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自分の運転ほど危険なものはないと思った話

人の精神というのはなかなか安定させることは難しい

情緒不安定という言葉があるように人の心には常に何かしらの起伏があり、フラットな状態をずっと継続させることは困難だ

行き着くところ、変化の目まぐるしいストレス社会において情緒というのは不安定な状態が当たり前であり、人によってはその言葉の響きを聞けば聞くほど違和感を覚えるものだ

増してや自分自身の運転中の精神状態ともなると尚更だ

私はというと、幸運なことに今のところ重大事故は起きていないが、それも悪運が強いだけだと言い聞かせ、日々己を戒めている

運転の場合、人にもよるが「ちょっとそこまで買い物がてらドライブへ…」という範疇には留まらず、仕事や旅行やプライベートでの身内の送迎などでつい長時間運転に陥ってしまうシーンが数多くある

並大抵の人間なら長丁場の運転中、継続して集中力を保てるのは精々が1時間が限度だ

ある程度までは訓練や慣れで引き延ばせるにせよ、それでもなお継続した運転は90分ぐらいが限度だろう

どんなに集中力や判断力が優れた運転経験豊富な人間であっても、それ以上の運転は事故リスクが大きく跳ね上がるおそれがあると最近になって改めて気付かされた私は、最低でも1時間に1回は意識して休憩を挟むことにしている

そうは言っても現実的にはなかなか難しく、仕事柄、2時間近くノンストップで走り続けることもある

その時の精神状態をひと言で言い表すなら「不安定」という他ない

運転におけるマイナス要素

恐怖、緊張、緊迫、雑音、ノイズ

長時間の運転にはあらゆるマイナス要素が凝縮されている

加減速の遅れ、ウインカーを出したり車線変更のタイミングなど、運転時間が長引けば長引くほどひとつひとつの行動が雑になっていくのが自分でも分かるのだ

特に、常に流れている高速道路ならまだしも、ストップ&ゴーの激しい一般道を走っていると、時間に追われている中での認知行動操作は反省して修正する隙すらないときもある

信号待ちなどで反芻してはいるものの、省みても省みてもなお反省点が見つかる

その場合、正解が複数ある場合もあるが、最善策を見つけようとすると膨大な時間やエネルギーを要するので、結局は行き当たりばったりの策に陥りがちだ

どれだけ安全運転を心掛けていても、いずれ事故には巻き込まれてしまうかもしれない

また、自らの危険運転が改善できたところで操縦者が生身の人間でありかつ、それぞれ諸事情がある限りは世の中から危険運転は決してなくなりはしない

これらもまた、にわかには信じ難い不都合な事実だ

危険運転に気が付くのにはタイムラグが生じるケースもある

その時には気が付かなくても、休憩中や帰宅後ふいに「そういえば、あの時の自分のあの挙動は危険運転だったな…」と、しばらく経ってから自分や周囲の危険運転に気が付くケースもある

交通量が増えてくると、前方に集中しながらもより一層、後方や死角にも意識を向けて運転しなければいけない時間帯も出てくる

時すでに遅し、の最悪な結果は免れたとしても思わずゾッとして目が覚めてしまうほどの強烈な記憶がフラッシュバックしてくることもあるかもしれない

そして、そういうときの精神状態は決まってやはり不安定だ

危険運転の負の連鎖

過度な疲労やストレスの蓄積によって気が滅入っていたり、矢庭に興奮したり、イライラがジワジワと募りetc...

それらの積み重ねで、知らず知らずのうちに次第に運転が雑になり危険運転や散漫運転に陥っていくのがドライバーというもの

片耳にワイヤレスイヤホンで通話しながらダラダラと追い越し車線を走り続けたり、更にエスカレートしていくと昂ったテンションが抑えられずに深夜帯や早朝の交通量の少ない時間帯を狙い、見るからにおいしそうな連続するS字コーナーやひと昔前のように林道や峠を攻めはじめる常軌を逸したレーサーもどきまで出てきたりする

終いにはそれらに触発されてか、焚き付けられるように追いかけ始める人まで出てくる

やがて、安全な場所に退避したあと今一度冷静さを取り戻したときにそれらの行為に甚く後悔して自他共に頭を抱え……

しかしながら安定した精神状態でいられる時間が限られているうちは、そういったナーヴァスなリフレインもハンドルを握る者の宿命かもしれない

危険運転に陥らないためには結局どうすればいいのか

どんな強靭な肉体やメンタルを持った人間でもなかなかストレスには打ち勝つことができない

ならばどうするか

ストレスそのものを消してしまうしかないだろう

対策としては、ガムを噛んだり独言を呟いたり、歌を歌ったりしながら常にイライラやストレス、焦燥感と付き合いつつも少しずつ消してしまう他ない

ストレスを許容できる範囲というのも個人差はあれども限られている

どこまでいっても致命的な本能を克服できない限り運転技術上達への道は果てしないが、危険運転に関してはまず自分が変わらないことには始まらないし、何よりも自分の運転ほど危険なものはない

それをより多くの人間が意識できたとき、ひとりひとりの意識も少しぐらいは変わるはずだと信じたい




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