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こんな時だからこそミャンマーでの思い出を語らせてほしい

ミャンマーで過ごした10代最後の夏

1ヶ月ほど前から私のFacebookがミャンマー語で埋め尽くされるようになりました。四年程前に3ヶ月ほど、ミャンマー、ヤンゴンに滞在していた経験があり、今回の騒動に関し、驚いていると同時に、自身の無力さをもどかしく感じております。

ミャンマーの政治や国としてのアイデンティティについて私が深く語れることはないのですが、私自身が3ヶ月滞在した中で感じた「ミャンマーの魅力」を今回少しでも語らせて頂き、デモのニュースから受け取られ得る「ミャンマー」のイメージとは別の側面を知っていただけたら幸いと思います。

ヤンゴンという都市

10代最後の夏、5月雨季真っ只中、私は、ヤンゴン空港に一人降り立った。アライバルビザにより用意した書類をもとにその場でビザを発行してもらう形であり、うまくいくか心配していたが、そんな心配は無用、ものの5分で入国できた...外は蒸し暑く、日本の夏に比べ、よりじめっとした、そして東南アジア特有のあの雰囲気、匂いがした。

よくヤンゴンはミャンマーの首都であるとの認識を受けているが、実際は、ネピドーであり、ヤンゴンはどちらかというと古都である。しかしながら、日本企業の多くがヤンゴンに進出しており、約3000人以上日本人が住んでいるとかいないとか...ヤンゴン中心部にある「シュエダゴン・パゴダ」をはじめ、パゴタ(寺院)も多くあり、朝托鉢する方々もおり、宗教や伝統的な文化が人々の日常生活と密接に結びついている様子が見受けられる。パゴタは、服装に気をつけつけさえいれば、観光客も地元の方々に混じっての参拝が可能である。(外国人がパゴタに行くと知らないうちに、勝手に着いてきて説明し始める人がいる。とてもためになるのだが、最後に見返りを求めるので要注意である。)

インフラに関しては、道路はまだまだ未整備のところも多い。道端には沢山の野良犬たちがいる。(狂犬病の予防注射は打っていった方がいいです。) 特に雨季は、停電が頻繁に起こり、道路が当たり前のように冠水する。水道は雨水を溜めてトイレ等に使うのが一般的なだが、停電になってしまうと、この貯める機能も止まってしまうため、なかなか曲者である。と言っても電気が止まったら、パソコンでメールを送ることも、夜明かりをつけることもできないため、暗くなったらさっさと寝てしまうほかない。

朝6時ごろになるとどこからともなく路上で朝市が始まり野菜等が売られる。そして、夕方5時前後にまた出店が並び、焼き鳥、揚げ物系等スナックが売られる。おいしいものも多く私もよく買ったが、勿論ながら、食中毒等は自己責任である。(私の場合、臆せず食べ歩いていたため、3ヶ月で3回ひどい下痢、食中毒にあってトイレから数日間離れられなかった...)大きなショッピングマーケットがいくつかでき、近年急速に近代化が進んでいると言われているが、それら新興地区とダウンタウン(下町)には依然として大きな差がある。

ヤンゴンにおける交通手段

ヤンゴンにおける交通手段は、バス、電車、タクシー、そして歩き。バスは日本の中古のバスを使っている場合もあり、かなり古く、なかなか外国人にはハードルが高い。何度か乗ったが、クーラーもなく(場合による)、120%の乗車率で、道が悪いため、激しい上下運動を繰り替えし、とてもエクサイティングで密な時間を過ごすことができた...

タクシーの場合、メーターは付いていないので、乗車時に運転手と交渉する。体感、15-30分で200円ぐらいだった気がする。あくまでもうまく交渉できた場合だが。もちろんながら、ナビはないので、目的地に関しても、しっかり伝えなければ、到着しない。到着地の近くに着いた場合、「右」なのか「左」なのか、もう少し進んでほしいのか、ミャンマー語でこの辺はいつの間にか話せるようになった。

ヤンゴンの中心地に日本で言うところの上野駅(東京駅)のような都市部、郊外に行く電車が発着するヤンゴン中央駅がある。そこから環状線も出ており、一度乗ったが、普通に「電車」でとても快適だった。バガン遺跡で有名なバガンやネピドー、他の都市へはバスが多く出ており、夜行バスで手軽に行くことができる。私は、ヤンゴンからバガンへ寝台バスで片道8時間弾丸1日一人旅をしたが、ミャンマー語ゆえに休憩時間の戻り時間がわからない以外はとても快適だった。バガン遺跡は最高だった。

「ミャンマー人」と言っていいのか

日本に住む多くが日本人であるのに対し、ミャンマーは多民族国家であり、約8つの部族、約135以上の民族に分かれる。ちなみに私は、地黒で、地元の人同様に、ロンジーという民族衣装を着て生活していたため、かなりの確率で、ミャンマー東北部に住む中華系の民族だと思われ、ビルマ語で話しかけられた...ヤンゴンには各民族料理のお店も多くあり、それぞれの民族の歴史や文化に触れる場も多々ある。一度、土曜日にヤンゴン国立博物館に行ったのだが、5階建ての大きな建物だったにもかかわらず、私しか観光客がおらず、独り占めしてゆっくり歴史物を見てまわることができた。ミャンマーの文化を知るとは、ミャンマーという国のあり方や歴史を知ることが一つ、そしてミャンマーという国を構成する各民族の歴史や文化を知ることが一つであり、とても奥深い。

3ヶ月滞在した中で、多くのミャンマー人、ミャンマー在住の日本人、外国人に会う機会があった。特に印象に残っているのはヤンゴンの中心街から少し外れた一角にあるギャラリーで毎週水曜日在住歴が長い外国人やローカルの人々がビール片手に語ある集まりに参加できたことである。民主化前、まだ国があまり開かれていない時から外国人としてミャンマーに10年以上住んでいる先人の話はとても興味深かった。外国人としてアウェイだからこそ感じること、自国の文化や教育を受け育ってきたからこそ感じるミャンマーと外国との違い、民主化前後の急発展に対する思い、軍政時代からの変化を身をもって経験した方々の話は、まだ十代の、日本で恵まれて育った私にとって新鮮なものだった。

日本でミャンマーを感じるには

日本に出稼ぎに来ているミャンマー人の方も多くいる。ミャンマー系の料理店も東京にはいくつかある。ぜひ、食べてもらいたいのが、「シャンヌードル」「トーフヌエ」である。シャンヌードル(シャンカウスエ)はシャン地方の麺食であり、一般的に日本人にとって好まれやすい味な気がする。トーフヌエは雛豆からできた豆腐の食べ物であり、なかなか日本食にはない味や見た目だが、クセのない味でヘルシーでおいしい。

文化面でいうと、確か、東京外国語大学、大阪大学が唯一ミャンマー語専攻の生徒を有しており、彼らの文化祭の展示等でより深く知る機会があるかもしれない。高田馬場もリトルヤンゴンとして幾つかの日本人の対して開いているコミュニティや活動があると伺っている。

ちなみに私は、3ヶ月の滞在中に「ラウェイ」というミャンマーの国技である総合格闘技のジムに通っていた。(きっと先にも後にもそのジムに通った日本人JDは私だけだと思う...)最初から最後までトレーナーの方が何を言っているのか分からなかったが、無事猫パンチのようなものを習得することができた。もし、ムエタイや格闘技に興味がある方はラウェイの試合をYoutubeで観るのもおすすめである。(たまに日本人選手がいる)

ミャンマーの方々はとても優しかった。ミャンマーの方々、そしてミャンマー在住の日本人の方々の平穏な日々が1日でも早く戻ってくることを心より祈っている。




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