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佐倉市立美術館「エドワード・ゴーリーを巡る旅」

終始不穏な空気を漂わせる「エドワード・ゴーリーを巡る旅」に乗船。果たして無事戻ることができるか、観る者の想像力が試される展覧会。なんてことはなくてその不思議な世界観を妄想たくましく楽しめばいい。その「ひねくれ方」から大人向けの絵本作家と思われているゴーリーだが「うろんな客」という作品について、彼はこう言っている。「私の考えでは子ども向けの本なんですよ。出版社を説得しようとして”なぜ児童書にしないんですか”とよく言ったものです。彼らは危ない橋は渡りたくなかった」ゴーリーは常に子どもに向けてメッセージを発信していたのだが、悲しいことに多くの大人の情操教育とやらはこれを受け付ける器を持っていない。「子どもに読ませたい本」の類いを疑いもなく受け入れる親の何と多いことか。1960年代、ゴーリーはすでに絵本作家として活躍していたが、子どもの頃に彼の絵に親しんだ覚えはない。読書や絵本に関して両親は、その入口に導きこそすれ扉の中の迷路は自分で歩いてねという人だったのだが、日本で広く知られてはいなかったようだ(今でもあまり変わらない)。

幼少期のゴーリーはディズニーのような「かわいらしい」タッチの絵を描いていたが、10歳を過ぎるころからイギリス文学などを読みあさりはじめ、画風も変わっていったということを購入の図録で知って「さもありなん」と一人納得。雑誌「BRUTUS」にも「危険な読書」という特集があるけれど、そもそも危険な本があるのではなく読書は常に危険をはらんでいるのだ。DangerousでDeliciousな。

会場内は撮影禁止。エントランスにあった「不幸な子供」からの一枚。ゴーリーの子供は決して「めでたしめでたしよかったでちゅねー」にはならない。
ミュージカルのデザインを任されたことから生まれた「ドラキュラシアター」の表紙。
記念撮影用?のコーナー。しかしこの少女とどういう顔をして撮ればいい。
「蒼い時」から。犬かはたまた・・・二匹の動物が「パセリのサンドイッチが食べたいな」「僕の知る限り今はその季節じゃないね」とか村上春樹の小説のような会話(訳は柴田元幸)を交わす。「やれやれ、とうとうオールが空を飛びはじめたよ」(とは言っていない、と思う)。
「狂瀾怒濤:あるいは、ブラックドール騒動」から。奇妙な生きものに読者は翻弄される。
「シャンブリーズ」から。イギリスの詩人エドワード・リアの作品にゴーリーが絵を付けた。シャンブリーズと呼ばれる性別も人種も不明な10人が船で旅を続ける。
シャンブリーズたちが上陸したあと海岸に残された船。彼らはその後どうなったのだろう。

展示作品の一つ一つが小さいので、じっくり観て行くにはなかなかの労力を要する。すべてにどんな暗喩が隠されているのか、考え出すと作品の前で空間を占拠してしまうのでそれは購入の図録でゆっくり。



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