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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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#読書

はじめての小林秀雄

「批評の神様」とよばれる小林秀雄を読んでみたい。しかし、レトロな表紙の文庫本『モオツァル…

既視の海
1年前
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「人」が「生」きるうえでの「観」方

ちょうど5か月かけて読み、およそ100回にわたって論じてきた小林秀雄の『私の人生観』。あら…

既視の海
1年前
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描いたのは「俺流の肖像画」ではなく、小林秀雄の自画像

およそ5か月にわたって読んできた小林秀雄の講演文学である『私の人生観』を、あらためて通読…

既視の海
1年前
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その人そのものを生きることが批評だ

小林秀雄の批評における起点は、論壇に登場した1929(昭和4)年の『様々なる意匠』における「…

既視の海
1年前
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読んだだけでは駄目だ。眺めるのが大事なのだ。

「読んだだけでは駄目で、実は眺めるのが大事なのだ」とは、いったい、どういうことだろうか。…

既視の海
1年前
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沈黙を言葉にする

経験を重んじよ。そのうえで自分の心に浮かぶ感覚を大切にせよ。信じるによせ、疑うにせよ、経…

既視の海
1年前
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すぐに分かるような経験は、大したことはない

まず経験を信じよ。信じるから疑うことができるのだ。その一方で、経験もせずに軽々しく信じるな。疑うことで、経験していない事実を覆い隠すな。信じるということは、責任を取ることだ。信じるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのだ。 小林秀雄は、あくまでも批評の精神を説いている。本を読まないでも本の批評をし、経験もしていないことを、理論で説き伏せようとする批評に苦言を呈している。『私の人生観』発表当時の文壇を憂いての発言だが、それから70年以上が経過した、いま眼の前にいる読者に

言葉のないところに歴史はない

アランの言葉を引いて小林秀雄はみずからの歴史「観」を語ったが、ここには二重の意図があるよ…

既視の海
1年前
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己に、とらわれるな。

小林秀雄の「空」に対する考察はまだまだ続く。近代科学で用いる因果関係と、仏教思想の因果律…

既視の海
1年前
3

おごれる人も久しからず、おごらざる人も久しからず

話を『私の人生観』における「諸行無常」に戻そう。 小林秀雄は、「諸行無常」という言葉は誤…

既視の海
1年前
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ふたつの『平家物語』

小林秀雄には1948(昭和23)年の『私の人生観』をはさんだ、二つの『平家物語』がある。戦火が…

既視の海
1年前
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小林秀雄と「禅」はなじみ深い

『私の人生観』という講演会の課題を与えられた小林秀雄は、そこに含まれる「観」という言葉か…

既視の海
1年前
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『当麻』が『私の人生観』に結びつく

不惑をはるかに過ぎてから小林秀雄を読み始めた「遅い読者」ではあるが、心がざわめき、読後も…

既視の海
1年前
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日想観と中将姫につらなるものは

小林秀雄は「観」という言葉の語感から、仏教思想を思い浮かべる。そして浄土宗における重要な経典である「浄土三部経」のうちの一つ、『観無量寿経』をとりあげる。人々が極楽浄土に往生するために踏む16段階の修行である「十六観」の流れを説明し、「文学的に見てもなかなか美しい」と語った。 なぜ、小林秀雄は最初に『観無量寿経』を選んだのだろうか。ただ、お経の名称に「観」の字があるという理由だけで紹介したとは、まず考えられない。 小林秀雄が『観無量寿経』について述べている別の作品がある。