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子どもたちと、クリエイティブ・リーダーシップと「デザインのとびら」 1/3

こんにちは!
子どもたちに向けた、デザイン思考を活用したワークショップ「デザインのとびら」事務局です。

最近いろいろな教育関連のイベントに参加したり、いろいろな方にお会いして話を聞く中で、「リーダーシップ」という言葉を良く耳にします。
今回は、ただのリーダーシップじゃない、「クリエイティブ」リーダーシップの話です。

RCA(Royal College of Art)という、今では卒業生のApple社への排出数ナンバーワンにもなっているロンドンの大学で「クリエイティブ・リーダーシップ」についてのコースが昨年できたのですが、そこでの話もからめてお話ししたいともいます。

クリエイティブ・リーダーシップの話に
一気に飛びたい方はこちら


その前に、やっぱりリーダーシップ

「リーダーシップ」ってビジネスの世界でも、昔からずーっと言われている言葉だし、最近あちこちのメディアに引っ張りだこの山口周さんも書籍『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』(光文社新書)で、リーダーシップについて言及してたり、常にすごくホットなテーマである印象です。
いつの時代も大事なことだって認識がありながら、なかなか獲得できないものなんでしょうね。

子どもたちにとってのリーダーシップだって結局同じ文脈で、大事!って話になっています。
人として大事なことは、子どもだろうが大人だろうが大差なくって、企業と学校が抱えている問題って実は一緒なんだなあ、とつくづく思います。


「リーダー」と「サブ・リーダー」

先日、坂戸市立入西小学校と言う、ステキな学校を訪問させていただく機会がありました。
いろいろなご縁で、山下先生と言う、ものすごく熱くこれからの教育について熱心に考え、周りを巻き込みながらグイグイと実行に移している先生にお話をお伺いすることが出来たのでした。
その節は大変お世話になりました!

先生に校内を案内していただいていると、小学校5年生の玄関に、「私たちは『サブ・リーダー』としてこうあるべき」という内容の掲示がされているのに出くわしました。

「サブ・リーダー」とはというと、学校の中では6年生をリーダーとし、5年生をサブ・リーダーと位置づけているとのことです。

そもそも小学校で「リーダー」とか、まして「サブ・リーダー」としての心得なんて書かれているのが、私にとってはまずものすごく驚き。しかも先生が勝手に決めたのものではなく、児童の想いを吸い上げて内容をまとめているというのです。

私なんかが小学生の頃は、「学年」としてまとまった「コミュニティ」というか、「仲間」ってイメージは全く持てていなかったし、まして上下の関係性なんて全然意識したことなんてなかったから、もう、そんな発想が持てることがそもそもスゴイ、と驚嘆でした。

もちろん、もしかしたらそういう年功序列の役割決めとかはどーなんだ、とかいろいろ言う人もいるかもですが、そういうネガティブな意見があったとしても、学校生活全体として子供たち自身が自分達の役割っていうものを意識していて、「学校教育そのものが、子ども達にとって『主体的』なものになっている」感じが伝わってきました。
なんてステキな学校なんだろう!


リーダーシップとフォロワーシップ

山口周さんの書籍の話をしましたが、あそこに書かれているリーダーシップ論に私は結構共感していました。リーダーシップは組織階層としてのリーダーだけが持つものではなくって、当事者みなが持つべきもの、という話です。

ちょうど「サブ・リーダー」の掲示をみた時に、このリーダーシップの話がふと頭にに浮かびました。考えてみると、その掲示についての検討の中ではきっと個々が「リーダーシップ」を発揮して、自分達はどんな「サブ・リーダー」になりたいか、ということを示したし、ソコには「サブ」という名前から感じられる「フォロワー」的要素はいっさい感じられませんでした。

最近では、「フォロワーシップ」という言葉もたまに耳にするようになってきていますね。
「フォロワー」としての心得というものなんだけど、これってよくよく考えていくと、「リーダーシップじゃん」って個人的には思ってしまいます。

周りとの協調性や、今自分がすべき役割を判断し、主体的に動き、発言できるかってことなんだろうけど、もはやそれはリーダーシップと大差ないと思います。なぜならリーダーシップって常に先頭を肩で切っていくことだけじゃないから。

そういう意味で、私は個人的にはフォロワーシップって言葉を使うのを避けています。リーダーシップ一本でいいじゃん、って思ってしまうからです。

みんながリーダーシップを示す世界?

ところがここ最近、一方で子供達と直に触れ合う機会が増えてきていて、そんな実体験を通して感じられるのは、そうは言っても人間十人十色で、みんながみんなリーダーシップを発揮するって果たしてあるんだろうか?ということです。

大人しい子、自分の内側に引きこもりがちな子、自己表現が苦手な子、人と同じことをするのが気持ちよくない子。みんなそれぞれ。

そういうレベルでみた時に、やっぱり「『フォロワー』としての『フォロワーシップ』」が必要な場合もあるのかなっていう気もしてきます。

もっと言えば、フォロワーシップすらも無しで、なんかそんなんじゃない、自分は自分って閉じこもっちゃう、とか、あんまり人に興味ないからほっといてー、もアリなはずって思えるようになってきました。

みたいな次元になってくると、もはや結局は多様性みたいなところに帰着してきたり。

一方で「多様性」という言葉にしてしまうと、これまで考えていた文脈が一切消えてしまうようで、ちょっとそこに落としちゃいたくないなって気もします。なぜなら「多様性」という言葉からは、これまで話した文脈を導き出すのは難しいからです。(抽象的な言葉に安易にまとめちゃうのは、そういう部分が怖いですね…)

社会としてその辺の多様性が自然に許容される必要があるのは分かりますが、企業のようなある特定の目的を持った組織活動を考えた場合、リーダーシップやフォロワーシップをみんなが持てると組織が機能しやすいのは間違いないと思います。

義務教育を抜けて自分で行き先を選択し始めると、周りには割と似たような階層で、似たような考え方の人たちばかりに囲まれるようになってくるから、「人っていろいろ」っていう当たり前のこと自体を忘れてしまっていた気がしました。

次回は「クリエイティブ・リーダーシップ」!
クリエイティブ・リーダーシップを構成する3つの要素を一つづつ読み解いていきます!

Text by 儘田大地  Edit by 東郷りん
デザインのとびら

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