シズ

千葉県佐倉市在住。大動脈解離から命からがら生還して6年余の64歳。自覚の足りない初老。…

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千葉県佐倉市在住。大動脈解離から命からがら生還して6年余の64歳。自覚の足りない初老。日々雑感、ボケ防止の書き散らかしです。

最近の記事

葉桜の季節に歯を抜くということ。

毎月「お掃除」をしてもらっている歯医者で虫歯が見つかった。もう久しく聞いていなかったので何だか懐かしくその言葉を聞いた。ごく初期の虫歯で2~3回通って簡単な治療をして終わった。そのとき対角線上にある右上の奥歯がもう限界であることが発覚。よく歯茎が腫れるところだったので懸念はしていたのだ。先生曰く「抜いてしまえばおそらく炎症を起こすこともなくなると思う」とのこと。さらにその奥にオヤシラズが隠れていて「抜くことで数年後にはニョッキとでてくくるかもしれません」「タケノコのように?」

    • 桜前線を市内で北上。

      満を持してというか今週各地で届いた桜の便りは、あっという間に東北まで届いたらしい。昔々ゴールデンウィークに角館で桜を観た記憶があるが、ちょっと早すぎないか。桜前線までタイパじゃあるまいに。 というわけで負けじと一日で桜前線を追いかけるつもりで雨上がりの日本晴れに車を出す。主要3カ所はすべて日常の生活圏内、えっ? はじめは印旛沼に注ぐ鹿島川の支流・高崎川の桜から。川沿いに遊歩道が整備され、近隣の人が桜を愛でながら行き来する。シートを広げて花見などをする人もいないのがいい。

      • 放課後の落ち着く空間。

        体育館に入り、バスケットボールやバレーボール部が青春の汗を流しているその脇を、決してお邪魔はしないからとそろそろと通り抜ける。頭の上のバルコニーでは決まって数人の女生徒がそれぞれの「推し」を熱いまなざしで応援しているのだ。バスケットボールやバレーボールは、練習を間近に見られるのでファンがつきやすい。 ステージに向って左手、即ち下手の扉をギギーとあけ、用具置き場でもあるスペースに設置された階段を3階まで上がると完全防音の部屋がある。8~10畳分くらいだったろうか、さして広くも

        • 国立歴史民俗博物館・企画展示「色尽くし」

          歴博でゴールデンウィークまで開催している企画展示の「色尽くし」。色と人間とのかかわりについて様々な角度から考えてみよう、というもの。「いろ・つや・かたちのアンソロジィ」とサブタイトルにある。 見出しの写真は京都・醍醐寺五重塔初層の彩色復元模型(実物大)の天井部。会場の入口に設置されていたものを下から仰ぐ。建築当時の絢爛豪華な彩色が復原されている。中に入ると彩色のもとになった下絵(文様復原原稿)と色絵具見本というのがある。原稿をつぶさに見ていると「コノワルノ始末は如何致シマセ

        葉桜の季節に歯を抜くということ。

          すいすいとモーツアルトにみづすまし

          この句を知ったとき、何がなんだかわからないが「やられた」と言わずにいられなかった。知る人ぞ知る俳人・江夏豊の手になる句と知って2度びっくり、そして納得。繊細にして大胆、ふてぶてしくもひょうひょうと打者を打ち取っていく彼の姿が不思議と重なっていく。さびしがりやで生意気で(キャンディーズか)憎らしいほど涙もろい。ミズスマシにもしんみりと語りかけられる人が江夏だと勝手に思っている。 スポーツは「詩」にあふれている。アスリートが極限の力を出したその一瞬、もしくは図らずもあけてしまっ

          すいすいとモーツアルトにみづすまし

          千葉市都市緑化植物園で空を見る。

          雨天強風寒の戻りもしっかりあった今年の3月。久しぶりに手順を踏んで春がやってきた感じ。桜まつりを思いっきり前倒しした自治体の方々はさぞ大変だったことと思うものの、こればかりは致し方がない。 こんな天気は何日ぶりという穏やかに晴れた日に訪れたのは千葉市都市緑化植物園というところ。都市緑化に関する知識の啓発や普及を図る拠点として展示会や講習会、イベントを行うとともに山野草や樹木など多くの植物を植栽して無料で開放している。コンビニでおにぎりを買っていく。外で食べるものは1.5倍美

          千葉市都市緑化植物園で空を見る。

          佐倉市立美術館・収蔵作品展「さくらと花と」

          今年の3月は妻と二人で体調を崩してしまい春を探しにぶらりとどこかへという事もなかった。啓蟄もとうに過ぎたのでそろそろ穴倉から這い出さなければならない。 佐倉市美術館で今「さくらと花と」と題した収蔵作品展をやっている。この時期佐倉市は京成電鉄も巻き込んでさくらさくらの花盛り。美術館も例外ではなく収蔵作品の中から春や花にまつわる作品を毎年展示している。 「桜華雲-神楽に依る」という絵は、佐倉の学校で美術を教える一方で洋画家として活躍した佐藤事という人の1978年の作品。事は「

          佐倉市立美術館・収蔵作品展「さくらと花と」

          本棚の中身・「普通の人生」を疑う

          石原ナニガシさんや小池ダレソレさんの人生にさして興味はないが、信号待ちで隣になった見知らぬ誰かのニッチな「生活と意見」に突然興味がわくことがある。もちろん良識ある普通の市民である私は「あなたの恥ずかしいクセは何ですか」なんていきなり聞くような真似はしない。 さて普通の市民って何だろう。「普通はさ-」とついつい口にしてしまうのだが、それが一番怪しいことはわかっているのだ。わたしの普通はあなたの普通ではないし、あなたの普通もわたしの普通ではない。一見さして違わない暮らしが集まっ

          本棚の中身・「普通の人生」を疑う

          「かかりつけ医」が変わった。

          「かかりつけ医」の定義は厚生労働省よると「健康に関することをなんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介してくれる、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」とある。何でもかんでも大きな病院に行かないで日常の基本的な健康管理は町のお医者さんにかかってね、ということ。大動脈解離をしたようなこのオヤジの場合、術後しばらく大学病院に通院していたが、安定期に入ったところで紹介状を書くのでリストから希望の「かかりつけ医

          「かかりつけ医」が変わった。

          はじめての、シネマ。

          雪の中、三々五々と集まってくる犬たち・・・。というシーン、これが記憶というガラクタ置き場の中から発掘された最も古い鑑賞のカケラなのだ。よってこの映画をはじめて観た映画と暫定的に決めている。 映画は「わんわん忠臣蔵」という長編アニメーション。公開は1963年、まだ4歳の時でおそらく翌年テレビ放送されたというそちらの方を見たのだと思う。原案は手塚治虫だが、出来上がった作品はそれとはかけ離れた内容になっているらしいが、そういう大人の事情は年端もいかない子どもには関係ない。母親の命

          はじめての、シネマ。

          「ビックリハウス」終刊号

          日航機が御巣鷹山に墜落し、プラザ合意で狂乱の時代への助走が始まった1985年。阪神タイガースの日本一で沸く頃に雑誌「ビックリハウス」が10年余の歴史を閉じた。南伸坊が「面白くっても大丈夫」といっていた80年代前半の気分をまるまる詰め込んだ投稿ベースのパロディ雑誌。終刊号だけは後生大事に取ってある。設立したのは榎本了壱、萩原朔美という元「天井桟敷」のヒトビト。「読者の上に読者を作らず、読者の下に編集者を作る」と表明して始まった。「読み専」ではあったものの、今でもアタマの中で言葉

          「ビックリハウス」終刊号

          これから「東北モノローグ」を読む。

          今日から3月。草木が生い茂って「弥生」らしいが、新暦では4月あたりに該当するので春は名のみの風の寒さは当然なのだ。とはいえ城址公園の梅園はもう満開。青空にその容姿を誇っている(写真は2月28日)。 2月は夫婦揃って体調を崩してしまった。体調が悪いと本を読む気力も減退する。月も改まり、買ってあった「東北モノローグ」(いとうせいこう著)そろそろと読み始める。2021年から2023年、宮城・福島・岩手・山形そして東京で聞き取りをした「ひとりひとりの」声を採録したもの。あれから13

          これから「東北モノローグ」を読む。

          ロードサイド・ブックストア・ブルース

          2月のはじめに妻が風邪をひいた。もらった覚えはないがそのあと自分が熱で3日ほど死んだ。そうこうしているうちにバレンタインデーに妻が今度はあの流行り病に罹ってしまった。基礎疾患もあるので心配したが、幸い入院にはならなかった。しかし数日間はかなり苦しんだ。落ち着いてきた今もまだ体調があまり思わしくない。まあ気長に回復を待つしかない。オットはチョコレートをいただいただげで今のところ無事である。 ということで2月はほとんど病院と買い物くらいでこの田舎町をうろちょろしている。散歩のほ

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          本棚の中身・死ぬまでなんぼ

          とうとう今年で満65歳になってしまうのだが、あとどれ位こうして無駄口をたたいていられるのだろう。この前「70歳になったらああしろこうしろ」とかウルサいと言ったが、決して考えないわけではないのだ。ただ答えは自分でしか導き出せないのだから、ヒントがあればそれでいい。8年前にあわやこの世とオサラバかという経験をしてからは、生きているだけでもうけものという思いが一層強くなったので、そんな「誰に向かって言ってんだ」的なご高説は謹んでそっぽを向かせていただきたいだけなのであります。 わ

          本棚の中身・死ぬまでなんぼ

          本棚の中身・若気上等

          近頃、本屋に行くと「老い」とか「死」とかいうワードがやたらと目立つ。そういう言葉に目が行く年齢になったこともあるが、要は出版不況の中で商売になりそうなのがそのあたりなのだろう。70歳になったらああしろだとか、いやいやするなだとか喧しい。その手にはのらないと思いながら希にその気にさせられそうなタイトルがあるから困る。 だいたい分別くさい人生論を並べたがる大人に限って、当の本人は若気を至らせたこともない(なんて日本語だ)。若気はその恥ずかしさも含めてかけがえのないものだ。そんな

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          やがて哀しき日本三景。

          「生まれたところって行ったことないな」と言うと母親から「じゃあ今度の春休み、恒例の一人旅はそこにすれば」という提案があった。中学3年にあがろうとする時で今回は関東を出たい気持ちも少なからずあったので「ああ」と応えると、当時暮らしていた二軒長屋のお隣さんが同じところに家を建ててまだ住んでいる、千葉に出てきてからも連絡を取り合っていて話せば快く泊まらせてくれるはずという。Sさんというそのお宅には二つ三つ上の男の子がいて、よく面倒を見てくれたのだというのは聞いていた。 トントン拍

          やがて哀しき日本三景。