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朝イチで立ち上るのは現実我(朝note)

おはようございます、木月です。
起きたら雨です(関東は)
今日も、朝noteいきます。

朝っていうのは、ちょっとだけ怖いこともあります。

というのは、朝起きるときというのは、目が覚めてから、1秒経たないうちに、あの現実我というヤツが立ち上がってきます。

これに対して、夜というのは、想像我とでもいうものに支配されることが多いようです。
想像我というより妄想我とでもいったほうがいいんでしょうか?

自慰を覚えるようになったころから、スケベ妄想が立ち昇るのは夜(深夜)が多いですよね?(違いますか?)
逆に、朝起きた瞬間は現実我について、ハッと目覚める
これが、人間のメカニズムだと思います。

僕は、以前スーパーで働いてたころ、人間関係その他が悩ましいことがあったんですが
朝起きると、秒でそれを思い出して、重たくなりました。

が~ん、今日は、昨日のつづきだったんだ!

今日は、なんか、夢の中では
覚えてる限りでは
海辺の小さな本屋で、占いのさそり座について書かれている少し厚めの文庫本を買ったんです。
そのあと、ごちゃごちゃした通りにでて、ヤバそうな人と喧嘩になりそうになって、自分がすみません、と謝って
そしたら、それが浮浪者で、首を吊り上げられて(何がなんだかわかりませんね)
また、海辺の道(舗装された)を歩いてたんです
そしたら、ローリングストーンズのキースリチャーズ(のような人)がなぜかでてきて
置き忘れた占いの本がどこにあるか、本屋で探しだしたんです(支離滅裂でわけわかりません)
老人しかでてこない夢でした。

いや、そのあたりで目が覚めて、雨の音が聞こえてくるか否かに、現実我が立ち昇ってきたんです。

今日は、仕事はないんですが
午前中、雨の中、神経科(最寄り駅から10駅は離れてる)に行かなきゃいけないんです。

昨日、X(趣味アカウント)を1カ月半ぶりくらいにやって、そのあたりのこととかも考えました。

朝、目が覚めた瞬間は、これは、ある意味、昨日までの現実我の総決算な部分があります。

だから、人を殺してしまって、刑務所にいる人とかは朝がつらいんじゃないでしょうか?(わかりませんが)

だから、この朝イチの瞬間がそれほどつらくない人は、そこそこいい人生状況なのかもしれません。

夜は、よいものでも悪いモノでも、やや妄想的な考えが、あたまに広がりやすいようです。

たとえば、「売れる」を表層意識で目指してる人が
「売れたりしたら、逆に人生しんどくなるだけじゃないか」とかいった、妄想的な不安がふくらみやすいようです。
または、あの娘とエッチしてる妄想だったりします。

妄想と言ったのは、それは外的現実で実現するかどうかわからない種類のものだからです。

たとえば、上に述べた、売れたらどうしよう……とか、あの娘とムニャムニャ……とかは、そもそも実現するかわからないからです。

芥川龍之介は「ぼんやりした不安」を表明して自死してしまいましたが
あんまり根拠の希薄な妄想(考え)というのも、人間にはすごく起こり得るんです。

で、この現実我と妄想我は、どちらが真実なのでしょう?

朝イチで考える現実我は、今日、僕等がこれから、事務的(現実的)に対処していかなければいけない何かを含んでると思いますが、でも、現実のすべてというわけでもないかもしれません。
また、夜の妄想我は、不安なものであれ、自分に都合のいいものであれ
そもそも現実化されないものも多くあるわけです。

そうすると、このどちらも、格別、真実というわけでも、ひょっとするとないのかもしれませんね。

なんてことを雨の朝につらつら考えてしまいました。

朝イチで立ち上がる、現実我のはなしでした

重かったらスミマセン

以上、朝noteでした。

ご一読ありがとうございました。

(あとがき)
朝(イチ)が重かったり、軽い緊張を覚えるのは、この現実我というヤツが夢から覚めて急激に立ち上がってくるからだと思います
だから、朝が気持ちいいというのは、かなり人生状況がいい人ですね。
もしくは、会社が今日から二日・三日休みの日に、朝から気持ちのいい光が差してるとかでしょうかね。

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