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よそじの台所から【休みの食事 と 罪悪感や嫌なこと、の使い道】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に自炊の記録 と 自分を観察する日記。

金曜日、ランチにマクドナルドのハンバーガーを食べた。
夕食は仕事帰りに通った丼屋で出ていた日替わりのメニューが好みだったので、ついテイクアウト。
特に平日の昼も夜も自炊をしない、となると

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「あぁ。今日は買ったものばかり食べてしまったな。」という小さな小さな罪悪感がわいてくることに気が付いた。
特別な日でもないし、ボーナスが出たわけでもないのに、昼も夜も使わなくても良いお金を使ったこと、そして自炊をしなかったこと、に

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「さぼってしまった」という微かな気持ちを確認した。
さぼる、とは「怠けるという行為」を言い換えた言葉であって、もともとはフランス語の「サボタージュ」(破壊活動:日本では「怠けること」という意味で「サボタージュ」という語が使われている)からきているらしい。

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でもさぁ、昼も夜もテイクアウト・・または外食なんて
ほんとうにたまぁぁぁぁぁにしかしないの。
そのたまぁぁぁぁぁの1回に
どうしてわたしはこんな風に罪悪感を感じてしまうんだろうか。

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それでね、考え方を変えてみることにした。
日頃やっている自炊。これを褒めることってまずない。
だから、こうして罪悪感を感じてしまったときこそ
「普段のわたし、自炊していてえらい!」と褒める。

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ちゃんとやっている日があってこそ、ちゃんとしていないと思ってしまう日を責めることができるわけだから。
同じく、嫌なことがあった日や嫌な人に出会ってしまった時は
何もなかった日や、当たり前にコミュニケーションが取れる相手に感謝する。
嫌や罪悪感を、そんな風に使えたらいいな、と思いついた週末でした。



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