見出し画像

【想】江戸の循環社会に学ぶこれからの世づくり

こんにちは、お久しぶりの投稿です。

もう1ヶ月以上経ってしまいましたが、9月14日、自然農法家の高内実さんが、古民家いろはにお越しくださり、江戸農書をテーマに、循環社会のあり方についてお話してくれました。

講義を聞きに来てくれた地域の方々
暑い中、みなさん興味津々に聞いていらっしゃいました!

講義ノートは公開できませんが、高内さんのFacebookやYoutubeには素敵な考えや知識が満載なので、興味がある方は是非見てみてくださいね😊


熊野に越して、1年5ヶ月が経とうとしています。
春夏秋冬、朝昼夕晩、晴れ曇り雨雷台風、どんな時も自然と一緒の暮らし。

その中で私はつくづくと感じます。

人間は、自然を不自然にすることでしか、生きていられない。

ありとあらゆる自然を、不自然な形にしないと、人間の暮らしは成り立たない。でも、それが人間の生き方であり、文明です。

だからこそ、人間は顧みないといけない。
そういう存在である自負を持たないといけない。
自然を大切にすることを意識しないといけない。
そして人間は生命に対して愛で接さないと面目が立たない。

他の動植物に比べて、「人間のためだけ」に日々奪う生命の数はとてつもなく多いのではないでしょうか。
そして、その奪った生命を動力や快適さ、満足に変えて、毎日生きている。
だからこそ、その生命をちゃんとエネルギーに変えて、そのエネルギーで、人間だけでなく、他の動植物を含めた愛と平和で満ちた世界を創っていくことが、お題であるように感じました。
それは、あらゆる生命に囲まれ、愛されている涅槃のイメージともつながりました。

お釈迦様が悟りの境地に達したとき、あらゆる人・動物・植物に囲まれていた

高内さんのお話を聞くと江戸時代の日本人は、そういう自負を持って暮らしていたように思いました。

江戸時代、各地域で製本された農書には、環境を汚さない農業の仕方が細かく書かれていたそうです。
それも、その地の風土・地勢に寄り添ったもので、地域によって内容も異なる。
百姓の観察眼の高さが伺え、そして、自然科学の裏付けさえも感じられるものだったと。
農書とはいうものの、農法だけでなく、暮らしと人生の書として、人々の知恵と経験が培われたものだったそう。

そういった教えを大切にしながら、循環や補いあいを意識して、
自然全体を愛しながら、大切にしながら、生きていたのかな、と思うと、
自分や自分の身の回り、人間の利ばかり考えているのは、なんともスケールが小さい。

昔の人って、1000年後残るように、って本気で考えて建物を建てたりする。
そういうものが実際に残っていたりする。そのスケールの大きさがロマンがあってめちゃめちゃかっこいい。

木を切って、その生命を使ったら、100年後、200年後を目掛けて、一生懸命植林をする。バランスを守ること。生命と未来をつなぐこと。とても美しい精神だなと感服する。

夢は大きく、行動は足元から小さく丁寧に、というのがいい生き方だなと最近思います。

私は今住んでいる小さな小さな集落から作っていきたいと思います。
まずは自分の家から、畑から。その暮らしが真に豊かであれば、自然に人が集まり、真似するんだと思います。

家のお風呂から見える景色

自分が楽しいと思えること。
自分の周りが笑っていて幸せそうなこと。
周囲の自然が生を全うしていること。

そんなことを大切にしながら、世づくりしていきたいと思っています。

たとえ、それが理想の話だとしても、その理想を素晴らしいと思い、みんなでその理想に向かって頑張り続けるということが、なんだか楽しくて夢があっていいんじゃないかな!って思います😊

別に私が生きている間に形にならなくても、100年後、1000年後に、そのスピリットが残っていれば、それでいいんだと、そんなふうに思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?