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私のものさし、親のものさし

✤こちらは2018年11月13日に書いたブログ記事(再編)のアーカイブです

私は今、自分を産み育ててくれた親と疎遠にしている。
これ以上会うことも、連絡を取り合うこともしたくない、と伝えたうえでのことである。いわゆる「絶縁」というもの。

成人するまでは、
趣味趣向、交友関係、勉強、成績、進学:母
勉強、成績:父
といった分担で、過剰に管理や制限された生活を送っていた

たとえば、アニメや漫画は絶対にNG
友人に借りたりお小遣いでこっそり買った漫画本は容赦なく没収された。確実に触れさせないために、家に入る時には毎日荷物チェックが行われた。

幼い頃から、成績が悪いことは許されなかった
でも私はどうしても勉強することに興味が持てず、努力も出来なかった。
幼少期に、テストで20点を取ったことがあった。
案の定怒られ、我が家定番の罰である「夕飯抜きの刑」となった。それだけでは収まらず、間違いだらけの答案用紙と鉛筆を手に、玄関の外に出された。
解き終え全問正解できるまで、家に入れてもらえなかった。
その時のことは今でもおぼろげに覚えている。

空腹の辛さ以上に、訳のわからないテストを解こうとする虚しさ以上に、覚えていること。それは、外の階段に腰掛けた横を、他の階に住むサラリーマンが通って行く恥ずかしさや、薄手のスカート越しに感じるコンクリートの冷たさや、外の寒さや暗さだった。

何歳からかは定かではないけれど、少なくとも小学生半ばには父から体罰も受けていた
はたくレベルではなく、40代の男性にグーで殴られたり、その痛みでうずくまると足で何度も蹴られたりした。
その頃の記憶も、ひどいとかやめてほしいといった感情より、あ この殴られ方、蹴られ方、痛いんだよなぁ…とか、次の1発で終わるかなぁ…とか、第2の自分が考えていたことのほうが残っている。


このような、小説やテレビドラマのエピソードになりそうなキャッチーな例は、山ほどある。

我が家の母には友人が一人しかおらず、交流のある親戚も限られ、親戚や父の悪口を頻繁に口にした。
父にも友人はおらず、仕事も激務で、あまり家にはいなかった。

彼らに友人がいなかったり、
漫画やアニメが子供にとって悪だと信じたり、
成績が悪い子供には罰を与えて良いと考えたりするのは、
彼らのものさしによるもの。

だから私は、いまだに親を恨む気持ちはない。長文で威圧的なメールや、しつこいストーカー行為などには、純粋な恐怖心しか抱かない。あと、コントロールできないくらい、体調が悪くなる。
でも憎んではいない。

ものさしが違うだけだからだ。


親のものさしは、社会のものさしとは違うことがある。私が親と絶縁していることは、社会のものさしで測れば「親不孝者」とされてしまうかもしれないけれど、それもわたしと社会のものさしが違うだけ。

この記事にある通り、
人のものさしは時間と共に変化すると思う。

親の寿命が尽きるまでの間、または私の寿命が尽きるまでの間、もしかしたらどこかでものさしが変わるかもしれない。お互いに。

今はそう思って、絶縁している。

変わらなくていい。変わってもいい。

✤・✤・✤

この記事は、twitterでアンケートを取ってみたところ「経験談も聞いてみたい」というご意見があったため、それを受けて書いたものです。

ちょうどその頃以下の記事を偶然読んで、自分の親に対する思いや僅かに抱く期待とリンクしたため、「ものさし」というテーマで書いてみました。

中馬さりのさん、印象的なnoteをありがとうございました。

Photo by Molly Belle on Unsplash

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