形而上学 Tweet Archives new version Ⅰ 6 永澤 護 /dharmazeroalpha 2023年5月19日 08:57 またはこの運動そのもの→座標原点=0と無限遠点=∞との〈同時性〉 https://t.co/mbuFwwUFTm— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 21, 2023 この構造化の運動がなければあらゆる変換操作が不可能になる。座標原点=0と無限遠点=∞はこの構造化の運動により対応する→デカルト空間を極座標空間・リーマン空間・ヒルベルト空間・トポロジー空間等へ変換 #philosophy #mathematics https://t.co/mbuFwwUFTm— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 21, 2023 まったく #カント ときたら、せっかく #デカルト が『省察』であれだけ頑張ったのに、またまた意識なんていう言葉を持ち出してきちゃたからね— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 21, 2023 ここから #カント 『 #純粋理性批判 』をやや離れて次の仮説が設定できる⇒ それがどのような現象(的内包/パースペクティブ)であろうとも、「私の境界条件」になることは原理的に不可能⇒「境界なき境界」の成立条件になることは不可能— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 21, 2023 総ての点は座標原点=ゼロに回帰する。問題はこの運動の構造 https://t.co/unZRle49g0— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 21, 2023 ⇒より普遍化すれば、それがどのような現象的内包/パースペクティブであろうとも、「私と私の外部の境界条件」になることは原理的に不可能→ここでは「意識」は前提されてはいない。 #哲学 #philosophy https://t.co/JGJkGDIU5W— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 21, 2023 このツイートだけを見た場合致命的な真逆の誤解を生むかもしれないのであらためて注記するが、ここでの「 #カント の真意」は「自分自身の身体」を含む一切の「見え」は、「「私の外部」の可能性の条件を成すことは原理的にできない」ということである。 https://t.co/oLvIEgNOJz— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 20, 2023 つまり一切の「見える」の「見え」を含む。従って、それがどのような「見え=現象的パースペクティブ」であろうとも、「それが私の外部の可能性の条件を成すと言うようなことは原理的に不可能」ということになる。#哲学 #カント https://t.co/oLvIEgNOJz— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 20, 2023 この非常に大部の凄い論文だが、実質24歳で書かれたとはとても思えんな(苦笑) https://t.co/fPpU7BdARa— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 20, 2023 「外的経験の何らかの対象」「条件として廃棄不可能な何か或る特定の対象」には「自分自身の身体」も含まれる。#純粋理性批判 #カント https://t.co/ctiG8BSqqo— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 20, 2023 上記論文から引用①「私の前方の奥行きのなかに偶如何なる対象も見出されないという場合をも含めて、形式としてのこの空間は常に変わりなく、そこに登場してくる事物に外的経験の対象と呼ばれる資格を初めて付与する、そういう地平を形式している」#カント— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 19, 2023 引用②「外的経験の何らかの対象を指定して、それが「私の外部」云々の可能性の条件を成すと言うようなこと、その意味で条件として廃棄不可能な何か或る特定の(引用者付記:「特定の」に傍点)対象を指定するというようなことは、抑原理的に不可能である、――こう語ることがカントの真意だった」— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 19, 2023 https://t.co/0QJ3OXstB0 「形式としての空間」脳腫瘍で42歳の若さで逝去したかつての私の指導教官だった久保元彦氏25歳の処女作です。彼は天才でしたね。というか鬼気迫るといった感じで。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 形式としての空間ということは極端に理解困難のようですね。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 気づいてみれば(〈私〉もですが)あまりにも明白な事実なんですけどね。あまりにも手前にありすぎて(実在世界の手前または外部なので)気づけない。しかし実在世界との接点は消えない。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 「得る」という可能性または形式性の次元でまさに「得る」つまり可能だと思います。ただし思い切りざっくりとかつ抽象度を高めていうと《言語性》(身体感覚の形式化を含めた)と〈現実性〉が隔たりつも不可分になるという複雑な分析になると思いますが。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 直観形式としての時-空または時-空の形式性というカント的な枠組みにおいてもその内包性は「〈〉化」されざるを得なくなります。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 この循環的な運動性を時-空の形式性と不可分な枠組みで考えるという探究課題は非常に困難ですが最重要な課題と考えています。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 〈無限遠点〉がつねに既に絶対的な与件として与えられて(構成されて)いる。 https://t.co/8lGNP03gkM— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 「全く同じ空間に無限の可能世界と一枚の現実世界が被さっている」という記述を読むこの〈私〉の独在的な事実があるわけですが、この〈私〉はなぜそういった「同じ空間の想定ができるのか? その同じ空間とはいったい何なのか?」等と問うこと(同時に書くこと)が現にできます(現にしています)。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 多世界解釈では観測主体と区別された「超越的解釈者」と汎世界的な《言語》としての宇宙の波動関数に対応します。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 今詳しく述べられませんが、鍵は汎世界的な《言語》(汎世界的な関数の様な何か)を認めるかどうか、そしてそれがこの〈今-ここ〉での〈私〉の記述(の生成)とどう関わるのかということだと思います。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 #哲学 の現況(とあえて通常の用語を使うが)は量子力学と一般相対論のパラダイム革命が起こった後の段階と捉えられる。少なくとも私はそういう姿勢で探究している。そしてこの状況は単なる物理学(または物理数学)とのアナロジー的な比喩ではあり得ないと考えている。つまり学としての #形而上学— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 この点が非常に興味深い私と谷口さんとの遭遇点かつ分岐点になります。遭遇と分岐は〈遭遇-分岐〉という切り離せないハイフン-〈隙間=亀裂〉付きの事態になります。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 これを認めるかどうかはある種究極の哲学的-形而上学的選択になりますが、いずれの選択も同じ究極の事態のコインの裏表になると予感しています。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 私はまだ結論は保留しています。青山拓央氏の議論に密接に関わります。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 谷口さん当てにもツイートしましたが、私は山括弧〈〉付きのつまり無内包次元の「この<私>の<今-ここ>」という<次元=場>を認めています。ハイフン-付きなのがポイントです。ただし〈〉と〈私〉と《私》の動的循環構造化の運動と切り離せないまたはそれそのものとしてですが。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 〈〉と〈私〉と《私》の動的循環構造化の運動と切り離せないまたはそれそのものとして。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 この点が非常に興味深い私と谷口さんとの遭遇点かつ分岐点になります。遭遇と分岐は〈遭遇-分岐〉という切り離せないハイフン-〈隙間=亀裂〉付きの事態になります。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 おそらく「位置」という言葉の選択が、動的循環構造(の力)の次元を排除しているのではないかという危惧だと思います。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 この循環的な運動性を時-空の形式性と不可分な枠組みで考えるという探究課題は非常に困難ですが最重要な課題と考えています。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 18, 2023 「現実と実在と潜在と」読了しました。「現実性と潜在性のあいだに最後まで残る「ずれ(ギャップ)」」こそ最重要の哲学的形而上学的な探究課題ですね。ところで入不二さんは谷口さんの論考・発表の末尾の位置という言葉の選択についてコメントしていましたが、あの指摘はまさに肝だっと思います。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 道元の言葉「無の一つ一つは空を表現する(道取)目印であり、空は無を表現する力量である」(仏性)が極めて印象的です。因と縁によって個別化される一つ一つの縁起は空を表現する無であり、空はそれら一切の縁起を生み出す力として読めます。すると空の力は「慈悲」なのかもしれません。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 もちろんネルケさんがいう意味での。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 17, 2023 「時間的実現の内容」に関して昨日の補足ですが、A変容言語による「概念の惹き起こし」は、青山氏のいう「現象的内包に基づく特定の言語使用の焦点化=独在化」とどのように差別化できるのでしょうか? 「意識」は括弧に入れて。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 16, 2023 承前 〈同時性〉を巡る一連の #哲学 的-形而上学的探究課題の記述で数学的操作=作用に関わる記述の続き それに続いて #カント 『純粋理性批判』におけるデカルトの神の存在論的証明批判がそこで遂行される〈次元=場〉についての記述 「序論」はまだ完成していない。 pic.twitter.com/jP2sjQhEUg— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 16, 2023 先の記述は「 #デカルト の」でなく「アンセルムスを源流とする」に改訂。デカルトによる神の存在論的証明は「この<私>に原初的に与えられた無限の観念」から導くものでより根底的なもの(26歳頃当時の指導教官だった実川敏夫氏に提出した小論で書いた)と考えている。 https://t.co/I0k0pHL1pe— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 16, 2023 論考で数の構成と #哲学 的-形而上学的探究課題について記述した部分。 #数学 pic.twitter.com/HGJ3RvoB1p— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 16, 2023 上記谷口さんが述べているのが、カント『純粋理性批判』におけるデカルトによる神の存在論的証明批判で私のツイートはそこから始まる哲学的-形而上学的探究課題の示唆— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 それら両者つまり想像上の百ターレルと現実の百ターレルの両者を〈同時に〉見渡せる〈場〉がもはや通常の実在性の場ではないですよね。同型対応の変換操作が〈私〉によって行われるその〈場〉も変換操作自体も通常の実在性の場にはない。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 複素数も複素平面も実在する。私が変換操作によってそれらを同時に構成=実在させているからだ。#mathematics pic.twitter.com/IrMq1bymrs— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 ただ何度も書いているように、哲学または形而上学の探究課題はその先にある。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 解析学と幾何学の分岐と統合がなぜ可能なのか。または可能だったのか。なぜ無限遠点の追加による複素平面のさらなる拡張や極限操作が可能なのか。これらは未踏の #哲学 的-形而上学的探究課題であり、その探究は少なくとも通常の実在性の場では行われない。#数学 https://t.co/HsVDSszTJj— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 私は「意識」は減算可能だがある固有な形で考えられた動的循環構造は減算不可能と考えている。 https://t.co/fir5PucCVa— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 〈〉付きの〈移行-変容〉は私のテーマでもあります。いろいろあるのでとてもツイッター上で議論不可能です。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 「境界なき境界」としての「意識」(とその固有な循環構造という場が減算されている点でしょうか。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 ちょっと質問ですが、谷口さんのA変容という「内 容成分(内容性)」は青山さんのいう現象的パースペクティブ(の内容性)と(どのように)差別化できるのでしょうか?— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 14, 2023 「境界なき境界」としての「意識」(とその固有な循環構造という場が減算されている点でしょうか。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 15, 2023 一昨日に届きましたので近い内に読みたいと思います。楽しみです。ところで入不二さんが谷口さんの論考または発表の末尾の「位置」という言葉の選択についてコメントしていたのを先ほど思い出しました。あの指摘はまさに肝ですね。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 14, 2023 この操作=作用は連続平面としての複素空間自体を構成する連続な曲線としての<線-を引くこと>という<働き Aktus>と考えていますがではその移行=操作は〈どこ〉で行われているのか? と問うと明らかにいかなる「実在性」の場でもないと「思われる」わけでそこに哲学的形而上学的探究課題を見ます。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 14, 2023 この操作=作用は連続平面としての複素空間自体を構成する連続な曲線としての<線-を引くこと>という<働き Aktus>と考えていますがではその移行=操作は〈どこ〉で行われているのか? と問うと明らかにいかなる「実在性」の場でもないと「思われる」わけでそこに哲学的形而上学的探究課題を見ます。— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 14, 2023 永井均氏最新の探究テーマの「内属性問題」を私自身も継続して探究し書いているのだが、書かれたり述べられたものでこの問題に取り組んでいる事例はおろかそれが認知されている事例も「極めて稀有な例外を除いて皆無」に見える。#philosophy #哲学— 永澤 護/dharmazeroalpha@哲学 (@XlGjfmYpCchopJ6) May 14, 2023 ダウンロード copy #note #哲学 #数学 #科学 #サイエンス #物理学 #カント #形而上学 #philosophy #Science #physics #純粋理性批判 #mathematics 6 よろしければサポートお願いいたします。頂いたサポートは必ず活かします。🌹🌈🎁 記事をサポート