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日日自炊自足【8月21日の夕食 と 家族の食事を用意していたころ】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。
アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

残りの
・かぼちゃ の塩蒸し(味付:塩) に 市販の金時豆をのせたもの
・絹豆腐 に 余りの メンマ ザーサイ をみじん切りにしてのせたもの
and
・めかじき を 蒸したもの
・茄子 と ピーマン の甘味噌煮(味付:味噌 砂糖 みりん 生姜みじん切り)
・納豆 キムチ
・ルイボスティー

昨日書いた
「ひとりでもちゃんと食べてる」

振り返ってみると、料理を作ることは
結婚してから15年間、家族のために続けていた。(その後離婚)
好きとは言い切れないけれど、家計のために「作る以外の選択肢はない」と思っていた。
それでも今と同じように好みの器を手に入れれば嬉しかったし、インターネットの普及がまだまだだった新婚当時は、マーケットで配布されているレシピ付きの小冊子をよくもらっていた。
だから、嫌いかと問われれば苦痛というほどでもなく・・好き嫌いというよりも、できるできないで言えば「できる」という認識の上「やる」という決定事項。

もちろん外食することだってあったし、冷凍食品やレトルトに頼ることもあったけれど、それでも今の一人分よりも長い期間、人(家族)の分まで食事の用意をしていたのだ。

今よりもっと大変なことをこなしていたのに、それでも昨日書いたような「継続してきたことでの自信」なんて当時は持てていなかった。
これってどういうことなのかな。と考えている。


結婚当初は専業主婦だったから、家事はみんなわたしがしていた。
(あれ、そういえば働き始めてもわたしだけがやってたわ。でも・・そういう価値観が根付いていた時代だったと思う。)
夫婦二人分の掃除洗濯そして料理。更に娘の分が加わった。
それから一人になって・・・今わかったのは

「わたしが気持ち良いと感じる家事処理能力は、己の分までだった」ということ。
それを練習もなしにぶっつけ本番で人の分まで15年。


結婚したからって急に、自分以外の分までなんてできるわけないのよ。
と、誰かに言っているようで当時の己に、言っています。



少し前に、はじめてウンベラータの剪定をした。
まっすぐ伸びて新しい葉を出していた茎をちょきんと。
切ったすぐ下から、新しい茎が出てきた。
手前にもうっすらとした盛り上がりが。
このままうまく伸びてくれればY字に分岐するはず。


植物を育てて5年?
水やりと葉水という習慣以外の楽しみを、知りはじめている。



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