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改訂版 『オープンシステムとしての<個>の造型を目指す実践的教育のモデル――自己覚知・呼びかけ・応答』 於 立教大学「宗教と社会」学会プロジェクト「個の可能性研究会ワークショップ2002」研究発表 2002.7.7+附記

主宰者
多摩大学グローバルスタディーズ学部長・ハーバード大学教育哲学研究所所属研究員・ハーバード大学・オックスフォード大学・スタンフォード大学招聘学者・立教大学キリスト教研究所研究員(所属情報は2002年当時)
宮永國子

宮永:発表のほうに移らせていただきます。永澤さん、「オープンシステムとしての<個>の造型を目指す実践的教育のモデル―自己覚知・呼びかけ・応答」、お願いいたします。

永澤:1枚目の資料を見てください。実際に、私が、もう2、30回はやったと思うんですけど、日ごろ授業においてさまざまな学生たちとやっていることを、そのまま、ちょっと簡単に、伝えたいと思います。まず、自己覚知というのは、これは省略して自覚ということでわかると思うんですけど。ワーカー=援助者が、クライアント=利用者に対していろいろな負の感情も抱くわけなんですよね。そういう時に、それを隠蔽しないで、自分自身の感情の動きをちゃんと自覚して、いろいろなマイナスの感情も抱いていたとする、それを自覚して、それをコントロールすればよい、というそういう意味の自覚が大切だ、ということを示しています。要するに、これは全ての人間関係でも共通して言えること、なんですけど、それを、ワーカーとクライアントの関係ということで、特に大切なこととして教育している、ということです。

 2枚目をあけてください。2枚目のディスカッションシート、これでディスカッションをしてもらうわけなんですけど、まず、1枚目にある「4段階の、4つのタイプの意見の伝え方」のうちで、あなたはどれが一番いいと思いますか。それを、1から4まで、いいものから悪い順に番号を付けて、しかも、その理由を簡単に書いてください、と問いかけます。はじめに各自少しディスカッションシートに書かせた後、ディスカッションしてもらって、それを発表してもらう、というかたちになります。
 
 1枚目を見てください。1、2、3、4、これ出典はこちらのほうに書いてありますから、省いてますけど。1、これは英文でいうと、you are a ~.という形になっているんですね。これは、a ~、というふうに述部が名詞形になっています。あまり時間がないので、答を言いますが、括弧1番、これはもちろん1に対応していまして、あなたはいつも怒ってばかりいる人。これは完全な決めつけですね。いわゆる本質主義というか。つまり、名詞形になっていることによって、いつも怒ってばかりいる人、というふうに、過去・現在・未来にわたって、もう決めつけているわけです。感情の交流はまったくないし、自分は安全圏にいる。

 2番目は、これは科学的な観察命題のようなもので、これは、you are ~ と、 状態を言っています。これは、現在に定位しているので、過去までさかのぼって決めつけていないという意味で本質主義ではないんですが、これは、共感がない、とうことです。中立的に記述して済ましている、ということです。
 
 そして、3番目は、you feel ~、 あなたはこう感じている。
 
これは、受容・共感・傾聴の構えに基づいたリピート(繰り返し)の技法と言われるもので、非常に基本的なものです。つまり、クライアントが「私はこういうことで生活が破綻している」などと、ごちゃごちゃ言って、「つらい」というふうに訴える。それを、何度も何度も反復するわけなんですが、それをそのまま、「あなたは、これこれこういった・・・」、言語的レベルで、「これこれこういったことが問題で、つらいのですね」、とあえておうむ返し的に繰り返してあげると、言語的に、確かに自分の感情、つらいという感情を受け止められたという、受容されたということが、はっきり相手にも伝わる、ということなんですね。それで、しかも、冷静に言われているわけですから、確かに自分は受容されている、ということになります。

 3番目は、どの学生も、まあいろいろな年齢層、女性や男性の方々がいますけど、3番目が1番いい、という答が一番多いのです。この3は、優等生的なものであって、どういう場面でも、まあいいだろう、ということなんですね。受容的な態度、ということで。ただ、これは、まだ信頼関係が形成されていない段階、初回面接の時とか、はこの方が無難なんですけど、これだけで、その人を変えること、変化させたりすることができるか、その人の問題への洞察をもたらすことができるか、というと、できないのです。

4番目は、I feel ~、私は今こう感じている。
 
その人の問題への洞察が生まれるためには、必ず、アイデンティティ・クライシス、というか、危機的な場面に遭遇する必要がありまして、さらに、これはフィードバックあるいは直面化の技法と言うんですけど、感情の交流を意図的に起こす、ということが必要で、それは、熟練していない人だとかなり危険です。つまり、下手をすると単にけんかを売ってる、ということになってしまうわけです。

 つまり4番目は、ワーカーも自分自身人間なので、例えば、メンタルイルネスみたいな人がいて、そういったクライアントに何度も何度も、もう怒りを、実際にぶつけられるわけです。実際に、人間なので、自分自身本当にいやになります。いやになった時に、未熟なワーカーというのは、ネガティブな感情を、クライアントに抱いたこと自体に罪悪感を持ってしまって、それを、隠蔽しようとすると、すべて失敗してしまうことにもなる。結局、自分は安全圏にいて交流がない、ということになるので、その場合、それを自己覚知して、どういうふうに相手にも伝えることによって、つまり、私と相手の両方ともこう思っている、ということになって、感情を交流させるか、ということで、テクニックが必要になるわけなんですよ。

 私が対象としている学生は、社会人の経験が多い人ほど、「4番目もいいんじゃないか」、と答える方が多いんですけど。若者というか、若い人の場合は、常に例外はいますが、・・・これは宮永先生だけじゃなくて樫村さんの話ともつながるんですけど、4番目を最悪のものとして挙げる人が多いんですよ。「4番目は、これは本当にまずい」「自分の感情を相手にさらけ出してしまうのはプロとしてよくない」、とか、「これはけんかになるじゃないか」、「これは最悪」、という人が多いんです。もうちょっと深く考える学生とか、あるいは、ある程度人間関係をこなしている人だと、4番目をあえて、自分の、あくまで言語的に言葉で、しかも冷静に、・・・理性的にということだと思うんですけど、自分の感情を相手に伝えることでしか、感情の交流が起きない、ということもわかる。これをわかってもらう、ということですね。

 それから、後半の1、2、3、4、なんですが、これはもう時間がないので簡単に答を言いますと、1番いいのは、同じ意味で4なんですね。これは、4しかだめ、という意味なんです。4というかたちで、私、という言葉を使って、例えば、専門医の受診、これは深刻なケースに多いと思うんですけど、例えば、エイズチェックなんかもそうだと思うんです。検査を受けたほうがいい、という場合に、「私はあなたが専門医を受診したほうがいいと思います」、というふうに、私、という責任(応答可能性の構え)のレベルを持っている必要がある。

 3番目は、ワーカー、あるいは医者の場合でも、専門家、というのは、上の立場にいる、権威の立場にいるので、やはり、上の立場なんですね、クライアントから見ると。そうすると3番目の言い方は懇願、つまりお願いになってしまって、上の立場からお願いされると断れなくなってしまう。したがって、クライアントの消極的否認の契機が隠蔽されてしまって、かえってクライアント自身に負の逆作用を及ぼすことになります。

 それから、2番目は命令なんですけど、1番目よりまし、と思われます。1番目というのは、これはもう、一方的な非難です。これは、要するに、「何であなたこうなの」っていう、例の言い方です。これは、もちろん単なる疑問文ではなくて、「何であなたはできない、いつもできないの」、ということで、先ほどの1番目と対応している。

 2番目は、これは、命令・強制でよくないんですけど、これは、エマージェンシー(緊急対応)の場合、・・・つまり、生命の危険がある、というような場合には、これはもう、一刻も早く受診させたり、お医者さんにかからせたりする、ということが必要な場合もあるので、1よりかなりましなのです。

 それで、ちょっと急ぎますけど、自己覚知、ということで、これは、ワーカー・クライアント関係と言ってますけど、普通の人間関係でも同じじゃないか、ということを言っています。それから、相手は子どもでも同じなんじゃないか、ということも言えます。ですから、実際の親子関係・自分の子どもの場合、あるいは、夫とか妻という場合でも同じ、というふうに、一応言える、ということで、学生には言っています。いずれの場合でも、例えば、子どもの場合だと、いろんな生育歴を経てきた中で、こちらを試す、という意味で、さかんに攻撃をかけてくる場合に、それに対して、あえて冷静なふりをして対応するのはかえってまずい、ということで。実際に、「本当にもう何度もそう言われて、もう言うことを聞いてくれなくて、本当に、私はつらい、というか、悲しいよ」、というふうに言ったほうが、子どもは素直に変わる、っていう事例ですよね。これはもう、私自身の事例、・・・経験したことでもあるんですけど。そういった、卑近な例でも同じことが言える、ということです。

 次の資料は、これは、初回面接のもので、熟練したワーカーのほうが、かえって、「自分は緊張している」ということを言っている、という例です。それから、6番目の資料は、記録ということで、これは、書くっていう作業においても、やっぱり、自分にとって都合が悪いことを隠蔽してしまって書かないんだけど、それはまずいっていうことを言っているので、さっきと同じです。相手と語るという場面でも、書くという場面でも同じ、ということを示しています。

 それから、4番目の資料になるんですけど、これは、いわゆる転移ですよね。結局、根本的には、転移の問題があるんですけど。簡単に、どういうふうに言っているか、ということだけを、最後に述べます。それで、3番目の資料をあけてください。この図式なんですけど、若い学生は、もうラカンどころか、あんまり本さえ読んでいないというのが多いんですよ。上から最初の図式、これは要するに、こういうことだと思います。つまり父親あるいは母親(最初期の養育者)からいろいろネガティブな、あるいは、その逆の、いろんな感情をゼロ歳からずっーと注ぎ込まれている、と。それで、たとえば、「おまえはいやなやつだな」、と父親とかに言われてたとしますよね。それはなかなか意識化できない、ということを内化してしまって、そういった父親あるいは母親に対する、例えば、反感、いやな感じ、というものが内化してしまったときに、無意識に、出会う相手が父親と似てる相手に、それを転移してしまう。いやだな、ということを、このL字型三角形を説明する場合に、最も単純なやりかたで、そういうふうに言ってみると、出会う他人、Aに対して抱く感情というのは、実は父親あるいは母親への感情を無意識的に転移していることがある、というふうに意外にわかってもらえます。そういう複雑な生育環境に育っている学生も多いので、意外にも、みんな深刻になっちゃいますね、すごく。例外もありますが、通常の授業ではそこまででやめます。これはここで終わりにしますけど、私はラカンの専門家じゃないんで、いろいろ大変なことになると思いますけど、最初の図から始まって、ラカンのこのL図式に展開できる、というふうに私は思うんですよね。というのは、要するに、父親あるいは母親から私に向かっての感情は実は私のエス・無意識に向かって注ぎ込まれているので、他者に、その都度出会う他者に対する感情というのは、そのエスを経由して他者に向けられている、という意味で、次の図に変換できるんですよ。そうすると、この図っていうのは、ラカンのL図式と、反転されれば実は同じものになるので、要するに、3次元空間でひねってやるとほぼ同じになるのではないか。ここは別に専門家として言っているわけではいので、厳密に言っているわけではありません。ただ、そういった、1番目の非常に単純なところまで指摘してあげると、そうか、と。非常にいやなタイプ、話しにくいタイプが誰でもいるんだけど、それは結局、自分自身の感情を自分で自覚してみると、よくわかってくることがあるんではないか、というぐらいのことを、教育的効果としてやっている。言い換えれば、日本人は自分のことを、あるいは相手のことを、とくに相手にとってネガティブなことを言いたがらなくて、今の学生も、全然、若い世代も昔と変わっていない、ということですね。それがわかるんですけど、それを、いろんな、実はそうじゃなくていいこと、・・・実は感情が交流できることがあって、その方が、人間関係がよくなるということを、あえて示唆するということは、十分可能であるわけです。
以上発表

以下関連リンク


 


参考

「あなたが(相手)何をした」という責め言葉を一人称の表現、つまり「私はあなたに~を望む」)に変え、自分にこの事柄がどのような意味があるのかということを表現する。
 一人称的表現、「私はあなたに~を望む」は、「私が望むのは、すなわち、私の欲望は~である」という「欲望の主体」としてのクライエントの発話=コミュニケーションである。言い換えれば、このクライエントの欲望は、「私の欲望は、他者の欲望である」とラカンがいう意味での、私にとっての「他者の欲望」なのである。<転移>は、その働きを認識した他者(必ずしも専門職者とは限らないが当然専門職者においてその認識が厳しく問われる)とのコミュニケーションを通じて初めて自覚できるようになる。この自覚によって初めて、私たちは感情の癖をより良い形でコントロールすることができるようになる。<転移>(及び<逆転移>)の「自己分析」は不可能であり、その都度個別化されたコミュニケーションシステムの相互作用においてのみ自己覚知が可能となる。言うまでもなく、専門職者による介入という実践の意義はこの自己分析の不可能性という点にある。この事実からも、常識的な通念に反して、本事例の分析においても、実践技法としての精神分析とシステム・アプローチの親和性を見て取ることが可能である。なお、精神分析によれば、すべての人間は構造的に「神経症」であり、その意味で、上記引用の「神経症者」はラカンの言う「人間=症状」という認識において捉えなければならない。                         

【参考文献】
『社会福祉実践の新潮流―エコロジカル・システム・アプローチ』 
平山尚他著 ミネルヴァ書房
『ソーシャル・ケースワーク論 社会福祉実践の基礎』 大塚達雄他編著 
ミネルヴァ書房 2000年
『ソーシャルワーク・アセスメント 利用者の理解と問題の把握』
J.ミルナー/P.オバーン著 ミネルヴァ書房 2001年
『社会福祉援助技術とは何か』一番ヶ瀬康子監修 藤淑子著 1999年
『社会福祉援助技術入門―私たちの暮らしと社会福祉』北川清一監修・編著
中央法規1999年
『エコロジカルソーシャルワーク』カレル・ジャーメイン他著 学苑社1992年
『課題中心ケースワーク』W.ライド/Lエプスタイン著 誠信書房 1979年
『家族と家族療法』サルバドール・ミニューチン著 誠信書房 1983年
『課題中心ソーシャルワーク』マーク・ドエル/ピーター・マーシュ著
中央法規2002年
『ソーシャルワーク倫理ハンドブック』日本ソーシャルワーク協会著
中央法規1999年
『ソーシャル・ケースワークー問題解決の過程』H.H.パールマン著
全国社会福祉協議会 1967年
『対人援助の技法―「曖昧さ」から「柔軟さ・自在さ」へ』 尾崎新著
誠信書房 1998年
『社会福祉士実践事例集』日本社会福祉士会編 2000年
『ジェネラリスト・ソーシャルワーク研究』佐藤豊道著 川島書店 2001年
『医療ソーシャルワーク実践マニュアル』佐々木康生編著 日本エデユケイションセンター1998年
『精神障害者のためのケースマネジメント』チャールズ.A.ラップ著
金剛出版1999年
『ケースワークの原則(新訳版)―援助関係を形成する技法―』
F.P.バイステック著 誠信書房1996年
『ケースワーク教室』仲村優一著 有斐閣 1985年
『リバーマン 実践的精神科リハビリテーション』R.P.リバーマン著 
創造出版1999年
『文脈病 ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ』斎藤環著 青土社2001年
『社会的ひきこもり』斎藤環著 PHP 1998年
『ライフサイクル その完結』E.H.エリクソン/J.M.エリクソン著
みすず書房2002年
『ミルトン・エリクソン子どもと家族を語る』ジェイ・ヘイリー編著 
金剛出版2001年
『家族療法』ジェイ・ヘイリー著 川島書店1985年
『分裂病論の現在』花村誠一・加藤敏編著 弘文堂1996年
『精神の生態学(改訂第二版)』グレゴリー・ベイトソン 新思索社 2000年
『「家族」という名の孤独』斉藤学著 講談社 2001年
『徴候・記憶・トラウマ』中井久夫著 みすず書房 2004年
「制度とサービスをつなぐ医療ソーシャルワーカー」平山尚 アエラ(No未詳) 朝日新聞社
「米国における社会福祉の現状とわが国の方向性」平山尚・石川和穂 「治療」Vol.84,No.9.
「新しいソーシャルワークの考え方―Evidence based practice(EBP)」平山尚
(講演草稿)
「児童虐待 福祉専門職の責任重大」平山尚 「視点 オピニオン21」
上毛新聞 2001.2.23
「ソーシャルワーカー 幸せづくりを手助け」同上2001.1.1
William J.Reid & Anne E.Fortune.The Task-Centered Model In A.Roberts
and G.Greene,Social Workers'Desk Reference,Oxford U.Press.2002,101-104.
Alex Gitterman.The Life Model In A.Roberts and G.Greene,Social
Workers'Desk Reference,Oxford U.Press.2002, 105-108.
Bruce A.Thyer.Principles of Evidence-Based Practice and Treatment
Development. In A.Roberts and G.Greene,Social Workers'Desk
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Aaron Rosen & Enola K.Procter.The Role of Replicable and Appropriate
Interventions,Outcomes,and Practice Guidelines. In A.Roberts and
G.Greene,Social Workers'Desk Reference,Oxford U.Press.2002, 743-747.
「危機介入の評価」伊藤弘人 『精神医学』Vol.46.No.6.2004.

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