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静岡県民シビックプライド

「たいしたもの無いよ。散策して、トイレだけ寄ろう。」
夏休み中のある自然公園内で聞こえて来た言葉だ。「ここにあるのは自然だけ、しょぼいとこだからさ。」と笑い声が続く。
ここは確かに「あるのは自然だけ」だ。富士山の麓であり標高約1500m。夏でも20度台の気温である。起点にして富士登山を始めると砂礫の広がる富士の大地に1時間ほどで出会えるので、登山者には人気の公園だ。

いつもは拾いもしない他人の言葉が、その時はひっかかかった。

言葉の主は地元に住む人間で、休暇で遊びに来た親類をドライブがてら案内してるようだった。遊びに来た人間にガイドをするのになぜそこまで「自分の住んでいる土地」を卑下するのだろう。
耳をすませてみると「卑下していた」彼だけが特別ではないようで、「意外となんにもないね。」「道の駅しょぼい。」なんて声も聞こえて来た。
当日は「富士山」の眺望を期待してた為、曇っていると見えず。なのが追い打ちをかけてガッカリなようだ。

観光客なら「目当てが叶わない」=がっかり。

でも、地元の人なら?よその人をガイドしたいのは「おすすめの場所」だろう。謙遜や控えめの姿勢が美徳だとしても、「たいしたものないよ。」の言い切りには過剰な卑下を感じた。

この件をきっかけに改めてシビックプライドとは何か。どうしたら育つのか。
只今考え中だ。(次回noteにてUP)

「なんでもあるよ。自分の土地にプライドを持とうよ。」

まぁ、冒頭の公園へは自分は自然が好きで8月は毎週訪れているので、肩入れしすぎかもしれないが。※静岡県東部ならおなじみ「水が塚公園」です。※

ここはハイカー・登山者・野鳥愛好家には好まれている場所である。
(初めて会った愛好家から野鳥の話しをたくさん聴いた事も有る。)

自分が「価値」を感じるのは沼津・三島といった市街地からたった車で40-50分ほどで、「富士山の麓」を感じる自然公園にいけること。無料のトイレ(しかも水洗!)があり、自販機もあり、ちょっとしたカフェがあるなんて最高じゃないか。(冷暖房完備だし)と。いうことも。
ここでは天気予報にも出ない「雷」や「雨」に出会う事もしばしばで、「山らしい天候の変化」にワクワクするほどだ。
もちろん「なにを求めるか。」は人によって違う。
でも「つまらない。」「なんだアレがないの?」でシャットダウンしてしまうとそこでおしまいになる。ちょっとひろげて考えてみると「魅力」「価値」はたくさんあるのだ。
「アレ?思ったのと違う。」は「自分が何を期待していたか。」が測れるチャンスだ。そんなとき感じた気持ちの「理由」を考えてみる習慣を付けている。

「なんにもない場所なんて無くて、ここにしかない。がきっとある。」

自分はロードサイドの道の駅も好きだが、登山・ハイキングが好きなので「自然に親しみ」「自然散策の拠点になる」駅も万々歳である。全国にすでにある道の駅。こんな駅がもっとあっても良い。

「その土地でしかできない体験」は貴重である。そして「自然体験」であってもアクセスよく短時間で体験できる場所が実は日本にはたくさんあると思う。

千葉県育ちの静岡県ビギナーとしては特に思うのだ。

「静岡には魅力がたくさんあるぞ。」と。

変わって東京都の例である。高尾山。新宿駅から京王線で40分ほどで楽しめる「自然」。
(まさに、アクセスの良さxそこでしかできない体験。)高尾山はミシュラン獲得済みだが、「獲得できそうなのにナシ」の「埋もれた魅力」を持つサイトはきっと全国にもまだまだある。

静岡県の片隅から。
「近距離ツーリズム」と「シビックプライド」を育てたい。
なにげなく体験している、「実はここでしかできない体験」に敏感になりたい。そのためには思考と気持ちへの向き合いも習慣化できたらいいかな。とも。

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夏休み明け、販促情報からは離れたnoteでした。今週もDesignroomOneは営業中です。


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