてるんだな俺は」と。

でも、英語をその後すぐに頑張ったわけではない。なぜなら、別に日本だと必要ないから。日本では狭い世界を認識することすらない。

ただこの先、インターネットの世界で同じような状況を味わうのだろうかと思ったら、背筋がゾクッとした。それがきっかけで本気で学び始めた。

自動翻訳は”温度”を伝えられない

この先自動翻訳機能は増えるだろうし、テキストベースだったら今だって翻訳してくれる。確かに便利である。

でもよく考えてみてほしい。機械的な翻訳機能で、”その人そのもの”を相手に知ってもらえるのだろうか?

僕たちが日常しているコミュニケーションは、行ったり来たりだけではなく、絡み合い混ざり合いながら進んでいくものだと思う。そこには強いニュアンスだったり、感情が入り込む。

毎度翻訳機械を通されたり、機械的な自動音声で喋られたら正直冷める。

Zoomで音声が途切れるだけで若干いらつくのだ。目の前に機械を差し出され、スピーカー越しに相手の内容を聞くってすごい嫌な気持ちにならないだろうか?

「言語関係人口」のマジョリティの人々が、そんな冷めるコミュニケーションをわざわざしないと思っている。英会話教室でもない限り、メリットがない。

私がスピーキングを本気でやり始めたのはこの理由が大きい。ちゃんと相手に尊敬の念を持って話をしたい。相手にもそう思ってほしい。そして、きちんと温度を伝えたい。

あくまで一人の人間として、その人に向き合う姿勢として、言語を学び話すことは、リスペクトを表すことなのではないか。

「言語関係人口」が多い言語を学ぶ=未来を作る栄養

日本語は美しいとよく聞く。そういう面もあると思うけど、ぶっちゃけ場合によると思う。きれいな詩もあれば、人を蔑む言葉だってある。

私が一番思うのは、この時代において、習得言語の差異によって認識する世界の範囲があまりにも異なってしまうということだ。

インターネットの世界が今後もなくなることはないだろう。すべてがつながった今、「言語関係人口」の多寡で、経済・社会・政治さえも左右される時代が来たと思う。

ビジネス的に言えば、「言語関係人口」が多ければアプリやウェブサービス利用者の母数が違う。だからこそ、投資ができる。チャレンジができる。また違うサービスが生まれていく。

しかし、そのコストは「言語関係人口」の多寡に関わらず大して変わらない。アプリをつくるにしても、ウェブサイトをつくるにしても、大して工数は変わらない。

同じコストでマーケットの規模が大きいのであれば、みんなそちらに目を向けるだろう。AIなど機械学習の世界では、「言語関係人口」の多さは学習速度に雲泥の差を生む。

「言語関係人口」の多い世界に最適化される未来

わたしたちはインターネットの世界では、2.6%の言語のマイノリティの民であり、そこから更に細分化された世界で生活している。

別にそれが悪いというわけではない。今はいいだろうから。

私たちが未来に可能性や成長を求めていくのであれば、2.6%の世界で考えるのではなく、もっと広い世界で可能性を模索してもいいのではないだろうか、と思うのだ。

「言語関係人口」が多い言語を学ぶことは、自分の未来を作る栄養になると思う。だんだんと必須の栄養素になるだろう。まるでタンパク質のように。

近い未来において、「言語関係人口」の多い言語に最適化された世界になっていくだろうと予想する。

プログラミングの世界では、英語ベースのプログラミング言語が覆ることはないだろう。AIはなるべく母数の多い言語に情報を求めていくだろう。

そんな世界では、「言語関係人口」のマイノリティはだんだんと無視される存在になるのではないだろうか?

「言語関係人口」を考えながら生きること

みんなiPhoneを持ち、ネトフリを見てYouTubeを見ている。UberEatsを使うし、ググる。Spotifyで音楽を聞く。InstagramもClubhouseも出発地点は日本語ではない。

あくまで私たちは現在時点でマーケットとして旨味があるから、こんなサービスがローカライズ(日本語対応)されている。未来は果たしてどうなるか。

コロナによって物理的に交流できない今、そしてその障壁がしばらく続く世界には、インターネットの世界がその壁を軽々と超えていく。

しかし、「言語関係人口」の少ない地域、日本においては国内の情報と選択された(≒翻訳された)情報にしかアクセスできない。

私たちが今のうちにやっておくべきことは、「言語関係人口」の多い世界で、能動的に情報を取得しコミュニケーションできる準備をすることではないだろうか。

今はいい、別に必要ない。でも急激に人口は増えないし、こんなに先の読みやすい指標はない。日本語の「言語関係人口」は確実に減少する。

この混沌とした時代に何をすればいいのか分からないのであれば、とりあえず「言語関係人口」の多い言語を習得しよう。

あなたの未来において、それはかけがえのないものになるだろうから。


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