早川義夫『海の見える風景』
「一年前、妻が癌になって初めて、そばにいてやりたいと思いました。しい子は3月28日に亡くなりました」
すでに1年ほど音楽活動やTwitterは休止していたが、2019年3月29日のTweetに衝撃を受けた。その1年半ののち、その最期の日々を述懐した『女ともだち ――靜代に捧ぐ』で号泣する。もう、早川義夫の新しい文章は読めないだろうなと思っていた。だが昨年末、最新のエッセイ集『海の見える風景』が出ていた。昨年12月から今年3月までの4か月間、吹きつける風と雪のなかを突き進むような毎日を送っていたので、まったく気付かなかったのだ。先日、ようやく手に取る。
本作『海の見える風景』は、妻・靜代さんを亡くし、独りで鎌倉に戻ってからの静かな日々を綴っている。一人暮らしの食生活、食器は十分にあるのにどうしても欲しくなってしまうデザイン、海岸で日光浴をしていたビキニ姿の女性に声をかけられなかった後悔。好みの音楽や映画の傾向、昔の音楽仲間への想い。現在進行形のエッセイだが、無意識にかつてのことを述懐したり、思い出に浸ったりしてしまうのだろう。『生きがいは愛しあうことだけ』や『心が見えてくるまで』で読んだエピソードも繰り返される。『たましいの場所』は饒舌だった。思い切って音楽活動を再開した勢いに任せた「虚勢を張った」文章もみられる。だが、本書『海の見える風景』は寄せては返す波と同じく静かなリズムで語っている。相変わらず、ほんとうのことしか言っていない。
何がこんなに魅力的なのだろう。
『たましいの場所』と『海の見える風景』で、早川義夫は小林秀雄講演CDの同じ言葉を引く。
早川義夫は、妻子がある身でありながら、浮気も、本気の恋もしてきた。「中年の男が女の子を好きになってしまうのは、はたから見れば気持ち悪いことは知っている。けれど恋をすれば誰だって十八歳になってしまうのだ」とさらりと書き、本書でも海岸で出会った大学生ぐらいの女の子との淡い恋が成就しなかったことを悔やんでいる。「下心がないような、善き人を演じている。いつだってあらぬことを妄想しているのに」。こういう部分に嫌悪感を抱く女性もいるようだ。しかし、飾ることなく、率直に、ありのままに心を書くことができるのは、読み手というより、書き手として羨ましい。ほんとうのことだから。
早川義夫を知ったきっかけは覚えていない。だが6年前、ちくま文庫の『たましいの場所』を読んで打ちのめされた。こんなに生々しく、ほんとうのことをさらりと書くエッセイがあるのかと。懐かしさに身を委ねながらも緻密に書いた向田邦子の随筆とも、門前の小僧ならぬ小娘として硬質な文体に鋭い観察眼を潜ませた幸田文の随筆とも違う。あっけらかんと風通しよく本質を突き、隠さぬ下心を書き連ねていく文章に虚を衝かれた。すぐに『生きがいは愛しあうことだけ』『心が見えてくるまで』も手に入れ、読みふけった。
その後、読書好きな人に会うと『たましいの場所』を薦めた。何冊か買っておいて、プレゼントしたこともある。しばらくして、脚本家の宮藤官九郎も『たましいの場所』をよく人に贈るのだとラジオで語っていて、同じことをする人もいるものだと感心した。だが、その反応は、いつもよいとは限らない。浮気を肯定したり、歯に衣着せぬ本音の物言いに、抵抗感を示す女性も少なくない。
だが早川義夫は『生きがいは愛しあうことだけ』でこう述べる。
『海の見える風景』では、早川義夫は吉本隆明の言葉を引く。
早川義夫のエッセイが好きな人は、好きになれるところまで離れるという間合いがいいのだろう。そして「こういうことは俺だけにしかわからない」と独りごちて読むのだ。ほんとうのことを。
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