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『オールド・クロック・カフェ』4杯め 「キソウテンガイを探して」(14)最終話

第1話から読む。
前話(第13話)は、こちらから、どうぞ。

<あらすじ>
京都の八坂にある『オールド・クロック・カフェ』には、時のはざまに置いてきた忘れ物に気づかせてくれる「時のコーヒー」がある。
30歳の誕生日に正孝からプロポーズされた環は、瑠璃につれられカフェを訪れる。8歳の誕生日に母が出て行った環が「時のコーヒー」で見た過去は、22歳の誕生日のシーン。恋人の翔は砂漠で2000年も生きるキソウテンガイを研究するためナミビアに旅立つ。環は誕生日にまた大切な人に捨てられたと思い記憶を封印していたが、瑠璃の助けで8年ぶりに翔に電話をする。瑠璃は母と向き合えという。父はすべての原因は親友を裏切った自分にあるという。父と母と高遠の若い日のできごとを聞き、環は22年ぶりに母と会った。
約束の2月14日、返事をするため環は『オールド・クロック・カフェ』に正孝を誘う。

  <登場人物>
  カフェの店主:桂子 
桂子が姉と慕う:瑠璃
   瑠璃の友人:杉森環
   環のかつての恋人:松永翔   
  環の現在の恋人:時任正孝
      環の父:杉森祐人
   環の母:綾
  環の父母の親友:高遠迅 
瑠璃の父(カフェの常連):泰郎     


* * * Merry go round * * *

 正孝は時計に夢中になり過ぎていたことに気づいた。
 環は中央のテーブル席に座ってぼんやりこちらを見ている。
 カフェに入った瞬間から正孝は気持ちが高揚していた。壁を埋め尽くす柱時計に圧倒された。ひとつとして同じものはない。正確に等時運動を繰り返す振り子。針が時を刻む音。一日中でも眺めていられると恍惚としながら、はたと我に返った。 
 いや、今は時計どころではない。プロポーズの返事を聞くのだから。
 緊張が喉へと逆流する。2週間前のプロポーズから、期待不安不安、後悔後悔後悔、期待後悔不安後悔のリズムで気持ちの波が寄せては引いてを繰り返している。
 脱いだコートを椅子の背に架けていて、環の視線を感じた。正孝が座るのを固唾をのんでみている……気がする。
 環さんも緊張してる? 
 色よい返事はしやすいけど、断りは言いにくいもんな。
 桂子がグラスとメニューを置き、ちらっと環と視線をからませる。グラスの水が大きく波立ち跳ねる。
 桂子まで緊張しているようにみえるのは気のせいだろうか。
「桂ちゃん、この時点で時計が鳴らんかったら、時のコーヒーは不発?」
「そうですね。お客さんが席につかれるタイミングか、メニューをお出しするときに鳴ってましたから」
 二人の会話の意味がさっぱりわからず正孝が怪訝な顔をしていることに環が気づく。
「このカフェには、時のコーヒーいう不思議なコーヒーがあるの。時計に選ばれた人しか飲めないコーヒーで、過去の忘れものに気づかせてくれる」
 1ミリも理解できない。理知的な環がどうしたのかと正孝はとまどう。
「正孝さんも飲めるかなと期待してんけど。時計は鳴らんかった」
「環さんは飲まはったんですか」
「うん。これから話すけど、まずは注文ね。桂ちゃんが待ってるし」
 環がメニューを広げ正孝の前に置く。 
「私はモカを。正孝さんは?」
「6時25分のコーヒーってなんですか?」
「よくわからないんです」
 桂子が申し訳なさそうにいう。
「ここはもともと祖父の店で。時計もぜんぶ祖父が集めました。店を継ぐときメニューの時刻についても尋ねたんですけど。おもろいやろ言うだけで。『6時25分のコーヒー』て書かれた缶の豆を挽いて淹れます。目覚めの一杯にあう爽やかな味です」
「ぼくはそれを」
「かしこまりました」

 カウンターに戻る桂子の背を目で追っていると、環が話しだした。 
「こないだ瑠璃に連れられてはじめて来たの。そのとき私が席につくと、この時計が鳴った」
 テーブルに片肘をついて顎を乗せ、環は横長の緑の時計を見あげる。斜めに向けた横顔が美しい。
「私も冗談かと思った。でもね、カウンターに座ってる男の人、瑠璃のお父さんなんやけど、あの人も時のコーヒーを飲んで瑠璃との約束を思い出したいうし。なにごとも検証せんとあかんやろって瑠璃に痛いところつかれて」
 環は片頬をあげて苦笑する。 
「思いきって飲んでみたら、22歳の誕生日が映画みたいによみがえって。それがトリガーやってんね、ずっと私を縛ってきたものに気づいた。時計が私の止まってた時間を動かしてくれたの」
 環が正孝を見つめる。
「ちょっと長くなるけど聞いてくれはる?」

 瑠璃とカフェを訪れた日のことをなぞりながら環は語った。
 恋人だった翔のこと、キソウテンガイという奇妙な植物、翔から贈られた指輪。ナミビアに翔が旅立ったことも。なぜ記憶を封印したのかも。8歳の誕生日に母に捨てられたこと。8年の時を超えて翔と電話で話したことも包み隠さず話した。若かった父と母と高遠との間に起こったできごとも。母と22年ぶりの再会を果たしたことも、ぜんぶ。
 コーヒーはすっかり冷めていた。ぬるくなったそれをひと口すすり喉をしめらせ正孝を見る。眼鏡ごしの細い眼は感情が見えづらい。あいづちはなかったが背筋を立てて聞いてくれていた。その気真面目さに横隔膜のあたりがちくっと痛む。
 冷めたコーヒーをもうひと口啜る。
 ぼーん、ぼーん、ぼーん。
 環は覚悟を決め、つばを飲みこむ。

 白い革のジュエリーボックスをテーブルに置くと、
「ごめんなさい」と頭をさげた。
 くせのない髪がはらりと垂れて横顔にしゃをかける。言葉が続かない。何度も予習した文言が口の裏まであがっては泡沫うたかたとなって消える。規則正しい振り子の音が耳膜でこだまする。
「ナミビアに行く決心はつきましたか?」
 うつむいた環の頭上に正孝の平坦な声が降ってきた。はっと顔をあげると、眼鏡の奥がやわらかにゆるみ正孝が微笑んでいる。

 正孝自身こんな気持ちになるのが不思議だった。
 環は言葉を選びながら、ときに口ごもり、また何かにかれたように語り続けた。他人に打ち明けたくないたぐいのことばかりなのに、隠すことも、ためらうこともなく真摯に言葉を継ぐ。事実のなかから真実を見いだそうとするドキュメンタリー番組のように。
 まっさきに語られた22歳の誕生日の話で環の心が翔にあることはわかった。プロポーズの返事はノーだろう、まちがいなく。それなのに落胆も悲嘆も一滴も湧いてこなかった。自分が当事者であることを忘れ、映画かドラマの観客さながら、主人公の環を応援する気持ちに駆られた。環の父にシンクロし、どうか環がまちがえませんようにと願った。
 環はだれもが振り返るほどの美人だ。でもそれを誇ったり飾り立てたりしない。謙虚でつつましい人だと思っていた。だが、ちがう。自己肯定感が低いのだ。幼い日に母に捨てられたと思い込んだから。
 正孝も自己肯定感が低い。おとなしい性格、平凡な容貌。良くも悪くも目立たない。欠席しても気づかれない存在。自分にはなんの取り柄もない。
 同じように自己肯定感の低いぼくが、環を救うことはできない。砂漠を生き抜くキソウテンガイの片葉にはなれない。
 だるまストーブの炎が、空気をまあるく暖める。
「ぼくは計算高くて小心者なんです。箱は開けてみた?」
 環が首をふる。
「開けてみてください」
 正孝にうながされて蓋を開け、環はあっと小さく驚く。
 からっぽだ。
 正孝は頬を少しあげている。それは微苦笑という表現がふさわしいほど、かすかに引きれた笑みだった。
「叔父が三十三間堂の近くで宝石店をやってて箱だけ借りました。成功の確率は1パーセントもないと思ってたから。ずるをしたんです」
 はは、と笑いながら首筋を掻く。
「ぼくはね、これまで他人から関心をもたれることがなかった。居てもいなくても気づかれん影の薄いやつ。名前だってロクに覚えてもらえん。時田はまだええほうで、戸田とか伊藤とか。社会人になって誰彼かまわず名刺を渡した。それでも仕事関係の人でさえ、まともに覚えてもらえん」
 正孝が薄く自嘲する。
「婚活パーティで名刺を渡したのも習慣みたいなもん。どうせまたゴミ箱行きやろと。そやのに、あなたは、ぼくとぼくの名刺に関心をもってくれた。そんなのは初めてで。たとえそれが宇治市役所職員に引っかかったのだとしても、ぼくという存在に気づいてくれたのがうれしかった。それもこんな美人が。こないなチャンスはもう二度とないかもしれん。焦っていちばちかの暴挙にでてしもた」
 額に浮いた汗をきっちりと畳んだハンカチで押さえる。
「環さんと歩いてると、みんなが振り返る。もちろんあなたが美しいからやねんけど。なんかぼくまで注目されてるようで誇らしかった。大いなる勘違いとわかっててもね」
 ひと息ついて姿勢を改める。
「せやから環さんが気に病むことはない。謝らなあかんのは、ぼくのほう」
 正孝は膝に両手をついて頭を深くさげる。
 いややわ、正孝さん。頭あげて。環がおろおろと懇願する。
「これで、おあいこやね」
 正孝がにたっと笑う。そんな表情の正孝をはじめて見た。 
「そのペンダントトップは、翔さんの指輪?」
「うん」
「サイズが大きい言うてたね」
 正孝はスマホを出してどこかに電話しだした。
「叔父さん、正孝です。今から杉森環さんいう美人が店に行くから、指輪のサイズ直しをしてほしいねん。うん……うん。もちろんタダで。30分くらいで着くから、よろしく」
 スマホを切ると名刺を一枚抜き取り、裏に何かを書き始めた。
「叔父の店は三十三間堂の二筋手前を西に折れたところにある。今から30分で行くいうてあるから」
 名刺の裏には簡単な地図が描かれていた。
 さあ、と環をうながし正孝が立ち上がる。
「言いにくいこともぜんぶ話してくれて、ありがとう。おかげで、環さんのキソウテンガイは自分やないことがわかった。ふられたショックは自分でもびっくりするくらいなくて。心から翔さんと幸せになってほしいと思てる」
 うまく言えなくてごめん、といいながら正孝は右手を環に差し出す。
「何年かかるかわからんし、一生見つからんかもしれんけど。ぼくも自分のキソウテンガイとなる葉を探します。ぼくに気づいてくれて、ありがとう。あなたが勇気をくれた。だから幸せになって」
 環の白く細い手をそっと握る。
 さ、叔父が待ってるから、はよ行って。
 ぼーん、ぼーん、ぼーん。
 16番の緑の時計が環をはげますように声をあげると、店じゅうの時計がいっせいに鳴りだした。オーケストラのようだ。
 環はなんども振り返っては頭をさげ格子戸を開ける。カウンターに泰郎の姿はなかった。とっくに帰ったのだろう。
 まだ、泣いちゃだめ。
 戸口で見送ってくれる桂子に、ありがとう、と小さくつぶやき格子戸を閉めた。
 切れ長の双眸から熱いきらめきがにじみ出る。それを人差し指の関節でぬぐいながら2月の空を見あげる。銀色の雲のすきまから冬の日が白い筋となって祇園の町並みに降り注いでいた。
 ――私は愛されていた。なのに気づこうとしなかった。
 靄がうっすらと晴れていく。「結果には原因がある」と言いながら、雲の下にあるものを見ようとしなかった。
 ナミビアに行こう。翔のもとへ。
 古時計が、正孝が、瑠璃が、父と母が背中を押してくれたのだから。
 砂漠で2000年を生きるキソウテンガイをこの目で見よう。

「よろしかったら、柚子茶をどうぞ」
 16番の時計の前に立って伸びあがって眺めている正孝に、桂子は湯気のあがるグラスとチョコレートを盛った豆皿を置き声をかけた。
「ありがとうございます。いいですね、この時計」
 細い目に興奮をのせて桂子を振り返る。
「ほんまに時計がお好きなんですね」
「ぼくも、さっき気づいたばっかりです。自分にはなんの取り柄もないと思ってたけど、夢中になれるものを見つけました」
 晴れ晴れとした顔を向ける。
「もうちょっと眺めててもいいですか」
「ええ、お好きなだけ」
「また、来てもいいですか」
「ええ、いつでもお待ちしてます」

(4杯め The End  )

「またのお越しをお待ちしております」 店主 敬白 


* * * * *

ようやく14話で書きあげることができました。
当初は7話ぐらいで終わる予定だったのですが。
環の抱えているものが意外に重たく、ここまで話が伸びてしまいました。
最後までおつきあいいただいた皆さまに、
心から御礼申しあげるとともに、
おいしく味わっていただける一杯となったのかが、
店主として心に懸かっております。

1杯めから3杯めまでは、こちらから、どうぞ。

 

 



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