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大河ファンタジー小説『月獅』33     第3幕:第10章「星夜見の塔」(2)

第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
前話(32)は、こちらから、どうぞ。

第3幕「迷宮」

第10章「星夜見の塔」(2)

<あらすじ>
(第2幕までのあらすじ)
レルム・ハン国エステ村領主の娘ルチルは「天卵」を宿し王宮から狙われ、白の森に助けを求める。白の森の王(白銀の大鹿)は「蝕」の期間にあるため力になれぬと、「隠された島」をめざすよう薦める。
「隠された島」でルチルは、ノアとディア親子と暮らす。天卵は双子でシエルとソラと名付ける。シエルの左手からグリフィンが生れるが、飛べず成長もしない。王宮の捜索隊が来島し、ルチルたちは島からの脱出を図るが、ソラがコンドルにさらわれ、嘆きの山が噴火した。

(前回のあらすじ)
レルム・ハン国にあるシキたちの村が賊に襲われ、シキは床下の甕に隠されていた。その間に両親や村人は殺され、シキは孤児となる。シキは生きるために村を出て、ひと筋の雲の先をめざす。

<登場人物>
シキ‥‥‥‥孤児
ラザール‥‥レルム・ハン国星夜見寮の星司長・シキの養親

 シキは歩き続けた。
 家畜小屋から卵をくすねたり、干してある芋を盗ったり、畑の野菜をかじったりした。パンを盗めた日は大収穫だった。夜になると、納屋に忍び込んで眠った。
 雲はまだまっすぐに伸びていた。父母が進むべき方角を示してくれているようだった。
 ある日、街道から外れた山道に馬車が一台止まっているのを見つけた。
 そっと辺りをうかがうと、道端から少し下がった窪地に泉がある。そのほとりで身なりのよい男が顔を洗っていた。御者ぎょしゃも馬に水を飲ますのだろう。手桶をもって泉のほうへ降りていく。
 今なら馬車に積んでいる食い物か金目のものを盗める――。
 そう考えて近づいたときだ。大きな手に肩をつかまれた。
「そこで何をしている」
 泉で顔を洗っていた男が立っていた。法服のようなものを着ている。
 逃げようともがくシキを御者が押さえる。
「そなた、親は」
 首を振る。シキは賊に襲われ親を亡くしたことをぽつぽつと尋ねられるままに話した。
「そうか。可哀そうに。酷いめにあったのだな」
 男はなぐさめるようにシキの頭を撫でると、片膝をついてシキと目線を合わせた。
「だが、今、そなたがしようとした盗みは、生きるためとはいえ、村を襲った賊がしたことと変わりはないぞ」
 あっ、とシキは男を見、そして頭を深く垂れてうつむいた。
 男は馬車のコーチから何かを取り出し、シキの前にかがむ。
「ほら、腹がすいているのであろう」
 パンをさしだしながら言う。
「欲しければ、こっそり盗むのではなく、わけてくださいと頼めばよいのだ」
 シキが顔をあげる。男は、ほら、とパンをシキの手にのせる。
「遠慮せずに食べなさい」
 シキはもう一度男の顔をうかがい、最初はおずおずと、途中からはむちゅうになってパンをむさぼり食った。ときどき喉を詰まらせて目を白黒させる。
「どこか行く当てがあるのか」
 シキは空を見あげて雲を指さす。
「あの雲の先」
「雲の先に、頼れる人がいるのか」
 首を振る。
 男はしばらくシキのようすを見つめていた。
「私はラザールという。そなたの名は?」
「シキ」
「シキ、行く当てがないなら、私のところに来ないか」
 シキはパンをくわえたままぽかんとする。
「私にも家族はいない。こんな老いぼれとでも良ければ、一緒に暮らしてみないか。嫌になれば出ていけばいい。それまでのあいだベッドと食事は確保できる。どうだ?」
 ラザールが目尻の皺を深くする。
 シキはこくこくと頷いた。
「ではまず、そこの泉で水浴びをしてきなさい。私は鼻がいい。そう臭っちゃ、馬車で一緒に何時間も揺られると私の鼻が曲がってしまう」
 ラザールはわざと顔をしかめて笑う。
 野生の毛ものは、まめに毛づくろいするし水浴びもするから、案外、臭わない。だが、突然に親を失ったこの子にはそんな知恵はなかった。おそらくかめに閉じ込められてから一度も水浴びすらしていないのだろう。シキからはえた臭いがただよっていた。
 
「驚いた。女の子だったのか」
 シキはちょうど泉からあがったところだった。
 体を拭く手拭いを渡し、ラザールはしばらく腕を組んで思案していた。
 シキがラザールの短衣をかぶる。ぶかぶかだ。腰紐でたくしあげて調節した。
「シキ、男として生きてみないか」
 ずり落ちる肩口を必死でたぐりあげていたシキは、きょとんとする。
「男の服を着て、男のようにふるまうのは嫌か」
 シキは大きくかぶりを振る。男だとか、女だとか、どうでもいいと思った。ベッドがあって食事がある。それ以上になにを望むというのだ。
 
 ラザールは遠眼鏡で星を観測しながら、シキと出遭った日のことを思い出していた。
 馬車に盗み入ろうとする子を取り押さえて驚いた。黒髪はぼさぼさでわらやら草やらが引っかかって鳥の巣のようになっていたが、怯えて振りむいた面差しが似ていたのだ、コヨミに。いや、似ていたのは黒髪と蒼い瞳だけだった。だが、雷に打たれたように一瞬、あの子が還ってきたのかとわが目を疑った。そんなことはあろうはずがない。コヨミが亡くなってすでに二十年近く経つというのだから。
 星夜見ほしよみは夜の仕事だ。夕刻に登壇し、明け方に帰る。星の異変があると王宮で王のめざめを待ち、ときには朝見ちょうけんの儀に陪席し卜占ぼくせんの予見することを語らねばならない。そうなると昼夜をまたいで屋敷には戻らない。何事もなかった夜であっても帰ればすぐに睡眠をとるから、そもそも家の者たちと時間が合わなかった。
 その晩、コヨミは頬を紅潮させ潤んだ目をして見送りに出てきた。額に手をやると熱っぽかった。ヤン先生を呼ぶようにと言いおいて屋敷を出た。月が中点をよぎる頃だったか、コヨミの容体が急変したとの報せがあった。だが、その日は一人で星夜見に臨む初めての夜だった。うまくやり遂げれば、副星夜見士長ふくほしよみしちょうから正星夜見士長せいほしよみしちょうに昇進できる試観の意味あいもあり、若きラザールにとっては特別な夜だった。「ヤン先生がついてくださっているなら大丈夫だ」そういって遣いを帰した。星夜見をなし遂げ、日が昇ってから屋敷に戻ると、コヨミは冷たくなっていた。
 ベッドの傍らにヤン医師が立ち、沈痛な面持ちで首を振る。コヨミに縋りついていた妻は泣き腫らした顔を向けると、「わが子の命より、星のほうがたいせつなのですか」と絶叫した。ほどなくして妻は出ていき離縁した。
 昇進はしたが、愛するものを失った。
 コヨミの不調を察した時点で登壇を思いとどまっていたら、傍についてやっていたら。悔恨が消えたことはない。医術師でもない自分が居たとて、コヨミを救えたかどうかは甚だ疑問ではある。だが、星夜見を続ける限り、夜の不在はまぬがれない。もう二度と家族を持つまいとラザールは誓い、独り身を貫いてきた。
 それなのに。シキを捕まえたとき胸が震えた。コヨミ、とつぶやきそうになった。コヨミは男の子だった。シキは女の子だ。決定的なちがいが明らかになってもなお、長く見失っていたコヨミを見つけたような衝動が胸をおおった。がりがりに痩せて泥だらけの細い手足をさらした子を、どうしても放っておくことができなかった。
 夜に一人にすることはできない。登壇する夜は連れて行こう。
 だから、「男として生きるか」と愚かなことを訊いたのだった。
 神聖な星夜見の塔に女があがることは禁忌とされていたから。

(to be continued)


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