うまくいってない人同士の連帯が難しい社会(その1)
こんにちは、木月まことです。
今日は、社会について、最近の社会のある一面について考えてみたいと思います。
今日、社会の中、外(ホームレスの人など)困ってる人は増えてるのではないかと想像されます。
これを読んでるあなたも例外ではないかもしれません。
ただ最近の社会の特徴として、困ってる人の孤立化が挙げられるかもしれません。
困ってる人と、別の困ってる人同士は今日ほど結びつくのが困難になってる社会もないのかもしれません。
いや、TwitterとかのSNSで自殺をしたい人同士が集まって自殺したりしているよ。
まぁ、そうかもしれません。じゃあ、言い方をかえましょう。
困ってる人同士が、集団自殺とかテロではなく、もう少し生産的な(?)ベクトルで結びつくことはできないのか。
あるいは自殺やテロという極端な結果を求めることなしには、困ってる人同士は連帯できないのか。
自殺やテロを指向しない限り困ってる人同士は孤立しか手がないのか。
困ってる人同士は自殺かテロを決意してはじめて人と結びつけるような社会になってるのか。
困ってる人同士の連帯というとあまりイメージはよくないかもしれません。
テロを筆頭に、日本だと、戦国時代以降頻発した一揆ですとか、長州藩と薩摩藩が手を組んで幕府を転覆するとかになるでしょう。
こういうのは、今日ほど平和な(?)社会が実現しますと、忌み嫌われてしまうのかもしれません。
そうさ! 第一、それは迷惑だよという人もいるでしょう。
しかし、あの「人に迷惑をかけない」という世俗モラルは、そもそも、ある程度人生が上手くいってる人にしか可能ではないのではないでしょうか。
困ってる人が「人に迷惑をかけない」を至上命題としてしまいますと、ある意味行き場がないように思うこともあります。
そこで、今日はこれ以上だと長くなってしまうんで、次回、あるいは次回以降に、どのような経緯で、今日のような、困ってる人同士の連帯が難しい社会が出来上がってしまったのかについてみてみたいと思います。
今日のところは、困ってる人と別の困ってる人は連帯がむずかしく、テロや集団自殺といった極端な指向が成立してはじめて、困ってる人と困ってる人は結びつけるのではないかということです。
興味がありましたら次回投稿も是非読んで下さい。
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