45歳から身に着けた 「本を読むこと」読書は食事のようなもの、編
このnoteは
から始まる、45歳から身に着けた 「本を読むこと」についてのお話です。
前回書いた
言葉を覚えるために読書をしている。
の「覚え方」について解説します。
例えば読んでいた本に「杞憂」という文字が出てきたとして
「読みは きゆう で意味は 必要以上に心配すること、取り越し苦労という意味 なんだな。」
と、調べたりメモしたり、言葉の使い方・応用編を考えたり、反復したり
という国語的な覚え方は、一切しません。
(新しい)言葉はむしろ読めなくても意味が分からなくても、文章の流れのまま雰囲気で読み進めています。
じゃぁどうやって言葉を覚えるの?と思うかもしれませんが、わたしたちはこれまで「いつの間にか覚えていた言葉」を使って、思考をしたりコミュニケーションをとっています。
あの言葉は確か・・小学2年生の夏休みの宿題ではじめて覚えた言葉だ。
と記憶しているものなんてほとんどないですよね。
「生活」とか「希望」とか「引っ越し」とか「哲学」とか
現象の呼び方も物の名前も、普段使っているのはいつどこで誰に教えてもらったのか分からないけれど、いつの間にか覚えた言葉たちです。
それって、食事と同じだなと思うのです。
読書は脳や心の栄養になる。
と言われることがありますが、わたしの言う「読書は食事」は、それとは少し違います。
食事はいつどこで食べたかわからないものが、なんなら昨日何を食べたかさえ忘れているのに、それがいつの間にか身体の栄養になって不必要なものは自動的に排出される。
食べ物は胃の中で消化されて、小腸内壁の細胞によって吸収され血管やリンパ管によって体内に運ばれるそうです。(ネット調べ)
でもそんなことって、わたしの知らないところで自動的に起こっていますよね。
身体に入ったあとのことは、身体の機能にまかせて今生きています。
言葉を覚えるということも同じなんじゃないか、と思うんです。
いつどこで覚えたのかわからないものがいつか思考の材料になって、自分にとって不必要な言葉は自動的に忘れて(消えて)ゆく。
それでいいんじゃないか。
敢えて覚えようとするのではなく、身体が脳が、自分に必要な言葉をに留めてくれるだろう。
と自分の機能に任せる。それを覚える、と呼んでいます。
これが「言葉を覚える」と言いながら
45歳まで読まなかった・読めなかった理由、編
ランキング第二位【 覚えていられないから 】で
すぐに忘れます。でも今はそれが「読まない理由にはなっていない」
と書いた理由です。
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