大河ファンタジー小説『月獅』65 第3幕:第15章「流転」(8)
これまでの話は、こちらのマガジンにまとめています。
第3幕「迷宮」
第15章「流転」(8)
町娘の装束に着替えるためシキが席を立つと、ラザールはカイルに向き合った。
「さて、旅の設定でございますが。ナユタ殿とシキとを結婚したての商人夫婦。カイル殿下は、誠にご無礼ではございますが、若夫婦の従者ではいかがでしょうか。買い物などは主人がし、従者は荷物持ちになるので人目につきにくいかと存じます」
「それでかまわぬ。ナユタも異論はないな」
「御意にございます」
「早速ですが、言葉遣いにはくれぐれもお気をつけください。ナユタ殿は、殿下の主人になられるのです。畏まった言い回しはなされませぬように」
「心得申した」とナユタは首の後ろを掻きながら苦く笑う。
「また、これは戯言としてお聞きくださりませ。グリフィンの爪は万病に効くとの言い伝えがございます。万に一つではございますが、シキの声を取り戻せるやもしれませぬ」
「グリフィンか……。神獣であるゆえ、めったと出現せぬという。遭遇は期待できぬぞ」
「心の片隅にでもお留めおきくださればけっこうでございます」
娘を心配する老親の顔で目を伏せた。
「だんな、準備がととのいやしたぜ」
暖炉の穴からトビモグラがひょこっと顔をのぞかせる。鼻が泥まみれだ。
「ご苦労だったね、アトソン。では、納屋まで三人を案内してくれるかな」
「承知いたしやした」
アトソンが穴に首を引っ込める。
「納屋に荷馬車を用意してございます。アトソンが納屋まで地下トンネルを繋げてくれました。馬車は庭師のトムが御します。トムは毎週水曜日に馬車で市場に買い物に出かけますので、レイブンカラスに目撃されても不審がられないでしょう。荷台には雨除けの布をかけてございますので、その下に潜んでください。市場につくとトムが荷ほどきのふりをいたしますので、その隙に馬車からお降りください。市場の人混みにまぎれれば、王都からも怪しまれずに出都できましょう」
「これが通行手形でございます」
三人分の木札と路銀を手渡す。
「路銀は用意しておる」
「多くとも困るものではございません。ただし、三人それぞれ分けてお持ちください。また、過分な支払いはなさりませんように。金を持っていると露見いたしますと賊に狙われます」
「心得た」
「苦難の尽きぬ旅になりましょう」
「籠の鳥で居るよりよほど良い。吾が望んだことだ」
「こちらはサユラ様とカヤ姫様からの文でございます」
ラザールが懐から文を手渡す。
「母上とカヤからとは。いかにして」
「キリト様が瑠璃宮にお忍びでまいられ、お二方よりお預かりして来られました」
ふっとラザールが片笑む。
「カヤ様はキリト様に、早くあなたが即位してお兄様を救ってちょうだい、妾はあなたの駒としてゴーダ・ハン国でもどこでも嫁す心づもりはできているわと、啖呵を切られたそうにございます。なかなか勇ましき兄上思いの姫宮であられますな」
はは、とカイルも乾いた笑いをもらす。
「キリトには世話をかけた。吾は王族としての責務を放棄して逃亡する。最も重たきものをキリトの肩に残していかねばならぬこと、誠に胸が痛む」
「微力ながらキリト殿下は、臣が全力を尽くしてお支えいたします。臣の望みは、いつの日か即位されたキリト殿下をカイル殿下が支えてくださることでございます。お二方が王旗のごとく双頭の鷲として並び立たれる日が来ることを衷心より願っております」
ラザールはカイルに視線を据える。
「どうか、どうかその日までご無事で。生きてくだされませ」
カイルは老臣の手を取り無言でうなずくと、立ち上がった。
まずナユタが暖炉の穴を降りる。カイルが続く。
ラザールはシキを胸に掻き抱き、
「シキ、そなたと過ごした五年は私にとって喜び以外のなにものでもなかった。ありがとう。おまえのことは、かけがえのない娘だと思っておる。カイル殿下を頼む。そして、シキ、どうか生きて帰って来ておくれ」
最後にきつく抱きしめると、「さあ、お行き」とその背を押した。
二度と会うことは叶わぬかもしれぬ。ラザールは胸のうちで三人の無事をただひたすらに祈った。
(第15章「流転」了)
(第3幕「迷宮」完)
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これにて、『月獅』の王宮篇である第3幕「迷宮」を閉幕いたします。
次は第4幕「流離」。天卵の双子シエルとソラ、ルチル達が戻ってきます。
サポートをいただけたら、勇気と元気がわいて、 これほどウレシイことはありません♡