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小学校時代のおぞましい光景。

今でも脳裏に焼き付いて離れないおぞましい光景がある。その後半世紀以上にわたる時間の中で、自分に降りかかったありとあらゆる厄災を差し置いて、あの光景は特別だ。あの時自分はまったくの傍観者だった。

小学一年生のある日、1時間目の授業が始まる前だったと思う。クラスでも目立って勉強のできなかったT君が教室の前に連れ出された。担任のUという女の先生がものすごい形相で泣き叫ぶT君を文字通り首根っこを捕まえて廊下に追い出した。一体何が起きたのかわからない。ものの数分だったとは思うが、直視には耐えられない修羅場がそこにはあった。しばらくして先生は教室に戻ってきたのだが、T君はいない。何もなかったように授業は始まったが、その後の先生のあまりの落ち着きぶりがそら怖ろしく、いつにも増して授業が頭に入ってこない。

どうやらT君は特殊学級(今は特別支援学級というようだ)に行かされたらしいということを後で知った。いわゆる知恵遅れの子や障害を持った子たちを集めたクラスがあることを知ってはいたのだが、その存在は小学一年生にとってははっきり言って空気のような存在で、気にとめることなど一切なかった。

しかしどうしてT君が特殊学級に行かなければならないのかがわからない。彼は少し勉強について行けなかったかも知れないが、授業の妨げになるような行動をするわけでもなく、みんなとコミュニケーションがとれないというわけでもない。ここに至るまでにどういう経緯があったのかは知らないが、これじゃあまるで公開処刑じゃないか。先生という職業はこんな専横が許されるのか(もちろん当時はそんな言葉は知らない)と情緒の安定Aの評価を受けていたイイ子(自分のこと)にとって、おそらくは初めての大人への不信だった。

あの「事件」があってから、特殊学級の子たちは空気のような存在から、時にではあれ「どうしてるかな」と気になる存在として心の中のフックに掛けられるようになった。今も世の中の理不尽を思うとき、長い時を経てあの光景はより鮮明になっている。

人権意識に欠けていた昭和の話とは片付けられない。最近でも特別支援学級の児童に「生きる価値がない」などの暴言を繰り返したり日常的に体罰を繰り返したとして担任の教諭が懲戒免職になったというニュースもある。わいせつ・恫喝・暴力・隠蔽、ありとあらゆるネガティブワードに満ちている今の学校で、それはきっと氷山の一角だ。


見出しのイラストは「ノラ猫ポチ」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。





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