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大河ファンタジー小説『月獅』64         第3幕:第15章「流転」(7)

前話(第63話)は、こちらから、どうぞ。

これまでの話は、こちらのマガジンにまとめています。

第3幕「迷宮」

第15章「流転」(7)

<あらすじ>
「孵りしものは、混沌なり、統べる者なり」と伝えられる天卵。王宮にとって不吉な天卵を宿したルチルは、白の森の王(白銀の大鹿)の助言で『隠された島』をめざし、ノア親子と出合う。天卵は双子でシエルとソラと名付ける。シエルの左手からグリフィンが孵る。王宮の捜索隊に見つかり島からの脱出を図るが、ソラがコンドルにさらわれた。
 レルム・ハン国では、王太子アランと第3王子ラムザが相次いで急逝し、王太子の空位が2年続く。妾腹の第2王子カイル擁立派と、王妃の末子第4王子キリト派の権力闘争が進行。北のコーダ・ハン国と南のセラーノ・ソル国が狙っている。15歳になったカイルは立宮し藍宮を賜る。藍宮でカイルとシキ、キリトが出合う。『月世史伝』という古文書を見つけたシキは、巽の塔でイヴァン(ルチルの父)と出合い、共に解読を進める。レルム・ハンの建国前に「月の民」という失われた民がいたことがわかる。
 王妃からキリト王子の師傅しふを要請されたラザールは、王子との謁見のため真珠宮を訪れる。

<登場人物>
カイル(17)‥第2王子(貴嬪サユラの長男)、成人し藍宮で暮らす
キリト(12)‥第4王子(王妃の三男)
ラザール‥‥‥星夜見寮のトップ星司長、シキの養い親
シキ(12)‥‥星童、ラザールの養い子
ナユタ(27)‥カイルの近侍頭
イヴァン‥‥‥天卵を生んだルチルの父、巽の塔に幽閉、
       シキとともに『月世史伝』を解読する
アトソン‥‥‥トビモグラ、ルチルを地下道で白の森に導いた

<レルム・ハン国 王家人物>
ウル‥‥‥‥‥国王・母である王太后の傀儡
ラサ‥‥‥‥‥王妃、アラン・ラムザ・キリトの母
サユラ‥‥‥‥貴嬪・カイルの母
アラン‥‥‥‥第1王子・逝去(享年18歳・王妃の長男)
ラムザ‥‥‥‥第3王子・逝去(享年14歳・王妃の次男)

<補足>
藍宮‥‥‥‥‥‥カイルの宮
『黎明の書』‥‥王国の史書・天卵に関する記述がある
『月世史伝』‥‥古代レルム文字で書かれた幻の古文書
星夜見の塔‥‥‥王宮の南端にある星夜見をする塔

 上等の絹の長衣を脱いで質素な短衣の腰ひもを結び終えると、カイルは傍らに端座しているシキに目をやる。
「シキ、久しいな」
 一月は新年の行事続きでカイルが忙しかった。三月に王宮を震撼させた星夜見ほしよみがあり、星夜見寮が慌ただしくなった。その後シキは『月世史伝げっせいしでん』の解読に勤しんでいたため、藍宮へ足が遠のいていたのだ。
「息災であったか」
 シキは無言でうなずく。
「その不遜な態度はなんじゃ。殿下が尋ねられておる。はきと答えよ」
 ナユタがカイルの背後から鋭い声で注意する。
 シキはびくっと肩を震わせ、瞳をあげた。
「じ…づ…れい…いだじ…まじ…だ」蝦蟇ヒキガエルがつぶれたような、とぎれとぎれのダミ声が書斎の空気をこすった。
「声を失うたは、まことであったか」
 カイルが目を剥き、シキの前に膝をつく。返事すらまともにできず、シキは唇を噛む。
「何があった?」
 カイルはうなだれるシキの両腕に手を添え、ラザールに目を向ける。
「臣が愚かでございました」
 いかなるときも表情の変わらぬ老臣の顔が苦渋にゆがんでいる。
「あまりときはございませんが、殿下には知っておいていただきとうございます。よって臣よりご説明申し上げます」
 ラザールが居ずまいをただす。
「シキは女子おなごでございます」
「そうではなかろうかと案じておった」
 シキがはっと顔をあげる。
「いづ…がら?」細い目を見開き、瞳を震わせる。
「初めて図書寮で出会った日を覚えているか」
 二年前のことだ。
「ナユタに打ち据えられて鼻血を流しておったそなたを、吾は抱きかかえて宮に連れ戻った。お転婆なカヤを抱くことが多かったからな。抱きあげた感触がカヤを思い起こさせた」
 カイルがシキに微笑みかける。
「シキを男児と偽ったは、星童ほしわらべにするためか」
 カイルはラザールに問いただす。
「左様でございます」
「星を観る才があったからか」
「それはのちに判明したことでございます」
 ラザールは瞼を伏す。
「私は遠い昔、息子を星夜見の夜に亡くしました。その恐怖は今も胸に巣食っております。故に幼いシキを夜に一人にするわけにはいかないと案じました。私が傍らにいたとて息子を助けることができたとは思っておりません。なれど、私自身が恐れたのです。幼子を宵闇に一人にすることを」
「それで、男児と偽って」
「左様でございます。ほんの数年のつもりでございました。星童の時期を終えれば、娘に戻せばよいと。ですが、シキには星夜見の才がございました。私はその才が惜しうなりました」
「女子にも門戸を開けぬものかと画策いたしましたが、星夜見は国の吉凶に関わる寮であるだけに、忌み事に対する抵抗は思いのほか高うございました」
 ラザールは嘆息する。
「そうこうするうちに、例の星夜見があり、ますます禁忌に触れるのが難しくなりました」
 そうであろうな、とカイルも同調する。
「巽の塔に幽閉されているイヴァン殿も、殿下同様、シキが女であることに先日気づかれました」
「思いつめたシキは」と言いながら、ラザールは立ち上がる。机の抽斗ひきだしから鍵を取り出すと、書斎の奥にある扉付の書庫を開け、角の擦り切れた古い本を一冊カイルに差し出した。
「『本草外秘典ほんぞうがいひてん』でございます」
「禁断の奇書。そなたが持っておったのか」
「曾祖父が二代前の国王ソアラ様より託されたと聞いております」
「薬事寮が保管しているのかと思っておった」
「薬事寮では興味を持つ者が出来しゅったいする可能性があります。この一冊を残しすべて焼いたそうでございます」
「なにゆえ一冊だけ残した?」
「有事の保険……でしょうか」
「保険?」
「市中に出回っているものをすべて焼いても、書写して秘匿している者がいる可能性を排除できません。人は禁ずるほどに執着するものでございます。この奇書にある薬が悪用された場合、処方がわかれば対策もできようと、一冊だけ残されたのでございます。それがよもやこのような事態を招くとは」
 ラザールが中ほどの頁を開く。
「低声奇矯薬?」カイルが読み上げる。
「声を低くする薬でございます」
 カイルはシキの顔をまじまじと見る。シキは顔を背ける。
「シキは男として生きるために、禁忌の薬を調合いたしました。臣の浅はかさがシキの声を奪ってしまったのです」
 シキはそうではないと言いたいのだろう、激しく首を振る。
「殿下にお願いしたき儀がございます」
 ラザールはカイルの前にぬかづく。
「シキを連れて行っていただけないでしょうか」
「それはかまわぬが、どんな危険があるかわからぬぞ」
「シキは武術もひととおり修めております。また、農夫の娘であるので野営でも知恵が働きましょう。市場にもよく出かけ、町のことも心得ております。むろん星も読めるので道案内もできます。必ずや旅のお役に立てると存じます」
 ラザールは頭をあげカイルに視線を合わせる。
「シキを娘に戻してやりとうございます」
 なにとぞ、とラザールはおもてを伏せ声を細くする。
 カイルが背後のナユタを振り返る。
「多少は市井に通じているとはいえ、私も貴族の暮らししか知りません。民の暮らしぶりがわかっているシキの存在は大きいと存じます」
 ナユタの言に、シキが頬を紅潮させる。
「では」とラザールも床から顔をあげる。
「うむ。シキ、よろしく頼む」
 カイルの承諾を得るなりラザールはシキに向き直る。
「シキ、急いでこれに着替えなさい」
 町娘ふうのふわりとした膝たけのドレスをシキに手渡すと、シキは衝立の後ろに消えた。

(to be continued)

第65話に続く。
第65話にて、第3幕は完結です。


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