オリガ・ホメンコ『キーウの遠い空 戦争の中のウクライナ人』
2022年2月24日の、ロシアによるウクライナ侵攻から2年。いまさらながら今春、ウクライナからの避難民と初めて知り合った。表情はみな和やか。しかし会話の端々に、祖国に残してきた家族の心配や、将来への不安がにじむ。正直なところ、どう声をかければよいか分からない。日本での穏やかな日々を素っ気なく分かち合えばよいのか。薄っぺらい同情や哀れみはかけたくない。
戸惑う日々に、憤りを覚える。無力さに苛立つときも多い。でも、ふと気付いた。当たり前だ。自分はウクライナのこと、何も分かっていない。では、何を分かりたいのか。ウクライナの人たちの心だ。
そこで手に取ったのが、オリガ・ホメンコ『キーウの遠い空 戦争の中のウクライナ人』。10代で日本に興味を持ったことから日本語を学び、留学を果たして東京の大学で博士号まで取得したウクライナ人研究者が、侵攻前夜の兆候から、戦時下の暮らしまでを、日本語で書いたエッセイ集を読む。
ロシアが攻めてくる。たしかにそういう兆候はあった。しかし、誰でもそれが実際に起るとは想像できない。いや、考えたくない。だがキーウの街も空爆される。子どもの頃に通った学校の隣りのマンションにもミサイルが撃ち込まれ、筆者も愕然とする。さまざまな理由で国境を越えなければならなかったウクライナの人々を研究していた筆者自身が、真の避難民となってしまったのである。
そんな筆者が国内外で出会い、話し、ともに考えたウクライナの人々の声が並ぶ。ウクライナの女性の、芯のしっかりした精神性を感じさせるエピソードが目立つ。ロシアに対する静かな怒りも、抑えた筆致で書かれている。本書の前にも日本語による著書があることで、筆者に押し寄せた日本のマスコミによる厚顔無恥な様子や、筆者が協力を求めた日本の関係者の、血が通っていないような仕打ちも、読んでいて胸が苦しくなる。
戦時下のウクライナ人の暮らしや複雑な想いが、端麗な日本語で、しかも切迫感もともなって綴られている。ただ、もっと読みたかったのは、日本とウクライナとのつながり。ヨーロッパとアジア。遠く離れたウクライナの人々が日本に抱く感情や、さらに避難先として選ぶほどの日本への想いを知りたかった。もちろん、それは、私が知り合ったウクライナ人たちに直接聞けばいい。しかし、ウクライナが独立してからの日々と同じだけの年月をかけて日本との関係を築いてきた筆者の声が聞きたい。文は人なり。やはり興味は、人に向く。そう感じさせる日本語のナラティブだ。
やはり、会ってみたい。話してみたい。もっと筆者の日本語による語りを、読んでみたい。