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誰かと向き合うことは己と向き合うこと:「ありがとう」について考える①

このマガジン 〚 RELAX OPEN ENJOY 〛 は
人の感情に敏感(HSP気質)だった初老女が おはようからおやすみまで己を見つめることで
自分に対する愛と信頼を取り戻していく過程を、余すことなくnote化したものである。

今日は近頃何度も登場する「だーさん」(最近友達になった同世代の異性)とのこと、について書こうと思う。

登場人物
わたし:ibitsu
だーさん:今年6月、ある本屋のイベントで知り合った同世代異性の友人。
興味のあることが近いので、月1~2回外や我が家で(外遊びはお金がかかるので)遊ぶようになった。


週末の note にわたしは「だーさん」について

『この3か月(知り合ってから3か月)「不思議だな」と思うことが何度かあったにはあるけれど、それで会うのは嫌だなと思うほどのことでもなかった。
清潔感があって、コミュニケーションも・・(欲を言えばいくつかの希望はあるけれど)困るほどのことでもない。』


と書いたことの中に

「だーさん」はあまり " ありがとう " を言わない。
ということがある。

” ありがとう”という言葉は
互いが自然に交換できている場合、あまり気にならないのだと思う。

例えて言うなら・・
食事前の挨拶の「いただきます」や「ごちそうさま」
言うことがあまりにも自然すぎて、誰が言ったということに意識が向くことはほとんどない。
でも、誰かが言わなかった時には「あれ」という違和感があって、そういえばいつもってどうだったんだろう?という疑問がわく。

わたしが「だーさん」ってあんまり ” ありがとう” を言わないな、ということには、それに近い状態で気が付いたわけです。


それで少しばかり「だーさん」を観察してみました。
(友達相手に観察って!と思うかもしれないですけど・・これは最終的には自分をあぶりだすためのものですので、ご容赦ください。)

の結果、「だーさん」はLINE上の、書くことでは ” ありがとう” が使えるけれど、話すことで  ” ありがとう” を使うことが少ない。
ということが判明した。
(少ない、と書いたのは、言われているけれどわたしが気が付いていない・・という可能性があるためです。)

ここで ” ありがとう” についてわたしの状態を書いておくと


マクドナルドのスマイル0円並み


と、自分では思っています。(これはわたし自身の評価であって、他人からの評価は不明です。また、その良し悪しについては、問題を複雑にしてしまうため今は書きません。)
要するに ” ありがとう” に対しては、書くにも言葉にするにも特別な躊躇はなく、なるべく伝えていこうという姿勢でいます。



では週末の観察結果をみてみましょう。

炎天下を散々歩いたのち、わたしたちはどこにでもあるカフェチェーン店に入りました。1Fは満席だったので、注文前に2階で席を確保しようと階段を上がるとき

い(ibitsu)「上見てきますけど、待ってますか?」と聞くと
だ(だーさん)は「いえ、行きます。」と答えました。
2階もテーブル席は埋まっていたため、窓際のカウンター席を確保し

だ「注文決まってますか?僕が買ってきますよ。」
い「え、いいんですか?ありがとうございます。ではアイスコーヒーのMサイズで。」
だ「わかりました。」
い「すみません、お願いします。」
購入し席に戻っただーさんに
い「ありがとうございます。」と言って支払った。

ほらね?
え、この中で「だーさん」が  ” ありがとう” いうタイミングあった?と思ったあなた。
気が付きませんか?本当に!?
あの場面ですよ、あの場面。ふつう言うでしょ?
なーんていう難問ではありません。

実は ↑ は嘘でして・・
これはわたしの  ” ありがとう” の使い方を説明するために書いたものです。



あの日、カフェで実際にあったのがこちら。

2階もテーブル席は埋まっていたため、窓際のカウンター席を確保し

い(ibitsu)「注文決まってますか?わたし買ってきますよ。」
だ(だーさん)「えっと、じゃぁアイスコーヒー。」
い「サイズは?・・MかLだったら?」
だ「Lで。」
い「じゃぁ行ってきますね。」
だ「ぁ・・(ぁ、なのか・・なにか一言は発しているが、その後無言)」
1階で購入し席に戻ったわたしがコーヒーを渡すと
だ「ぁ・・(ぁ、なのか・・なにか一言は発しているが、その後無言)」
トレーに乗ったままのレシートで「だーさん」が無言で支払いをしてくれ(わたしたちはもちろん完全割り勘です)
い「ありがとうございます。」(←こちらがマクドナルドのスマイル0円的サンキューの使い方です。)
と受け取った。


わたしが言いすぎか、「だーさん」が少ないのか、という評価は各々の心でして頂くとして
要するにですね、こういうことが言わずともマッチしていることが


相性が良い


ということなんだろうなぁ、と思ったのです。
それは恋愛や友人関係に関わらず、です。
相手が家族であっても職場であっても、コミュニティの仲間でも。

それをわたしたちはナチュラルに判別しているから気が付いていないだけで、こういうことがお互い言わずともマッチしているということは決して当たり前のことではないのだと思うのです。


今朝、某SNSのおすすめで流れてきた漫画に
挨拶をしたけれど返してもらえなかった人が怒る という表現があり
それは挨拶を返してもらうことを期待したことで起こった怒りだ、とうオチだったわけなのですが。


じゃぁ期待しないのが正解?(漫画は多分そういう話じゃない)
いや、そんなことってできないよね。
だって特にあいさつや感謝や軽い謝罪に対する期待というのはほぼ習慣で、自分でも気付かぬうちに起こっているわけです。

じゃぁ相手を教育するか(書き方は悪いですが・・)、相手から離れるか、それとも自分が我慢をするのか。それしか解決方法がないのか。
わたしは ” ありがとう” を言われたいのか、言わせたいのか。
言われなかったら何もしないのか。


わたしは・・
わたしにとっての ” ありがとう” について考えてみることにしました。


という話。長くなったで今日はここまで。ですが・・
②以降があるのかは気分です。。
いつもの通り、途中で飽きたら告知なしに終了します。



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