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『劇場』の演技の話

おはようございます!
今週はAmazonプライムで見た映画『劇場』の演技にドギモを抜かれた件について書きます。

映画『劇場』・・・とにかくラストまで観て欲しいのです。

いや『火花』に続いてまたもや原作者の又吉さん本人ベースの主人公をスーパーイケメンが演じている理不尽に正直イラっときて、ボク自身途中でSTOPボタンを押しそうになったのですが(笑)

だって主人公がイケメンだったらいろいろ意味が変わっちゃうから!

この映画冒頭は、誰も手をさしのべないような「都会の異物」になってしまった男が街を徘徊してるシーンなんですよね。でもそれが「苦悩するイケメン」みたいな感じに見えてしまうと・・・それはもう色んな人が手をさしのべそうで(笑)

そしてそんな「誰も手をさしのべないような醜いモンスター永田」に、唯一人手をさしのべるから原作小説での沙希との出会いは「ヒロイン登場!」としてインパクトがあったのだけど・・・それが山﨑賢人だったらそりゃ誰でもお茶くらい飲むっしょ!みたいな(笑)。
沙希のヒロインとしての存在感も薄めてしまったと思います。いや~イケメンキャスティングは危険!危険!

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そしてそのヒロイン沙希を演じる松岡茉優さん。
沙希の感情の揺れ動きのひとつひとつを丁寧に目線の動きなどで観客に伝えてゆくテクニックが素晴らしいのですが・・・彼女の苦悩とかが最初から観客に開示されてしまっているせいで、沙希に謎が無くなっちゃってるんですよね。

原作小説の沙希は魅力的なブラックボックスとして登場して、永田を魅了して、で段々とその全貌が明らかになってゆくという流れで、その謎が徐々に明かされて沙希がどんどんリアルな女性となってゆくその過程こそが前半中盤の見どころだったわけで。
そのせっかくの謎が最初から明かされてしまっているので、観客も永田もいまいち沙希の変貌にドキドキできないのです。
うん、そうだと思ってた・・・ってなっちゃう。

キャラクター演技・・・人物を一貫性のある存在として描く演技法は、物語を退屈にするし、時にネタバレになってしまうんですよね。危険。危険。

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さて、すみません。ここまで「原作小説と違う!」とか原理主義みたいな文句ばかり書いてきましたがw。

この映画、終盤でドギモを抜かれました・・・
演技法が変わるんですよ!終盤で!

詳細はネタバレになるので避けますが、信じられないことが起きます。「セリフが文化祭の劇っぽい」と作中で永田が言いますが、まさにセリフ回しが劇っぽくギコチナクなったとたんに、彼らの言葉が観客の心にビンビンと響きはじめるんです。

そう、セリフが舞台風の抽象性を獲得して、観客のそれまでの人生とリンクし始めるんです・・・心を揺さぶられました!

あーそうか!小劇場演劇の芝居がクライマックスでわーっと抽象性を帯びてくるやつ、これこれ。これが観劇の喜びだったんだ。
劇場。・・・小劇場演劇を体験したことのある人間にとっては切実すぎるこの演出、そして演技・・・この体験を行定監督は見事に映画に持ち込んだんです。セリフを劇っぽくすることで。いや~見事。泣かされました。

なのでラストまでしっかり観て、体験してほしいのです。おすすめなのです。

小林でび <でびノート☆彡>

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