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最古の記憶にはなんらかの意味があるという話

記憶というものはなんとも曖昧なものだ。

子供の頃自分がどう生きていたかなんて覚えていないくせに、鮮明に覚えている瞬間があったりする。

その一方で、昨日のことなのに全く覚えていないこともある。

合理的に原理を説明することなど到底できない。


ただ、記憶されていることの方が忘れられていることより重要なんだろうなということはなんとなくわかる。

だからこそ僕は、一番長期間保持されている最古の記憶は、ものすごく重要な意味を持っていると思う。


まず僕の話をしよう。

僕の最古の記憶は3歳の頃のもの。

保育所の入園日に、その玄関で母親と離れるのをひどく拒んで泣きじゃくるというもの。

一見するとなんてことない記憶。


でも最近、この記憶の中にいる僕が僕の本質を表しているんだと思うようになった。


この記憶には二つの意味があると思う。

①保育園という未知の場所へ行くこと、つまり新たな環境に対する不安

②母親と離れること、つまり孤独に対する不安


僕はずっと、前を向いて強く生きてきたつもり。

勉強や仕事を通じて、成長を実感しながら日々を送ってきた。

そんな僕だから、「強い人だね」なんて言われることも少なくなかった。


しかし、そんな評価に反して、わけもわからず涙が出てしまうことがあった。


新しいことに挑戦しようと頑張る。

けれど本当は、不安で不安で仕方なかった。

できるなら現状のままでいたかった。


両親や愛する恋人、親友とも離れた街で戦っている。

けれど本当は、独りでいたくなんてなかった。

ずっと愛する人たちと一緒に過ごしていたかった。


これが僕の本質。

外面がいくら変わろうとも、僕という人間の本質は3歳の頃となんら変わらない。

ずっと強い人間じゃなかった。


このことを知れて安心した。

涙の意味もわかるようになった。

強く生きられなくなったとしても、ただ本来の強くない自分でいようとしているだけだと思えるようになった。

弱くなることが怖くなくなった。


僕の最古の記憶は、こうしたことに気づかせてくれた。

そして、僕自身が無理して生きないように、今日も僕を救ってくれている。


さて、あなたの最古の記憶はなんですか?

その記憶には、間違いなくなんらかの意味がある。

そしてひょっとするとそれは、あなたを陰ながら救ってくれているかもしれない。

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