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3月27日 創造〜仮想の都会noteで、エリック・ホッファーの波止場日記を思い出した。

返報性(互恵性)の法則 というものがある。
人から何かをしてもらった時には、自分の心の中には、もらったものと
同じものを返さなければならないと思う心理が働きやすいことを指す。

日本人には、お返しの文化があることも否めないが、
数年前から、久しぶりにSNSを利用して、とても感じた。

あれ?あの人、最近どうしたんだろう?
比較的小さなSNSは、仮想の田舎の町、村のようだ。
会員同士の距離が近い。いいね!のような意思表示を貰えば、
手動でお礼のコメントを全ての人に入れる会員が多かった。

一方、noteでは、仮想だけど、都会のお付き合いを思う。
「スキ」やフォローなどの好意に対してのお礼や感謝は、
自動管理のnoteシステムで、最低限の自分の気持ちをお伝えすることが出来る。
このサービスは、いかにもスマートで、押し付けがましくなく、有難いと思った。

プロも素人も企業も起業家もひしめき合いながら、都会noteでは
それぞれが、個の空間、時間を大切にし、距離感が保たれる。
そんな心地よさと、孤独と創造を見つけた気がした。

また、クリエイターと呼ばれているnoteの人々。
 創造、芸術〜それは、沸々とする苛立ち
何らかの反抗、何かに対する反逆な気持ちから生まれると思う。

エリック・ホッファーの波止場日記の
創造についてのこの記述は、ずっと頭に残っている。

人々に交じって生活しながら、しかも孤独でいる。
これが、創造にとって最適な状況である。このような状況は都会にはあるけれども村とか小さな町にはない。創造的状況の他の構成要素は、きまりきったこと、刺激のなさ、さらには少々の退屈と嫌悪などである。
ほとんどの場合、創造の原動力となるのはささいな だが持続的な苛立ちに対するおだやかな反発である。カキがその肉の中に宿った一粒の砂の引き起こす持続的な苛立ちに対する反発から真珠を作り上げるのもちょうど同じである。

エリック・ホッファーの波止場日記より

ホッファーは決して、世間から評価されるような仕事でもない
沖仲仕(船から陸への荷物の揚げ下ろしをする仕事、港湾作業員)をしながら、
本を読むことを生業とした。全く、凡人には想像もつかないホッファーの生き方、情熱に憧れた。並大抵な読書家ではない。

稀に見る経験だと思うのは、7歳の時に母親を亡くし、突然失明もした。
そして再び、15歳の時に突然視力が回復したことだ。
この経験から、いつ何時、視力を失うかもしれない恐怖が生まれ、
毎日10時間、いや12時間そんな単位で、猛烈に読書をする人生を歩んでいった。
そして、思いを爆発させたのは、モンテーニュのエッセーを読んでからだった。




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