”憧れ”がすべてだった
なぜ会社を辞めたのかー
しかも、新卒で入社した会社を、まだ半年も経っていないのに。
なぜ会社を辞めたのかについて、入社同期や、大学の親友、家族から聞かれることが今も度々ある。
私なりには、整理して伝えているつもりだが、
まず私自身が納得がいかない。
退職の理由について納得がいかないというわけではない。
退職を決めるに至るまでは、他人には説明できないかもしれないが、
自分自身の中に生まれた様々な感情、理屈があったことを自分は覚えている。
では、なぜ、納得がいかないのか。
それは、当時自分の中に生まれた様々な感情、理屈をよく説明できる、
わかりやすい言葉が見つからないからだった。
それに気づいたのは、その言葉を見つけてからだった。
私が退職を決めたのは、憧れられなかったからだ。
先輩を。仕事を。環境を。雰囲気を。その中にいる自分自身を。
誰か、何かのせいにしたいわけじゃない。
よくある、ミスマッチだ。(人間関係においても、ミスマッチはよく存在するはずだ。それなのに、会社ー従業員となると、ミスマッチが、怠慢や根性欠如にされるのはおかしいと思う。)
私が退職を決めたのは、憧れられなかったからだ。
こういう「まとめ」ができた背景には、
早くも会社を辞めてしまった自分が何かに長く(しかも楽しく、主体的に)取り組んだことはないだろうかという自分への問いかけがある。
多くのことを語れるほどの実績はない。
一つ、私に良い経験があるとすれば、「日本語」だ。
小学5年生の頃、九州を4日間旅行した。(▼ハウステンボス)
言葉が通じない状況、きれいな街並み、伝統旅館・浴衣、猿ー
未知のものばかりで、心からワクワクした。
だから、日本をもっと知りたかった。日本へもっと近づきたかった。
日本を憧れた。
私の日本語の勉強はそこから始まった。
帰国後、スーパーでひらがな・カタカナの教本を買ってなぞり書き、
日本のドラマ(ライフ、ハケンの品格、ごくせん…100作超)を観、
日本の音楽を聴き、… 日本にどっぷりハマっていた。
(▼中島美嘉さん)
で、こういう状況を夢見ていた。(▼イメージ)
”いつか日本語をペラペラにしゃべれるようになりたい。”
(きっと、何かのドラマのプレゼンテーションのシーンに影響されたのだろう。)
それから、12年。
時には、漢字の難しさに呆れることもあったり、
英語にハマり、日本語の勉強に疎遠になったりしたが、
手ばしてなかった。結果、私の現在の日本語のレベルはまぁまぁいいほうである。笑 さらに、日本へ留学もできるなど、道が広がった。
特に、日本が経済大国だからとか、日本が韓国から地理的に近いからだとか、そういう理屈は、日本語を勉強し始めた12歳の私にはまったくなかった。日本への憧れがすべてだったに違いない。
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過去の話はここまでにしよう。
私が求めているのは、「日本語」に次ぐ、次の大きなテーマ(ベクトル)。
20代の私を燃やすような。笑
今のところ、「IT業界」を見てみたいと思っている。
中でも、何かの「サービス」を届けるような。
大学4年生の頃、定期的にシフトを入れられない自分にとっての
リクルート社のアプリ「JobQuicker」のような存在に携わってみたい。
仕事は、趣味や勉強とは違うことは知っている。
仕事では、一定のパフォーマンスが求められる。
しかし、例えば、英語の先生に気に入られたくてテストを一生懸命やった経験、進学校に行きたくて夜中3時まで勉強した経験、日本に憧れて一人で日本に来て奮闘していた経験と大きく異なることはないんじゃないか。
一つ言うと、規律だ。組織としての規律。
規律が自分の自由度を阻害する可能性は大いにある。
しかし、それは給料という当面の安定的な収入源と、
将来の起業という夢を叶えるために、必要なもの、
だと思えば我慢できないことはほとんどないと思う。
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ここまで長々と書くつもりはなかったが。