見出し画像

大河ファンタジー小説『月獅』27   第2幕:第9章「嵐」(1)

第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
前章(第8章「嘆きの山」)は、こちらから、どうぞ。
前話(26)は、こちらから、どうぞ。

第2幕「隠された島」

第9章:「嵐」(1)

<あらすじ>
(第1幕)
ある晩、星が流れレルム・ハン国エステ村領主の娘ルチルは「天卵」を宿し王宮から狙われる。白の森に助けを求めるが、森には謎の病がはびこっていた。「白の森の王(白銀の大鹿)」は「蝕」の期間にあり本来の力を発揮できない。王は「隠された島」をめざすよう薦める。ルチルは偵察隊レイブンカラスの目につくよう断崖から海に身を投げた。
(第2幕)
ルチルは「隠された島」で暮らしはじめた。天卵の双子は、金髪の子をシエル、銀髪の子をソラと名付ける。シエルの左手から孵ったグリフィンの雛は飛べなかった。「嘆きの山」の火口の磁場に引き込まれそうになったソラを救ったのはグリフィンの成獣だった。だが、ソラを連れ戻すと、またグリフィンの雛に戻ってしまった。

<登場人物>
ルチル‥‥‥天卵を生んだ少女(十五歳)
ディア‥‥‥隠された島に住む少女(十二歳)
ノア‥‥‥‥ディアの父 
シエル‥‥‥天卵の双子の金髪の子
ソラ‥‥‥‥天卵の双子の銀髪の子
ビュー‥‥‥グリフィンの雛
ビュイック‥グリフィン

 海面はぴくりとも揺らがないほど平坦に凪いでいた。
 張った弦のように空気がひりひりし、海猫の鳴き声もなかった。
 あれが予兆だったのかもしれない。
 
 その日は双子の二歳の誕生日でルチルは野ブドウのタルトを作っていた。
 お菓子作りはルチルが唯一ディアよりもできることだ。
 館にいた頃、料理人のハミルおばさんに何度も何度もお願いしてタルトやクッキーの作り方を教えてもらった。「火や包丁やら危ないものばかりですだ。ここはお嬢様の来るところではねえ」とはじめは追い返された。大人の言いつけにはたいてい素直に従うルチルだったが、このときばかりは諦めなかった。ハミルが季節の果物や木の実を使って作るタルトは、夢のようにおいしかったから。昼食の後片づけが終わる頃あいをみはからって台所をのぞき、お願いを繰り返し続けた。とうとうハミルはひとつ大きなため息をもらすと、二人ぶんはありそうなふくよかな腰に両手をあて、ルチルの背の高さまで上体を傾け目線を合わせた。
「火に近づかねえ。包丁は勝手にさわらねえ。言いつけは守れるだか」
 十歳のルチルはこくこくとうなずく。
「じゃあ、明日また、おいでなせえ」
 ハミルがでっぷりと太った体を揺らして笑っていた。
 島に漂着してはじめてリンゴのタルトを焼いたとき、ひと口食べたディアはテーブルに勢いよく手をついて立ちあがった。
「なに、これ! 甘くておいしい。こんなの食べたことない。ルチルは魔法が使えるの?」
 らんらんと目を輝かせている。立ったまま、残りを手でつまんで口いっぱいにほおばる。どうやらケーキやタルトなどの甘い菓子を食べたことがなかったらしい。
「菓子をこしらえるという発想がなかったからなあ」
 歓喜する娘に、ノアが首筋を掻く。
「おまえたちも、食べてごらん」
 ディアはタルトをひと切れ窓辺に置く。またたくまに小鳥たちが群がった。
 ディアに与えた衝撃はそうとう大きかったらしく、たびたび作ってくれとせがまれた。双子が生まれてからは忙しく、なかなかタルトを焼く時間を見つけられなかったけれど。クッキーならシチューを煮込むあいだに種を作ることができる。島に流れ着いて半年が過ぎるころには、ルチルもそれくらいの手際は身につけていた。双子たちを寝かせたら、お茶をいれ、クッキーを皿に盛ってディアをねぎらう。ランプの明かりがテーブルに光の輪を広げる。娘たちのおしゃべりは尽きることがなかった。
 双子が生まれて二年。たいへんだったのは最初の一年で、近ごろはずいぶん落ち着き、ルチルにもタルトを焼くゆとりができた。この日のために毎日少しずつ摘んできた野ブドウの半分は干してレーズンにし、半分は蜜煮にしてある。去年の秋に集めたクルミや木の実もくだいた。生地をこねて、窯に火をくべる。ノアは昨日しとめた猪をさばく。ディアは鼻歌を口ずさみながら山羊のミーファの乳をしぼっていた。
 
 二歳といっても六歳相当だから、二人ともたくましく成長していた。ソラは走る、跳ぶ、泳ぐの基本的な運動能力はもちろん、海に潜ってモリで魚をつかまえる腕もずいぶん上達した。まだ弓は扱えないが、縄の先に石の錘をつけた投石具で十回に一度はナキウサギをしとめることができるまでになっていた。一方、シエルは水を怖がり潜ることができない。かわりにマテ貝や二枚貝を掘りあてるのは得意だ。薬草やキノコもよく見つける。穏やかな性格は生きものたちに好かれるらしく、シロイルカや小鳥たちに囲まれシエルの周りはいつも明るくにぎやかだ。ビューもたいていシエルの肩にいた。
 あれほど二人で取り合いをしたビューは、少し大きくなったがそれでも鳩ぐらいの丈でしかなく、あいかわらず飛べないため、ソラの興味はしだいに他のものに移り今では見向きもしない。そもそもシエルがビューの卵を握っていたこともあって、当初からビューはシエルのそばを好んだ。シエルもビューをかわいがっている。
 嘆きの山での一件以来、ギンとヒスイが根気よくビューの飛行指導をしていた。躰が未発達なことが原因なのか、ムササビのように枝から地面への滑空はできるようになったが、翼で風をとらえて自在に飛翔することは一向にできるようにならなかった。
 ノアはビューが眠りにつくと、起こさないように止まり木ごと戸外に持ち出す。海を臨む広く開けた丘まで行き、意識の深淵で潜んでいるビュイックに語りかける。ビューがぐっすり眠っているとビュイックと交代することができるのだ。すると、体躯も成獣のビュイックに戻る。鳩ほどの鳥獣が、みるみるうちに身の丈三ヤードの怪鳥になる。
「ビューの発育を邪魔してるものはなんだ。何があいつに箍をはめてる」
 ノアはグリフィンの巨躯に背をもたせかける。翼を折り畳んでいても黒い小山のようだ。
「あの山のせいかもしれん」
「嘆きの山か」
「ああ。俺が飛び立ったからな」
 隠された島が白の森から切り離される原因となった五百五十年前のヴェスピオラ山の噴火。それにノアが巻き込まれたと思ったビュイックは、噴火を鎮めるために火口に飛び込んだ。山の怒りと嘆きをなだめながら眠りについていたが、黄金のめざめを感じとり、山から飛び立ったのだった。
「だから、おまえをビューの意識下に抑え込んでいるというのか」
「わからんがな」
「おまえとビューとの交代がもっと自由になればいいんだが。そうすりゃあ、おまえを通じて、飛行のコツもつかめるようになるんじゃないか」
「……」
 ビュイックは無言で黒く鎮まる嘆きの山に顔を向ける。
「完全に意識がぶっ飛んでるときしか交代できないんじゃ、ビューも何も学べんだろ」
「まだこいつの精神は幼い。グリフィンとして黄金を守り抜く覚悟ができていない」
「覚悟か……」
「あの日、ソラの危機に怯えるだけで己がなにもできなかったのは、そうとうショックだったようだ」
「なら、それが箍を外すトリガーには……なんでならなかったんだ」
「神獣としての誇り、悔しさ、無力感。それらがこいつのうちで葛藤してる。だから俺にやすやすと席を譲りわたそうとしない」
「そうか。それはまた……」
 と言いながら、ノアはビュイックに預けていた背を立て、くるりと向き直り、はるか頭上にある顔を見あげる。
「みどころがあるな」
「ああ。自らの力で乗り越えようともがいている」
「もがいた魂ほど美しいというからな。力を解放する日が楽しみだ」
 漆黒の海原を白い月の光が撫でていた。

(to be continued)


続きは、こちらから、どうぞ。


この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,479件

#つくってみた

19,433件

サポートをいただけたら、勇気と元気がわいて、 これほどウレシイことはありません♡