大河ファンタジー小説『月獅』34 第3幕:第10章「星夜見の塔」(3)
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第3幕「迷宮」
第10章「星夜見の塔」(3)
すでに星司長という星夜見のトップの座についているラザールにとって、星童という名目で幼いシキを塔に伴うことはわけもなかった。髪を肩で総髪に切り揃えて結い、短衣に短袴を履かせれば、わざわざ男の子だと告げずとも、誰もが男児と思い込んだ。
賊に襲われ甕の闇に閉じ込められていたシキを、宵闇に連れ出すのはどうかと逡巡もしたが、屋敷に残すよりはいい。星の径の前に出るとランタンの灯りを消す。星明かりに従って径をたどるためだ。すると、つないでいた手がぎゅっと強く握られた。見下ろすと、シキが固く目をつぶっている。ラザールも強く握り返す。
「ほら、シキ。だいじょうぶだから目を開けてごらん。星が道を示してくれているよ。どんな闇にも光はあるんだよ」
シキは砂地が水を吸うように字を覚え、星の巡りについてさまざまな知識を吸収した。屋敷に迎えた当初、シキは一人になることに怯えた。星夜見の塔はもとより、館に帰っても片時もラザールの傍を離れようとしなかった。古今東西の書物が並ぶ書斎でラザールとシキは時を忘れて過ごした。知識の受け渡しをする濃密な時間。ラザールは遠い昔に失ってしまったコヨミとの時間を埋めるように、シキにありとあらゆることを教えた。天文学だけではない、数学も、本草学も、詩歌も、哲学も。持てる知識の泉を、シキという甕に移し替えるように。
ラザールが目をみはるほどシキは優秀だった。素直な性格が幸いしたのだろう。ラザールの言葉をなぞって素読し暗唱し理解した。あと数年もすれば、もう教えることはなくなるのではないか。年が明けて十三歳になれば、正式に星夜見士の試験を受けることができる。合格はまちがいないだろう。いま星夜見寮にいる十人の星夜見士の誰よりもすでに、シキは星の巡りに精通していた。皆がシキの聡明さに舌を巻き、「行く末はラザール様のあとを継いで星司長ですね」とその将来を嘱望した。
だが、それはあり得ない。いかに星夜見の士服がゆったりしていようとも、声変わりもせず髭も生えぬシキを不審がる者は早晩現れよう。どうすればよいのか。この才を女というだけで活かしてやれないのは、なんとも口惜しかった。
学ぶことは楽しい。
シキはラザールについて学ぶことで、親を亡くした悲しみを、天涯孤独の寂しさを埋めようとした。からっぽだった自分のまわりが満たされていくようだった。シキが文字を覚えるたびに、天文の知識を理解するたびに、ラザールは喜んだ。シキはラザール様のお役にたてることがなによりうれしかった。
だが、それもあと数年しかできない。女は月の障りがあるから、神聖な星夜見に穢れを持ち込むとされている。シキはふくらみはじめた胸を見るのが怖かった。どんどん大きくなっていくのが、おぞましかった。「そなたが男であれば」とラザール様は近頃ため息をつかれることが増えた。胸を晒できつく巻いているけれど、いつ露見するやもしれぬ。その前に身を引かなければ、ラザール様が失脚してしまう。
月夜見寮に知られてはならない。
国の政の卜占を司る季夜見府には、星夜見寮と月夜見寮がある。星夜見寮は星の運行を、月夜見寮は月の満ち欠けをもとに卜占をなす。星と月の動きは互いに補い合って観るべきなのだが、二つの寮は昔から反目していた。
レルム・ハン国の王宮は王都リンピアのノルムの丘にあり、どの方角からの攻撃にも堅固な六芒星の形をしている。星夜見の塔は南の頂点にそびえ、月夜見の塔は北の頂点を守る。二つの塔は、王宮の物見櫓でもあった。星夜見の塔は月夜見の塔よりも高い。南の海からの敵襲を見張るため遥か遠くまで見渡す必要があるゆえだ。ひるがえって北には二千メートル級のノリエンダ山脈が天蓋のごとく聳え、天然の要壁となっている。未だかつてノリエンダ山脈を越えて敵が侵入したことはない。そのため月夜見の塔を高く堅牢にする必要がなかった。だが、それが月夜見寮の不満をつのらせる。二つの寮を統べる季夜見府の長官である大臣はこのところ何代にもわたって星夜見寮から輩出していた。そのこともまた、月夜見寮の対抗心を煽っていた。
ことに当代の月司長エランダは、なにかにつけて星夜見寮ひいてはラザールの足を引っ張ろうと画策しているふしがある。「大臣にはエランダがなればよいではないか」とラザールは気にも留めていなかったし、シキも政治的な駆け引きはわからなかったが、それでもラザールになにか厄災がおよぶのは嫌だった。どうすればいいのかわからないが、月夜見寮に目をつけられないよう気をつけなければ。周囲は星夜見士の受験を勧めるけれど。これ以上、目立ってはならない。
シキは受験するつもりがなかった。
(to be continued)
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