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2009年5月の多摩蘭坂とゼミの先生。

たくさんのメッセージや花束、のど飴などが手向けられた国立市の多摩蘭坂。この写真を送ってくれたのは隣の国分寺市に住んでいた大学時代のゼミの先生。ニュースを聞いて散歩がてら撮ってきたからと、突然送ってきてくださった。ちょっとピンボケな気配もあるが、何だか無性にありがたく今も小さなフォトスタンドに入れて飾ってある。在学中、特にキヨシローのファンであるような事を表明したことはないと思うのだが、数多いる卒業生の中で一体何人に送ったのだろう。拓郎だサザンだと言っているその口の端にRCな匂いを嗅ぎ取っていたんだろうか。

「♪悲しい気分なんかぶっとばしちまいなよ♪ってきっと歌ってますよね。永遠に私の中では現役バンドマンです」というメッセージが読める。「ゴキゲンな歌をありがとうございます」というものも。うーんあとは読めない。住民が49日まではと市役所にかけあい管理を買って出てくれたというのは有名な話。「ファンの真摯な姿に胸を打たれて」と取材には答えられていたが、中には不届きな輩もいなくはなかっただろう。本当にありがたい。

ゼミの先生は専門が社会学(主軸は社会心理学)。お世話になった1980年代前半はまだ30代後半で、新進気鋭の(という感じはなく、どこかつかみ所のない不思議な「ゆるさ」を持っていた←失礼だぞ)若手だった。在学中に長野県の佐久にある実家に大挙してお邪魔をし、離れを借り切って狼藉の限りをつくしたこともある。西武ライオンズのコアなファンで、90年代死闘を繰り広げたヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、待ち合わせて両サイドから熱い火花を散らし合ったりもした。

今は70代後半で、体調を崩され入退院を繰り返しているとの事で電話口にも出ることがなくなった。この時期になると毎年千葉県の名産である枇杷を贈らせていただいているのだが、先日もご家族から「また贈ってくれたんだね」と喜んでいたという葉書をいただいて、楽しみにしてくれているんだなと少し嬉しかった。低迷ライオンズに浮上のきっかけでもあれば少しは体調もよくなるだろうに、今もなおその気配はまだない。枇杷でそのストレスが少しでも解消できるなら幸いだ(ツバメこそ大丈夫か)。

とにもかくにもあれから15年。東日本大震災も、ロシアのウクライナ侵攻も、コロナ騒動も見ることなくキヨシローは逝ってしまった。歌いたい事は山ほどあるはずなのだが、彼は知らぬ顔をして八王子で眠ったままだ。ずるいんじゃないか。「ひとはたウサギ」にギターを弾かせている場合じゃない、自転車を走らせていますぐ日比谷の野音まで来るように。ついでに中日ドラゴンズに「喝」を入れるのも忘れずに。

なぜ悲しいニュースばかりTVはいい続ける
なぜ悲しい嘘ばかり俺には聞える
(中略)
世界のど真ん中でティンパニーを鳴らして
その前を殺人者がパレードしている
狂気の顔で空は歌って踊ってる
でも悲しい嘘ばかり俺には聞える
(中略)
Oh くたばっちまう前に旅に出よう
Oh もしかしたら君にも会えるね
JUMP 夜が落ちてくるその前に
JUMP もう一度高くJUMPするよ

「JUMP」


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