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可愛いだけじゃ生きていけない。賢くないと苦労するよ

「可愛いだけじゃ生きていけない。賢くないと苦労するよ」

女手ひとつで私たち兄弟を育てた母の口癖。


この言葉をくりかえし聞かされたおかげで、大都会東京で出現しがちなヤバいおじさんの

「可愛いね、愛人にならない? 仕事あげるよ」

なんて誘いにのることもなく20代後半まで到達できた。


同時に、大好きな彼氏から専業主婦になってほしいと甘くささやかれても

「不安すぎるわ! 私も稼ぐ力を身につけます」

と、つっぱねてしまう損な性格にもなった。


この言葉は私にとって呪いであり、お守りでもあるから。


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母は美人だ。

私より背の低い華奢さに、透きとおるような色白の肌。美容師さんに「おまかせ」していたらしい栗色の柔らかいセミロングヘア。

九州男児の父の一歩うしろを歩くおしとやかな性格もふくめて、私の母は美人だった。


父は酔っぱらうたびに母との馴れ初めを話してくれた。

田舎から上京して右も左も分からない父が、東京駅の地下で途方にくれていた時。目的地まで親切に案内してくれたのが母だったらしい。

一目惚れした父は、OLをしていた母の仕事帰りをねらって待ち伏せ。家まで送るデートをくりかえしたという。

今どき月9でやったら批判が殺到するレベルの典型的ラブロマンス。ストーカー予備軍。

そんな昔話に逐一「先週も聞いたよ」と言い返しつつ、普段は無口な父が楽しそうに語る姿が子供ながらに好きで。

晩酌と言って父がビールをとりだす金曜日は、ワクワクと食卓に向かった。


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「いろいろ考えたんだけど……、離婚したいと思うの。どうかな?」

唐突にきりだされたのは高校受験の目前。


なんとなく予想はしていた。

父の会社がうまくいっていないのは明らか。

減っていく従業員。昼も夜も現場にでる父。

母が夜な夜な預金通帳とにらめっこしているのにも、気付かないフリをしていただけ。


父と母の関係は悪かったわけではないだろう。

でも「好き」だけじゃどうしようもないことも現実にはある。

だからこそ「絶対に嫌だ」と泣きだせる弟を羨ましく思いながら「したいならすれば。子どもを言い訳に我慢されるよりマシ」とぶっきらぼうにこたえた。

その日が、家族4人で夕飯を食べる最後の日になった。


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中学教育は義務だけれど、公立であっても3年間通えば150万円ほどの費用がかかる。高校は公立なら100万円、私立なら300万円。

ここに、生きるために必要な費用を加算しよう。人間は何もしなくてもお腹がすくし、汚れるし、電気を求める。

当時はすでに女性の社会進出が叫ばれていたけれど、職歴にブランクのある「専業主婦卒」の女性に世間はそこまで甘くない。

そもそも厚生労働省の平成28年賃金構造基本統計調査によると、30代前半女性の平均年収は正規雇用なら255万5,000円。非正規雇用なら196万6,000円だ。2人の子供を養うほど稼ぐのは簡単じゃない。


うちも例外ではなかった。

あっという間に叔父が運営していた介護福祉施設で働き始めたところからして、賢い母は準備をしていたのだろう。

それでも体力という有限なものをフル活用した、先の見えない生活だった。

朝、私たち兄弟の目が覚める前に仕事にいく。

夜、晩御飯をつくり弟を寝かしつける。

その後は夜勤にでかけるか、もしくは分厚い参考書を開き勉強をしていた。

あとから知ったことなのだけれど、人手不足に悩む介護業界の国家資格保有者なら、女性であっても年収400万~500万円ほどもらえるらしい。

母は仕事をしながらその知識をつけようとしていた。


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「可愛いだけじゃ生きていけない。賢くないと苦労するよ」

この言葉は当時からの口癖。

自分を反面教師にしたその言葉に、どんな返事をするべきなのか、10代の私にはわからなかった。

そのうち、母は髪を下ろさなくなった。

キツく後ろでひとつに結んだたあの髪型が、仕事をするときに最も合理的だったのだろう。

気がついたときには、柔らかい栗色だった髪は白髪まじりの黒髪になっていた。


私は実家から逃げだした。

変わっていく母の姿を見守り続けるのがしんどくて。

「家事もそこそこできるし大学もバイト代でどうにかする。私にかかるお金はもう考えなくていいから」

そういって一人暮らしをはじめた家賃3万円の激安アパートは、ドアを閉めても外にいるのと変わらないくらい寒かった。


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きっかけは前からコソコソと続けていた副業を本業にするべく、OLを辞めたこと。

田舎の情報網はあなどれない。どこで耳にしたのか、母から「たまには顔をみせなさい」と連絡がきた。


ひさしぶりに会った母は痩せて、シワも増えていた。髪は相変わらず後ろでひとつに結んだままで、心なしか白髪が増えた気がする。

叔父の運営する介護福祉施設ではかなりのキャリアをつんでいる様子で。今年入社した新卒の子ががんばっているとか、社員旅行が楽しかったとか、いろんな話が重なっていく。

ふと離婚した直後の話題をふると「あの時は本当にどうしようかと思った! でも子どもは大切でしょう。がんばりたかったのよ」と笑っていた。

なんて言葉を返したらいいかなんて、もう思わなかった。

強い。かっこいいし、綺麗。いくらでも言葉が続く。


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生きていると、いろんなところで社会の物差しに測られる。

「仕事を辞めた」なら、ろくでなし。
「結婚していない」なら、余りもの。
「離婚をした」なら、性格に難あり。

こういう社会の物差しは、発言力の強さで決まるのかなと思う。

メジャーな意見が注目されて、なんとなくの社会の物差しができあがる。


けれど、ひとりひとりの感想は時間の流れで変化する。

父の一歩うしろをニコニコと歩く母はたしかに綺麗で、整えられた栗色のセミロングヘアはセンスがよかった。

幼い私や大好きな父、美容師さん、弟、もしかしたら母本人でさえ思っていたかもしれない。

ただ、今の私にはキツく後ろでむすばれた白髪まじりの母が最高に美しくみえた。

しんどい現状を代弁するその姿を見ていられなくて実家をとびだしたはずなのに。

時間がたった今、「どうしようかと思った」と笑う母が綺麗に見えて仕方がなかった。


だから、大丈夫だ。

おなじ対象への感想でさえ、時間がたてばこれほどまでに変化する。

ひとりひとりの想いが変わるたびに、社会の物差しもジワジワと変化するだろう。

仮にあなたが社会の物差しとあわず辛い日々を過ごしていたとしても、いつか全部、過去のものになる。

最悪な出来事があっても、笑いとばす未来を選べる。

だから「大切だ」と思うものを信じて、もう少し強く賢く生きていい。

軽やかに笑う母をみて、私はそう思った。


文:中馬さりの
画像:旅と暮らしのおしゃれな無料写真サイト Odds and Ends

この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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