マガジンのカバー画像

つぶやき投稿(vol.1〜200)

362
主にnoteの読者を対象にしたつぶやきです。 つぶやきのみを集めてます。(一部不愉快なものもあるかもしれませんが大目に見てやって下さい。またはスルーして下さい)
運営しているクリエイター

#文学

文学(文芸)というのは、根本にかなり「不安」があって、「不安」の前と後に何を配置するか、またはどのようなオブラートに包むのかが鍵を握ってる場合も多いと思う。
「不安」がまったくない文学は少ないと思う

悩むのは愚か?

悩む限りにおいてその人は青年なのかも

それが愚かどうかは別として

悩まない種族に文学はムリだ

『ハムレット』も『人間失格』も『源氏物語』も結局人の悩みだし

ドストエフスキーは『カラマゾフの兄弟』で58歳のときあれだけ悩んでいた。

文学とは悩む情熱かも

「絵」はへこむことがなくても描けると思うけど

「文章」はかなりの程度へこむことが糧になってると気づいて

以前ほど、へこむことを否定しなくなった。

川端も太宰も啄木も

要するにへこんでる人だ

へこんだ向こう側に何が見えるかなんだと思う。

宮沢賢治の作品が生前ほとんど金にならなかったのは機縁とでもいうものが少なかったからだと思う

芥川龍之介は夏目漱石の称賛を受けたし
太宰治は井伏鱒二に弟子入りした

賢治はそういった機縁が少なかった

しかし賢治の作風の成立には、賢治のまわりが賑やかでないことは多分重要だった

太宰治に共感する人って、自己憐憫の傾向があるのかもしれない

憐憫の情が外的現実にひとつも根拠を持たないことはないだろうけど

その憐憫をどうするのかは読んだ人それぞれの課題なのだろう


(太宰にどっぷりハマった人の後年における感慨)

─作家の有り様─

①生き方生き様と分けて考えるのが難しいタイプ

…西村賢太、車谷長吉、太宰治

②生き方はそんなに問題にされない創作タイプ

…東野圭吾、宮部みゆき、池井戸潤

どっちに入るのかが自分の意思で決められることは少ないようだ。

その中間とかもいるのかもしれない。